ソーテル通りのラグレンジ通りからミズーリ通りまでの東側の広い一角には現在、大きな複合施設やアパート・ビルが立ち並んでいます。そのブロックには、かつて数多くの庭師らが住んでいたボーディングハウス(寄宿舎)がありました。「小早川ボーディングハウス」です。6つの大きな家屋や簡易住宅に最大60人が住んでいた大掛かりなボーディングハウスでした。広島からの移民である石岡利一(りいち)氏が1926年に一軒家からスタートし、その後1930年代初頭に大幅拡張、戦時中の一時中断を経て1979年に閉鎖するまで、実に数多くの庭師がここに住み、ブレントウッドやビバリーヒルズ、ベルエアなどの白人の家の庭の手入れを請け負ってきました。
ボーディングハウス業を手伝っていた利一氏の息子、石岡利夫さんはビジネス閉鎖後ソーテル地区から西のマービスタ地区に移り住みましたが、ソーテル地区一帯を「ソーテル・ジャパンタウン」と命名することについての集まりに出るなど、ソーテル地区に対する深い愛着は衰えていません。ただ、その利夫さんも「ジャパンタウンと言っても、ビジネスの多くは今ノン・ジャパニーズであり、住んでる人たちも変わったし。実態はもうジャパンタウンと言えないかもしれない」と言います。利夫さんはソーテル地区の変容を惜しむかのように、ボーディングハウスの歴史を話してくれました。
石岡利一氏は1890年、広島生まれ。ま…