ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1421/

ドジャースと日本の関係(英語)

(英語)1956年、ブルックリン・ドジャースは日本を訪れ、親善試合のために1か月滞在しました。この滞在は日本でかなり話題になり、メジャーリーグは日本ファンの人気を獲得していきました。その後、1966年、ロサンゼルス・ドジャースは2度目のツアーを行い、大変な盛り上がりを見せました。

1993年、ドジャースは台湾と福岡を訪れ、親善試合を行いました。日本とドジャースに関わる歴史の多くが、僕の義父、アイク・イクハラがドジャースに所属した1965年に始まりました。また、ドジャースと日本には1956年からの強い関係があり、日本で人気があったからこそ、ドジャースが野茂英雄と契約を結ぶことができたのだと思います。

ほとんどの日本人がドジャースに親近感を持っていました。特に、プロ野球関係者がそうでした。読売ジャイアンツがドジャースのキャンプに5回参加し、ベロ・ビーチ・キャンプの様子は全て映像記録に収められ、全ての日刊紙が、ドジャースと読売ジャンアンツの選手が一緒に映る写真を掲載しました。そういったことが、ドジャースの日本での存在感に、歴史的にも貢献したのだと思います。


運動競技 野球 親善試合 野茂英雄 スポーツ アメリカ合衆国

日付: 2014年3月21日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: マーク・ランギル

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

エーシー・コオロギ氏は、ロサンゼルス・ドジャースの元アジア部門部長として、また、球団オーナーのピーター・オマリー氏のアシスタントとして20年間ドジャースに所属しました。現在は、MVPスポーツグループでアジア部門部長を務めています。コオロギ氏は、20年間のドジャースでの仕事の中で、野茂英雄、斎藤隆、黒田博樹、パク・チャンホ、郭泓志といったメジャーリーグのスター選手の人気獲得に貢献しました。ディスカバー・ニッケイによるコオロギ氏のインタビューは、全米日系アメリカ人博物館で開催された「ドジャース:ゲームの同志」展に併せて行われました。(2014年9月)

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(1957年生まれ) ハワイ州最高裁判所判事。