「花嫁のアメリカ」実録

第二次大戦後にアメリカ人将兵に嫁いだ日本人女性、そして80年代にGIと結ばれた日本人女性まで、幅広い世代の「アメリカ軍人と結婚して渡米した花嫁」たちの軌跡を追う。
このシリーズのストーリー

2006年渡米、カリフォルニア州サクラメント近郊在住~順子・クエストさん
2018年6月18日 • 福田 恵子
横田基地内で偶然の出会い 東京の八王子で生まれ育った順子さんは、「幼稚園の頃から、泣き声も大きくて、先生からも『意見をはっきり言う子だね』」と言われていました」と振り返る。将来は漠然とアニメの声優か、警察犬の訓練士になりたいと夢見ていた。早く社会に出たい! と思っていた順子さんは高校を中退、東京都下の横田基地で働き始めた。「私の父が若い頃に米軍基地で車両部の運転手を務めていただけでなく、母方の祖父も基地内でシビルエンジニアとして定年まで働いていたんです。父はその後、転職し…

1996年渡米、バージニア州ヨークタウン在住 ~ かおる・ホリデーさん
2018年4月4日 • 福田 恵子
横田基地で歯科衛生士に・駆け落ち同然で結婚 現在はバージニア州でエステティシャンとして働くかおるさんの出身地は東京の郊外、立川市。前回、東京オリンピックが開催された1964年の生まれ。 「毎朝、テレビでやっていた旅行番組を見てから学校に行くのが日課でした。小学校の卒業文集にはジャーナリストになりたい、と書きました。世界を駆け巡って活躍することを夢見ていました」 世界を夢見る少女は、高校卒業後に歯科衛生士の学校に通い、資格を取得した。そして、米軍の横田基地で働く叔父から…

1981年渡米、カリフォルニア州アーバイン在住・ブデイ博美さん
2016年7月29日 • 福田 恵子
出会いは普天間基地近く アメリカ将兵と結婚して渡米した日本人女性を取り巻く環境は、時代が変われば大きく異なる。南カリフォルニア、オレンジ郡に住むブデイ博美さんは沖縄県那覇市生まれ、2016年5月の取材時点で56歳。短大に通っていた20歳の時に、ひとつ年上のスティーブさんに出会い、21歳で結婚した。スティーブさんとは、彼の駐屯先の普天間基地近くにあった、友人経営のロック音楽が流れるバーで知り合った。「たまたま大量のアイスクリームをもらったので、大きな冷蔵庫がある、その店に持…

1956年渡米、カリフォルニア州オンタリオ在住・ロペス文子さん 〜その2〜
2016年7月1日 • 福田 恵子
その1を読む >> 初めての里帰り、父のにぎりめし 1956年、サンフランシスコに到着した文子ロペスさんと夫のルイスさんは、グレイハウンドバスでカリフォルニアを南下、ロサンゼルス市内のルイスさんの妹の家のガレージを改装した一部屋に身を寄せた。 「家もない、車もない、お金もない、ないない尽くし。スーツケース1つからのスタートでした。ガレージの部屋にはキッチンもトイレも付いていませんでした。主人はアーミーの勤務で食堂を担当していました。何百人という軍関係者が食事をする食材…

1956年渡米、カリフォルニア州オンタリオ在住・ロペス文子さん 〜その1〜
2016年6月30日 • 福田 恵子
第一印象は「正直な人」 30年前に出会った1冊の本「花嫁のアメリカ」。戦後、アメリカ人将兵と結婚して海を渡った日本人女性たちの半生が綴られた内容に深い感銘を受けた私は、今もアメリカで生活している彼女たちの肉声を聞きたいと望んだ。時間はあまり残されていない。数名の知り合いにeメールで手助けを依頼すると、早速、ある知り合いがロペス文子さんという女性を紹介してくれた。最初に電話で文子さんと話した時、その闊達とした話し方が強く印象に残った。そして「私の身に起こったことはすべて事実…
国際基督教大学を卒業後、東京の情報誌出版社勤務を経て1992年渡米。ロサンゼルスの日本語情報誌の編集長を2003年まで務めた後、同年フリーランスとして活動開始。人物取材、アメリカの教育事情、日本食事情などをテーマに取材を続け、2024年に郷里の大分に活動拠点を移す。その後もオンラインを通じて取材執筆活動に従事。ウェブサイト: https://angeleno.net
(2024年10月 更新)
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