ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2010/06/10/

「民謡フュージョン」-小杉真リサさん-

その日、コンサート会場であるサンペドロの劇場に向けて車を走らせながら、一体どのようなショーが私を待ち受けているか、一抹の不安と期待が私の心の中に入り交じっていました。「民謡ステーション」という小杉真リサさん率いるグループによる「フュージョン民謡」です。DVDで一度、そのさわりを見たことはありましたが、ライブのコンサートは初めて。正直なところ、民謡のフュージョンはちょっと難しいのでは、と感じていたのは確かでした。

真リサさんは、日本民謡「松豊会」の会主である母親の佐藤松豊さんとともに、各種の日本文化の催しやさまざまな日系団体の集まりなどで、しばしば見掛けてきた人です。13年前、日本での修行を終え、名取となって米国に戻ってきた際、インタビューしたこともありました。運転しながら、その時のことも思い出していました。

北加バークレー生まれの日系二世として、日本の民謡だけでなく、米国のさまざまな音楽を聞きながら育った真リサさん。幼少の頃から母親の下で唄と三味線を稽古していたのですが、十代になると、民謡から次第に離れていきます。アメリカ人の友達に民謡を聞かせても一向に関心を示してくれないし、それならば友達と一緒にできることをしたい。そんな気持ちからでした。

それでも、真リサさんが17歳になった時、松豊さんは「観光でいってらっしゃい」と娘を日本に行かせました。そこでプロの民謡にどっぷりつかること2ヶ月間。真リサさんは、民謡が好きになって帰ってきたのです。それから四年後、今度は自分から「行く」と言い出し、3年間みっちり修行。帰国してからは、母親との行脚のような日々が続きました。

コンサート会場であるグランド・アネックス劇場に着くと、すでに百人を越える人々が詰めかけていました。ほとんどが非日系のアメリカ人です。昨年一月に誕生した「民謡ステーション」の初めてのコンサートということで、ミュージシャンそれぞれの友人や知人も来ているようです。

ステージに「松豊会」のメンバーと「民謡ステーション」のミュージシャンが並びました。三味線と鉦の「松豊会」、ギターとベースとドラムスの「民謡ステーション」。そしてもち論、唄が真リサさんです。「松豊会」は着物、「民謡ステーション」はTシャツや長いコートと、着る物も対照的です。

そもそも、こうした民謡のスタイルを考えていたのは、佐藤松豊さんでした。民謡にかかわって五十年近く。25歳で渡米し、その後1966年に「松豊会」を創立して以来、民謡の指導と普及に力を注いでいたのですが、民謡の良さを次世代に伝えていくために「やはり若い人々に振り向いてもらわなければ」と、もう20年も前に、西洋の音楽と民謡をミックスすることを考えていたのです。新しいスタイルの民謡の創造。なかなかそれを実現できずにいたのですが、それでもあきらめずにいたことで、こうして、真リサさんの友人とのつながりから、やっと実現できたのです。20年後に実現した「夢」でした。

コンサートは第一部の「民謡ステーション」だけのステージと、特別ゲストを加えての第二部に分かれていました。第一部は青森のリンゴ節で幕を開けましたが、案の定、私の感覚は、どうもすんなりと音楽を受け入れようとしないようです。それでも、会津磐梯山、貝殻節と続いていくうちに、なんとなく落ち着いて聴けるようになりました。そして、唄とギターだけで始まった磯原節。ふと、この音楽に心地好さを覚えている自分に気付きました。新しいスタイル、しかし、民謡のセンスはきっちりとその中に残されている。

真リサさんの唄、ギターは真リサさんとともに「民謡ステーション」の中核を担う大岡遊さん。大阪出身の大岡さんは2006年に渡米して以来、ジャズを中心に著名なミュージシャンとの演奏を重ねてきており、大岡さんが民謡の編曲を担当しています。

磯原節のゆったりとしたテンポもよかったのかもしれません。しかし、それ以上に、この、小杉真リサという一人の日系の民謡の担い手に感銘を受けている自分がありました。自のグループを編成し、これまでよりリラックスして、これまで以上に自分自身でいられる音楽のスタイルで、日本の民謡の心を伝えている。私が目にしているのは、民謡に培われて一回りも二回りも大きく成長した一人の女性でした。結婚、そして離婚という経験も踏み越えて、ものの見方に広がりと深まりを増し、「民謡は母と私をつなぐもの。さもなければ、民謡はしていなかった」と言い切る真リサさん。

「母親が40年以上も続けてきたことを尊重したい。今までは当たり前のことでしたけれど、そうしたことを感謝する気持ちがだんだん強くなりました。それは民謡に携わっている他のグループでも同じことです。みんな、いいものを残そうと、頑張っています。それに感謝の気持ちを表したい。なぜ民謡をするか、その理由が今、分かったような気がします」

民謡が今、この人の心の中で、自由に生き生きと、自分のものとして息づいている。そんな印象でした。もち論、今年37歳という、年齢による味というものもありました。

第二部の特別ゲストとのコンサートでは、松豊さんもゲストの一人として登場しました。母親であり、師である松豊さんをゲストに招く。「松豊会」の演奏では、一度もなかったことであり、「民謡ステーション」だからこそ初めてなし得たことです。それは、娘のことをいつも立てようとしている母親への、娘からの感謝の気持ちの表現でもありました。

*本稿は『TV Fan』 (2009年5月)からの転載です。 

© 2009 Yukikazu Nagashima

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執筆者について

千葉市生まれ。早稲田大学卒。1979年渡米。加州毎日新聞を経て84年に羅府新報社入社、日本語編集部に勤務し、91年から日本語部編集長。2007年8月、同社退職。同年9月、在ロサンゼルス日本国総領事表彰受賞。米国に住む日本人・日系人を紹介する「点描・日系人現代史」を「TVファン」に連載した。現在リトル東京を紹介する英語のタウン誌「J-Town Guide Little Tokyo」の編集担当。

(2014年6月 更新)

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