
ロサンゼルスの元教員。ロサンゼルス南部で行われているフローレンス・ニシダの農園ワークショップにボランティアとして参加し、洗心寺でも活動している。趣味は読書、太極拳、オペラ鑑賞。
(2023年6月 更新)
この執筆者によるストーリー

宮本信子: アジア系アメリカ人の物語を声に出す - パート 1
2022年2月8日 • エドナ・ホリウチ
パンデミックにもかかわらず、2021年はグレート・リープの芸術監督であり活動家でもある宮本信子にとって記念すべき年でした。彼女の自伝「Not Yo' Butterfly, My Long Song of Relocation, Race,Love, and Revolution」は、6月にカリフォルニア大学出版局から出版されました。彼女の2枚組CDセット「 120,000 Songs 」は、2月にスミソニアン・フォークウェイズからリリースされ、新曲と再録音された懐かしの曲が…

大久保ミネの卓越した芸術性
2021年11月12日 • エドナ・ホリウチ
ミネ・オオクボによる気まぐれな絵は、ロサンゼルスのダウンタウン上空を熱気球で漂う家族と犬を描いており、前景には特徴的な市庁舎の建物が描かれています。この主題は、Citizen 13660 のキャンプの絵とはまったく異なります。大久保は、1965年から1975年の間に、日系アメリカ人新聞「カシュウ毎日」のホリデー版のためにこのスケッチを描きました。この絵は、1998年にカシュウ毎日編集者兼発行人のヒロ・ヒシキ氏から全米日系人博物館に寄贈された大規模なコレクションの一部です。ロ…

ミネ・オオクボ
2019年10月3日 • エドナ・ホリウチ
ミネ・オオクボは、日系アメリカ人強制収容所での体験を記録した画集、『市民13660号』でもっとも良く知られるアーティストです。私がカリフォルニア大学リバーサイド校の学生だった1979年、ミネは私のヒーローになりました。当時20代の若い女性だった私は、第二次世界大戦を生き抜いた“最も偉大な世代”のひとりであるミネの偉業に勇気づけられる思いでした。ミネは、自分の心に従い、堂々と生きていました。女性アーティストとしても、人生においても自らを貫き、困難な経験はミネをより強い人間に成…

熊本の親戚と会う
2018年10月19日 • エドナ・ホリウチ
私が初めて日本を訪れたのは、2016 年の夏でした。父方の母方の親戚で、最近知り合った南の人たちに会うのがとても緊張しました。もし私が彼らのことを好きになれなかったら、あるいは彼らが私たちを好きになれなかったらどうしよう。トレーダー ジョーズで慎重に選んだ贈り物やお土産をスーツケース一杯に詰めて持参しました。私は、カリフォルニア大学バークレー校の3年生で1学期の留学をしていた息子のケンゾーを訪ねていました。私たちが最後に一緒に旅行したのは、彼が高校生の時で、母親と一緒に旅行…

かつての菩提寺を訪ねて
2018年10月3日 • エドナ・ホリウチ
1939年に撮影された曽祖父とその家族の写真に写っている寺の門に触れることになるとは思ってもいませんでした。しかし、私は今、日本の山口にいて、うやうやしく風化した木の柱を撫でたり寄りかかったりしながら、「西光寺」の看板を称賛していました。私は、大学3年生のときに1学期留学していた息子の健三を訪ねていたのです。この旅は、私がまだ20代の若い女性だった約40年前から始まりました。私は曽祖父の織田信之とその家族が写った古い白黒写真に興味をそそられました。彼らは、山口県にある家族の…

レストランの思い出
2017年8月18日 • エドナ・ホリウチ
リトル トーキョーで私のお気に入りのレストランは、スエヒロズです。サン ペドロとアラメダの間のファースト ストリートにある小さな日本食レストランです。以前は家族経営の小さなレストランのようでしたが、急速に高級化する近隣地域に合わせて最近改装されました。今ではよりエレガントになり、ワイン バーも併設されていますが、居心地が良くおいしい料理は変わりません。 私は、栄養たっぷりのスープと熱々の麺が入った鶏すき焼きが好きです。野菜の中に隠れている歯ごたえのある椎茸をいつも探します。…
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