セリア・アベ・オオイ
(Célia Abe Oi)
ジャーナリスト、歴史家。「日伯毎日新聞」ポルトガル語ページ編集長、その他ブラジル日系社会の邦字新聞などで活躍した。1998年―2007年、ブラジ ル日本移民史料館館長をつとめる。主な著作として、「野球という情熱の物語」「ピラチニンガの50年―ある時代の二世たち」がある。
(2007年12月 更新)
この執筆者によるストーリー
コウタクセイ: 歴史的な 80 歳の誕生日のお祝い - パート 2/2
2012年1月12日 • セリア・アベ・オオイ
パート 1 を読む >> 80周年記念式典祝賀会は以下の団体によって主催された。ベレンに拠点を置き、ホセ・シゲヨシ・オノが会長を務めるAssociação Koutaku do Pará。マリオ・バローゾ・タケトミ氏が会長を務める日伯パリンチンス協会と、マナウスに拠点を置きヴァルディール・ヒサシ・サトウ氏が会長を務めるコウタク・ド・アマゾナス協会。この祝祭に関して、アマゾナス公園協会のサンパウロ代表であるアンタン池上氏は、祝祭が10月21日にベレンで開催されたと報告している…
コウタクセイ: 歴史的な 80 歳の誕生日のお祝い - パート 1/2
2012年1月5日 • セリア・アベ・オオイ
2011 年 10 月 20 日にアマゾナス州議会によって公布されたこの法律は歴史的なものでした。ジュート栽培はアマゾナス州の経済発展のサイクルとして認識されるようになりました。さらに、その法律には「正式な謝罪」が含まれていました。第二次世界大戦中に犯された「行き過ぎ」に対して。確かに、これはブラジルへの日本人移民の歴史の中で最も重要な象徴の一つが込められた行為であった。祝賀と賛辞とともに、アマゾンにおけるコウタクセイの植民地化運動開始80周年に、これまで想像もできなかった…
文京区にて、受賞者の田中誠氏と遠藤博氏を追悼
2011年12月29日 • セリア・アベ・オオイ
12月13日夜、家族、友人、日系ブラジル団体の代表者ら約70人がノーブルホールに集まり、平成23年に勲章を受章した田中誠氏(旭日勲章)に敬意を表した。太陽、金銀の光線)と遠藤博(旭日小綬章)。35の共同推進団体を代表して受賞者に挨拶するのは文京区の北喜八郎会長であり、文京区長は次のように強調した。日本人とその子孫が新たな故郷として選んだこのブラジルの地で行った活動の重要性。」北学長は、叙勲を受けた田中氏への挨拶の中で、次のように強調した。私たちにとって、この行動は私たちの活…
日系ブラジル人に関する出版物:ハイネ
2009年4月23日 • セリア・アベ・オオイ
私がこのテーマを選んだのは非常に単純な目的でした。私の日々の活動は、長年にわたり、ブラジル日本文化・社会援助協会(文協)と結びついており、ブラジルの日系移民の歴史に関連するさまざまな出版物に頻繁にアクセスしています。出版社 (有名かどうかに関係なく) が実施しているものもあります。その他、個人や家族の軌跡に焦点を当てた匿名の著者によるもの。また、自分たちの実体や活動の進化について話すグループによるものもあります。科学的な方法論を採用する人もいます。他の人は、いいえ。このよう…
永遠回帰の神話
2008年11月18日 • セリア・アベ・オオイ
2007年の統計データによると、30万人以上のブラジル人が日本で働いており、ブラジルへの移民プロセスが始まってから100年間で日本に来た約25万人の日本人を上回っている。これらの同じデータによると、30%近くがおそらく二度とブラジルに戻らないだろうと計算されており、まさに「金を稼いで母国に戻る」という目的でブラジルを訪れた人々である。興味深い:これと同じ話は、西洋の資本主義諸国のように近代化を急ぐ国の悪条件に圧迫され、植民地化の宣伝によって正当に強化され、海外の可能性が有望…
笠戸丸以前の移民小史
2007年12月21日 • セリア・アベ・オオイ
ブラジル日本移民百周年を前にして、ブラジル日本移民史料館は6月11日、「笠戸丸以前の渡伯者たち」という特別企画展を開きました。 この特別展は9階で開かれ、最初の公式移民(水野龍が推し進め、笠戸丸で渡航)が到着する前に、すでにブラジルに到着した人物たちを扱っています。 すなわち、最初の本格的な『葡和辞典』を作った大武和三郎、1906年に゙サンパウロの日本゙という店を開いた藤崎商会、判事・弁護士が前歴の隈部三郎一家の面々です。 大武和三郎と最初の葡和辞典 大武和三郎はク…