パンアメリカン日系人大会&海外日系人大会 (2007)
このシリーズでは、2007年7月18日から21日にブラジル・サンパウロで合同開催されたパンアメリカン日系人大会と海外日系人大会に於けるレポートやプレゼンテーションなどを紹介しています。
このシリーズのストーリー
日系アメリカ人コミュニティが直面する現代の問題
2008年2月14日 • アケミ・キクムラ・ヤノ
現在、米国の日系アメリカ人コミュニティは多くの課題に直面しています。これらの課題の根底にあるのは、日系アメリカ人コミュニティがますます複雑化し、分散し、多様化しているという事実です。もはや、共通の信念と歴史的経験を共有する一世、二世、三世という世代で日系アメリカ人コミュニティをきちんと定義することはできません。日系アメリカ人の 3 人に 1 人が混血または人種的血統であり、第二次世界大戦後の日本で生まれた「新一世」または「新一世」とアメリカで生まれた二世の子供たちの移民の数…
ブラジル人の日本への移民に関する現在の問題
2008年2月1日 • リリ・カワムラ
私のプレゼンテーションでは、日系ブラジル人の日本への移住について取り上げます。このプロセスは、ブラジルだけでなく日本でも増え続ける日系人の生活に大きな変化をもたらしました。主に90年代初頭から今日にかけて、日系ブラジル人が家族とともに、日系人以外のブラジル人も含めて、生活改善を目的としてブラジル-日本路線を「行き来」するケースが増えている。力強く豊かな日本のイメージの中で、テクノロジーの近代化の中で夢を求めて生きる彼らの人生。それは、高学歴化する日本人労働者に追いやられた職…
日系ブラジル人の過去と現在
2008年1月24日 • セリア・サクライ
ブラジルにおける日本人の歴史は、1908 年にブラジル政府によって正式に認められた最初の移民が到着したことで始まります。それ以来、たどる道は長く、しばしば波乱万丈なものとなりました。最初に直面した大きな問題は、ブラジルについての知識がまったく欠如していることでした。日本人は、移動先であるこの国について、その距離と、ここでは簡単に金持ちになるという宣伝以外には何も知りませんでした。同時に、ブラジル人は日本人についてほとんど知りませんでした。これは 1 つの側面です。日本人移民…
チリと日本人移民 - パート 2
2008年1月17日 • アリエル・タケダ
パート 1 >>チリの日本植民地「チリの日本植民地」という形容詞は、チリの現実にそぐわない格言にすぎない。チリには、ペルー、ブラジル、メキシコ、あるいは正式な移民が存在した国々で理解されているような「日本の植民地」はかつても存在しなかったし、存在したこともなかった。私たちの移民たちが見出した人生の可能性では、団結と永続を達成できる「日本型」複合企業体の形成は不可能でした。この概念に最も近かったのは、「兄」に近いバージョンを中心に展開し、距離を置いた関係を持つ 2 つまたは …
笠戸丸以前の移民小史
2007年12月21日 • セリア・アベ・オオイ
ブラジル日本移民百周年を前にして、ブラジル日本移民史料館は6月11日、「笠戸丸以前の渡伯者たち」という特別企画展を開きました。 この特別展は9階で開かれ、最初の公式移民(水野龍が推し進め、笠戸丸で渡航)が到着する前に、すでにブラジルに到着した人物たちを扱っています。 すなわち、最初の本格的な『葡和辞典』を作った大武和三郎、1906年に゙サンパウロの日本゙という店を開いた藤崎商会、判事・弁護士が前歴の隈部三郎一家の面々です。 大武和三郎と最初の葡和辞典 大武和三郎はク…
ブラジル日系社会の過去、現在、そして未来
2007年12月12日 • アレシャンドレ・ハツオ・ウエハラ , メアリー・マルヤマ
2007年7月18日から21日にかけて、第14回全米日系人大会(COPANI)と第48回海外日系人大会(海外日系人大会)の合同大会がサンパウロ市で開催されました。「社会の進歩における日系人の社会貢献」を主要テーマとしたこのイベントには、南北アメリカ大陸11か国(アルゼンチン、ブラジル、カナダ、チリ、コロンビア、メキシコ、パラグアイ、ペルー、米国、ウルグアイ、ベネズエラ)とアジア2か国(日本、インドネシア)から数百人が参加しました。メインの講演とパネルディスカッションは7月1…
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