ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/908/

若かりし頃の視点 (英語)

(英語) 強制収容所に送られた当時、18歳か19歳くらいだった私たちは、まだとても未熟でした。政治的にとても無知で、憲法を読み、権利章典(合衆国憲法中の人権保障規定のこと)について学んではいましたが、それを応用し、自分自身の力にする、という考えにまでは至りませんでした。まだまだ未熟だったのです。私たちが強制収容の事実を見直すようになるまで、長い時間を要した原因はそこにあると思います。収容所への巡礼の旅を経て、日系人は強制収容を単なる個人的体験と捉えるのではなく、憲法に関わる問題として見直すことができたのだと思います。


投獄 監禁 第二次世界大戦下の収容所

日付: 1997年9月11日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: グレン・キタヤマ

提供: Denshō: The Japanese American Legacy Project.

語り手のプロフィール

スー・クニトミ・エンブリー氏は1923年、カリフォルニア州ロサンゼルスに生まれました。戦前エンブリー氏は、リトル東京で育ちました。そして19歳で他の大勢の日系人と共に、マンザナー収容所に強制収容されました。そこで彼女は、収容所新聞、マンザナー・フリー・プレス紙の編集者となります。戦後エンブリー氏は、中西部で数年を過ごし、1948年にカリフォルニアに戻りました。カリフォルニアで結婚したエンブリー氏は、その後教職に就きました。

1969年、エンブリー氏は、最初のマンザナー巡礼の旅の企画に参加し、その直後、共同でマンザナー委員会を立ち上げました。委員会は、マンザナーがカリフォルニア州の史跡となるよう、そしてゆくゆくは国の史跡認定を受けられるよう先頭に立って働きかけました。

エンブリー氏は、強制収容について最初に沈黙を破った数少ない日系二世の一人でもありました。彼女は過去を忘れ去ることよりも、強制収容の事実を人々に伝え、教育することを選び、日系三世や四世に自身の体験を伝え始めました。その後彼女の活動は、マンザナーに教育センターの立ち上げを提案することにまで及びました。教育センターは、2004年に開館し、スー・エンブリー氏は、2006年に83歳で亡くなりました。 (2008年4月15日)

ウィリアム・ホウリ

ターミナルアイランドの人たちと収容所へ(英語)

政治活動家(1927-2010)

ウィリアム・ホウリ

収容所の屋外便所とシャワー(英語)

政治活動家(1927-2010)

ウィリアム・ホウリ

15歳の当時、冒険のように思えた収容所(英語)

政治活動家(1927-2010)