ディスカバー・ニッケイ

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コレマツの再審裁判がもたらした歴史的影響と私が感じたこと (英語)

(英語) 僕としては、個人的にもそして政治や法の面でもコレマツ裁判以上に意義深い訴訟を経験したことはありませんし、そういう意味で、このケースは本当に複雑に入り組んでいます。歴史的訴訟の判決に40年後異議を唱え、立ち向かわなければならなかった訳ですからね。僕たちは、最高裁判所が下した過去例のない不正な法的措置を立証し、両親世代の人々の正当性を証明して名誉を回復させなければなりませんでした。そしてその犠牲となった両親たちのお陰で僕らは法を学び、スキルを身に付け、今度は僕ら自身によって彼らの汚名を晴らすチャンスを得ることができた訳です。この訴訟を通して経験したこういったサイクルというか、巡り合わせはとても興味深いことだと思います。僕らはこの裁判で、歴史的に見ても日系人は脅威ではなかったし、軍事措置の必要性はなかったことを証明できたのです。


弁護士 (lawyers)

日付: 2003年2月8日

場所: 米国、ワシントン州

インタビュアー: トム・イケダ、マーガレット・チョン

提供: Denshō: The Japanese American Legacy Project

語り手のプロフィール

デール・ミナミ氏は、1946年10月13日カリフォルニア州ロサンゼルスで生まれ、同州のガーディナで育った日系三世の男性です。1968年、南カリフォルニア大学で政治学の学士号を取得し、卒業時(学業優秀者に贈られる)magna cum laude(優等賞)を受賞、同時にPhi Beta Kappa(全米最古で終身会員制の優等学生友愛会)の会員資格を授与されました。そして1971年、カリフォルニア大学(バークレー校)Boalt Hall School of Lawで法学修士号を取得しました。ミナミ氏は、Asian Law Caucus, Inc.、Asian Pacific American Bar Association of the Greater Bay Area、The Asian Pacific Bar of California, the Coalition of Asian Pacific Americansの共同創立者です。

ミナミ氏は、アジア太平洋系アメリカ人およびマイノリティーの公民権に関わる(数多くの)重要な訴訟に関わってきました。そのひとつに、コレマツ対アメリカ合衆国があります。これは、当初米連邦最高裁が(日系アメリカ人を隔離し収容することへの合憲性を)支持するという重要な判決を下し、40年前にコレマツ氏が、第2次世界大戦中に日系アメリカ人に出された退去命令を拒否した罪で有罪となったのを覆す訴訟でした。その他には、1)アジア太平洋系アメリカ人(全体)を代表してアジア太平洋系アメリカ人が起こした初の雇用をめぐる集団訴訟、United Pilpinos for Affirmative Action対California Blue Shield(保険機関)。2)アジア太平洋系アメリカ人を代表し、ワシントン州立大学にアジア系アメリカ人研究プログラムを開設するよう要求した集団訴訟、スポケーンJACL(日系アメリカ人市民同盟)対ワシントン州立大学。3)終身在職権を不当に却下されたことを申し立てたことで、教育の場で差別があると公に報道された為、最終的に学校側から終身在職権を与えられた、ナカニシ対UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)など、重要な訴訟に関わってきました。

ミナミ氏は、カリフォルニア大学バークレー校およびカリフォルニア州オークランドのミルズカレッジで教えた経験があり、State of California's Fair Employment and Housing Commission、State Bar of California(カリフォルニア州法曹協会)、およびJudicial Nominees Evaluationのコミッショナーを務め、更にAttorney General’s Asian/Pacific Advisory Committeeの委員長、Senator Barbara Boxer’s Judicial Screening Committeeのメンバーを務めています。また1994年には、クリントン大統領の任命によりCivil Liberties Public Education Fund Commissionの委員長を務めました。現在は、サンフランシスコを拠点とするミナミ・リュー・タマキ法律事務所のパートナーとして、人身傷害およびエンターテイメントの法律を専門に活躍しています。(2003年2月8日)

George Ariyoshi
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ジョージ・アリヨシ

知事選出馬を決意 (英語)

民主党政治家。3期ハワイの知事を務めた。(1926年生)

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Francis Y. Sogi
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フランク・ソギ

在日アメリカ人の弁護士として従事(英語)

弁護士、MIS退役軍人、フランシス&サラ・ソギ財団創設者 (1923-2011年)

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Francis Y. Sogi
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フランク・ソギ

弁護士としての役割(英語)

弁護士、MIS退役軍人、フランシス&サラ・ソギ財団創設者 (1923-2011年)

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Lorraine Bannai
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ロレイン・バンナイ

「コレマツ対合衆国」裁判を読んで感じた怒り (英語)

弁護士(1955年生)

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Lorraine Bannai
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ロレイン・バンナイ

「コレマツ対合衆国」裁判が与えるアメリカの自由人権への脅威 (英語)

弁護士(1955年生)

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Lorraine Bannai
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ロレイン・バンナイ

「生涯をかける訴訟」に携わったこと (英語)

弁護士(1955年生)

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Fred Korematsu
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フレッド・コレマツ

最終判決 (英語)

大統領令9066の合憲性に抗議(1919-2005年)

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Fred Korematsu
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フレッド・コレマツ

不正を正す (英語)

大統領令9066の合憲性に抗議(1919-2005年)

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Bill Hosokawa
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ビル・ホソカワ

証拠の強み (英語)

ジャーナリスト (1915 - 2007年)

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Peter Irons
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ピーター・アイロンズ

動かぬ証拠の発見 (英語)

戦時中の裁判の再審要求を担当した弁護士(1940年生)

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Peter Irons
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ピーター・アイロンズ

コレマツ裁判の終結 (英語)

戦時中の裁判の再審要求を担当した弁護士(1940年生)

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Peter Irons
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ピーター・アイロンズ

学ぶべき教訓 (英語)

戦時中の裁判の再審要求を担当した弁護士(1940年生)

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Chiye Tomihiro
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チエ・トミヒロ

聴聞会の証人委員としての役割 (日本語)

JACLシカゴ支部の補償委員会の委員長

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A. Wallace Tashima
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A. ウォーレス・タシマ

人種差別に遭うアジア系アメリカ人弁護士(英語)

連邦控訴裁判所での職に任命された初の日系アメリカ人(1934年生)

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