ディスカバー・ニッケイ

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テッサク


2016年12月19日 - 2023年2月19日

テッサクは、第二次世界大戦中にトゥーリー レイク強制収容所で発行されていた短命の雑誌の名前です。また、「有刺鉄線」という意味もあります。このシリーズは、日系アメリカ人の強制収容に関する物語を明るみに出し、親密で率直な会話で、これまで語られなかった物語に光を当てます。テッサクは、過去の教訓を忘れてはならない文化的、政治的時代を迎えるにあたり、人種ヒステリーの結果を前面に押し出しています。



このシリーズのストーリー

浅野節子 - パート 1

2020年11月13日 • エミコ・ツチダ

「私の家族、両親はすぐに親米派になりました。彼らの精神は完全に一変しました。」 — 浅野節子浅野節子(泉)は、1932年3月3日、ひな祭りという縁起のいい日に生まれました。ひな祭りは、日本の女の子の節句の毎年のお祝いです。節子の家族には5人娘がいて、息子はいなかったため、節子の誕生がそのような日に当たるのは、おそらくふさわしいことだったのでしょう。セッツは一世の両親のもとに生まれました。母親は熟練した助産師兼看護師、父親はジャーナリストで、主に農村に配布される日本語新聞の執…

大山次郎 - パート 4

2020年9月27日 • エミコ・ツチダ

パート3を読む>>忠誠心アンケートの後で、空白部分を埋めるために戻って質問するとしたら、あなたは徴兵されたのですか、それとも志願したのですか? 私は徴兵されました。高校を卒業してキャンプを終えた後、シンシナティ大学に進学しました。アメリカ友人奉仕委員会が奨学金を支給してくれました。確か 200 ドルくらいだったと思います。私は姉と一緒に住んでいます。姉は独身で、シンシナティでメイドとして働いていました。姉が家を出て、私がアパートを引き継ぎました。当時独身だった弟…

大山次郎 - パート 3

2020年9月20日 • エミコ・ツチダ

パート2を読む>>サンタアニタにはどれくらいいましたか? 8 か月くらいだったと思います。群衆に慰めを与えるために、ハワイアン シンガーとダンサーのグループがいて、親密なエンターテイメントを楽しめるステージもありました。教育を維持するためにクラスも開こうとしましたが、まったく成功しなかったと思います。その後、サンタ アニタでは、迷彩ネットの製造を開始するプログラムが進行していました。スタンドでは、迷彩ネットを作る作業員がいて、1 日に 6 ドルか 8 ドルくらい…

大山次郎 - パート 2

2020年9月13日 • エミコ・ツチダ

パート 1 を読む >>これは実は良い話です。真珠湾の話になるからです。あなたのお父様は亡くなり、お姉さんが世帯主になったようですね。真珠湾攻撃があった日のことを覚えていますか?それは姉が結婚した2年後のことでした。つまり、妹と弟と私です。2番目の姉のミニーは食料品店を経営していました。弟は当時、UCLAに通い始めていました。私は16歳くらいでした。それでパール ハーバーでは、日曜日の午後は店を閉めていました。ラジオでパール ハーバー攻撃の知らせを受け取ったのを…

大山次郎 - パート 1

2020年9月6日 • エミコ・ツチダ

「そして私はそこに立って、周りを見回して、みんなが襲撃を心配していて、私に注目していることに気づきました。他の日本人のことも考えませんでした。悪いのは私でした。」 — 大山次郎大山次郎の長く実り多い人生は、アメリカンドリームの実現の真髄を体現しています。ロサンゼルスのボイルハイツ地区の勤勉な家庭に末っ子として生まれた彼の幼少期は、悲劇的で困難な出来事で彩られていました。彼が9歳のとき、父親は漁船での仕事の後、長い闘病生活の末に亡くなり、母親は一人で4人の子供を育てなければな…

リチャード・ヤマシロ - パート 4

2020年6月1日 • エミコ・ツチダ

パート3を読む>>奥様とはどうやって知り合ったのですか?そうですね、私は軍隊にいたので、USOダンスパーティーに行きました。そこで彼女に会ったんです。彼女は日系アメリカ人ですか?ええ、それはまた別の話です。私は結婚したかったのですが、まだ20歳でした。それで両親に結婚の許可をくれるか尋ねたところ、両親は「ダメよ、私は若すぎるから」と言いました。それで私とガールフレンドは飛行機に乗ってリノに行き、リノで結婚しました。そして私が帰ってくると、義理の母が「仏教の教会で…

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このシリーズの執筆者

エミコ・ツチダはサンフランシスコ在住のフリーランスライター兼デジタルマーケターです。混血のアジア系アメリカ人女性の表現について執筆し、トップクラスのアジア系アメリカ人女性シェフ数名にインタビューしてきました。彼女の作品は、ヴィレッジ・ヴォイス、アジア系アメリカ人メディアセンター、近日発売予定の「Beiging of America」シリーズに掲載されています。彼女は、強制収容所を体験した日系アメリカ人の体験談を集めるプロジェクト「Tessaku」の創始者でもあります。

2016年12月更新