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第3回 元デカセギ子弟、島野パトリシアさん ー ブラジルへ帰国
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リーマンショック後にブラジルへ
【深沢】ブラジルに戻ってきたのは、どういうタイミングだったの?
【島野】2009年、つまりリーマンショックの後ですね。
【深沢】日本に行…
深沢 正雪 • 2018年10月1日
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第2回 元デカセギ子弟、島野パトリシアさん - 高校進学と母の急死
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素晴らしい先生との出会いで道が開けた
【深沢】高校も日本で行ったんですか。
【島野】はい。英語の先生のおかげで行けたんです。岡崎市内で初めて公立高校に入った外国人が私なんで…
深沢 正雪 • 2018年9月24日
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第1回 元デカセギ子弟、島野パトリシアさん ー 10歳で母と共に日本へ
四世ビザが成功して五世、六世まで訪日就労しながら日本文化を学べるようになるならば、この査証制度は日系社会の将来を左右する大事な制度ではないか――そんな問題認識に基づいて、元デカセギ子弟で帰伯後にブラ…
深沢 正雪 • 2018年9月17日
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先祖とつながるために踊る四世、ウェンディ・コハツ
ウェンディ・コハツさんは幼い頃から踊りを作ってきました。日本人の曽祖父母から叔父まで家族の影響を受け、沖縄の音楽と踊りは常に彼女の生活の日常風景の一部でした。彼は家族とともに成長する人のように、彼ら…
エンリケ・ヒガ・サクダ • 2018年7月12日
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「YES」か「NO」 それぞれの決断:祖父の体験語り継ぐ孫たち ー 第1部
絵を通して伝えるロブ・サトウさん
第二次世界大戦中にヨーロッパ戦線に投入された日系人部隊「第442連隊」や、強制収容所での人々の様子を描いた日系人画家ロブ・サトウさん。サトウさんの祖父は戦時中…
吉田 純子 • 2018年6月5日
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シアトルのドラゴン — 井手口家の歴史
最初、彼女の電話が何千マイルもの海を越えて私の電話に繋がったとき、私はシアトル大学の寮の部屋に座り、彼女はハワイの自宅に座ったままだった。彼女の明るい声を聞くと、すぐに笑顔になり、家族との再会やハワ…
シャーロン・イデグチ • 2018年5月28日
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初めて知る日系移民ヒストリー ~イデグチ・ファミリー~
2017年9月、私は1年間の交換留学のためにシアトルに来た。東京で生まれ、21年間を家族と共に生活してきた私は、海外での長期生活は楽しみよりも不安のほうが大きかった。大学の授業では、内容を理解するこ…
長谷川 美波 • 2018年5月28日
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シカゴの三世四世体育協会バスケットボールクリニック
第二次世界大戦前、シカゴにはおよそ 400 人の日系人が住んでいました。1945 年までにその数は 2 万人に増加し、その大部分は第二次世界大戦中に米国戦時移住局が設置したさまざまな強制収容所から移…
エリック・マツナガ • 2017年2月15日