橋本 裕美子

(はしもと・ゆみこ)

兵庫県神戸市生まれ、97年よりロサンゼルス在住。日系コミュニティ紙に編集者としての勤務していたが、近年はフリーランスライターとしてローカル情報を 中心に記事を執筆。日本にいたころは、第二次世界大戦時の強制収容所はおろか、“日系人”という言葉さえ、耳にすることもなかった。「日系人の存在を少し でも身近に考えてもらえれば」。その思いで「ディスカバー・ニッケイ」のサイトに寄稿している。

(2008年10月 更新)

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生活排水の再利用から誕生した サンフェルナンドバレーの日本庭園「水芳園」 - 今後の継続のために、ぜひ訪問を!

12月中旬、雨上がりの「水芳園」を訪れました。サンフェルナンドバレー、ヴァンナイズのティルマン下水再利用プラント内にある日本庭園です。 訪問にあたり、前もって電話にてドーセント(ガイド)をお願いしておきました。運が良かったのか、この時間に予約したのは私一人。ドーセントのジュリー・ウーさんと二人で廻ることになりました。 この日本庭園が造られた歴史から始めることにしましょう。 「水芳園」がある下水再利用プラントの正式名称は、「Donald C. Tillman Water Reclamation Center」。ドナルド・ティルマンは、ロサンゼルス市の水道技術者だった人です。60年代、市の水道局に勤務していたティルマンは、サンフェルナンドバレー地区の下水量増加という問題を抱えており、解決策として二つの選択肢を迫られました。一つはロサンゼルス地区の巨大プラント、ハイペリオン下水処理場に送られる下水管を増設すること、そしてもう一つは水の再利用施設を作ることでした。 ティルマンが選んだのが後者。下水(生活排水)が、いかにきれいな水に戻されるのか、市民に知ってもらいたいという考えからです。そこで、UCLA時代、日本庭園に造詣の深いカワナ・コウイチ教授に学んだティルマンは、処理された下水を活用した日本庭園を思いつきました。カワナ教授による全面的な協力を取り付け、日本庭園の造園計画が始まりました…

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ニッケイ・シニア・ガーデンズを訪ねて -サンフェルナンドヴァレーに生まれた日系高齢者向け住宅で“敬老”精神を実践-

昨年1月下旬、サンフェルナンドヴァレーのアーレタ市に介護付き住宅施設「ニッケイ・シニア・ガーデンズ」が誕生した。その名の通り、日系アメリカ人の高齢者を主な対象とした施設だ。まだ木々の成長も初々しい「ニッケイ・シニア・ガーデンズ」を訪ねた。 施設を案内してくれたのは、エグゼクティブ・ディレクターのアラン・スライトさん。施設の管理者は日系人と思い込んでいた私は、白人のスライトさんを見て、少しびっくり。日本人らしい先入観だった、ここはアメリカなのだ。 聞けばスライトさんは、この施設を管理する会社シニョリティーから派遣されているという。同社はサンフランシスコにある日系高齢者向け住宅「ココロ」を管理しており、それが縁で「ニッケイ・シニア・ガーデンズ」も手がけることになったとか。 「ニッケイ・シニア・ガーデンズ」は、同施設から歩いて10分のところにあるサンフェルナンドヴァレー・ジャパニーズ・アメリカン・コミュニティ・センターの有志によって企画された。彼らが施設のために新会社を起こし、10年以上の年月をかけて認可の申請を行い、資金を集めた。実際に建設が始まったのは2007年からだという。昨年オープンして、現在の入居者は85名。入居占有率は86%に上る。不況時にしては高い数字なのだそうだ(入居者は日系人がほとんどだが、限定されているわけではない。人種の指定は法律で禁じられているからだ)。 スラ…

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40ファミリーズ・ヒストリー・プロジェクト -20世紀初頭のパロスバーデスに住んだ日本人移民・地元図書館が記念写真の40家族の歴史をたどる-

「写真を見ていて、彼らは誰なのかしらと思ったのです。どの人とどの人が家族なのか、家族をひとまとめにできないかしらと」 パロスバーデス図書館地区(Palos Verdes Library District)の司書、マージーン・ブリンさんは、勤務するペニンシュラ中央図書館の郷土史ルームの壁にかかる、日系人家族たちの写真を見て思いついた。 中央下部に記された写真説明には、漢字で「北米合衆国加州サンピドロ港に於ける農業組合ホール落成式記念撮影 大正十二年十一月弐四日」とある。パロスバーデス半島南部に建設された日系の農業組合施設の開館を祝って撮影されたもので、撮影日は1923年11月24日ということらしい。一人一人数えると、男女子ども合わせ総勢187人。農業を営んでいたというだけあって、どの顔も日焼けしている。ほぼ全員が日本人/日系人だが、中央に3人だけ白人の姿が見える。後の調査で宣教師ということが分かっている。 ブリンさんのお話を進める前に、パロスバーデスと日本人移民について述べておこう。パロスバーデス地区は、ロサンゼルス郡の一部で、ダウンタウンの南西に当たる半島部分。気候がよく、風光明媚なことから白人裕福層の多い高級住宅地とされている。多くの日系企業が進出しているサウスベイ地区に近いため、余裕のある日本人駐在員らも住んでいる(もはや高級すぎて、一介の会社員には手が出せないかもしれない…

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米で指圧師歴29年のベテラン、目時強さん-数々のミラクル施術も 「良くなった」と言われるのが嬉しい-

アメリカに来て、一般のアメリカ人に普及していることに驚いたもの…スシ、カラオケ、クロサワ、ハローキティ…。そしてもう一つ、シアツだ。リトル東京で「E-Z 指圧&マッサージ」を経営する目時強(めとき・つよし)さんは、1981年からアメリカで指圧師として働き始めた。まだほとんどのアメリカ人が、ツボを押される心地良さを知らなかった頃だ。 アメリカで働き始めた頃は、お客さんはアメリカ人が大半だった。「お客さんには嫌がられました。私が強く押すから嫌だって言うんです。そういうお客さんばっかりだったですね。こちらでは指圧が使えないと分かりました」 目時さんは、日本で指圧師の学校に通いながら、治療院でインターンとして働いていた頃、お客さんの一人で、不動産業を営む社長がアメリカの温泉に投資していることを知った。そこに日本人の指圧師を連れて行きたいというのである。もともとアメリカが好きで、移住するのにビザが取りやすいとの話を聞きつけ、指圧を勉強していた目時さんには“渡りに舟”の話。すぐに飛びついた。 80年代初頭と言えば、まだ日本が右肩上がりの好景気の時代、目時さんは、くだんの社長が投資していたシティ・オブ・ブレア(オレンジ郡)のラビダ温泉で働き始めた。日本で指圧を受けに来るお客さんは、たいてい肩のこりや腰痛など体の不具合を訴えるが、ラビダ温泉…

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寿司の原点を守り続ける職人 関利彦さん-ロサンゼルス・リトル東京だからこそ追求できる日本の味

「東海岸で苦労?全然してないけどね」 人懐っこい顔とは、こういう人のことを言うのかもしれない。トシさんは、カウンターの向こうから笑った。「何か苦手なものある?」 リトル東京・全米日系人博物館の3軒隣にあるお寿司屋さん、利寿司(としすし)。カウンターでお寿司を握っているのが、この店のオーナーでもある、関利彦さんだ。誰からもトシさんと呼ばれている。トシさんは、3年前にコネチカット州からロサンゼルスにやって来たばかりだ。 「ニューイングランド地方(コネチカット、NY、マサシューセッツ、ニューハンプシャー、バーモント、ロードアイランドの6州)の中で、僕のお店はZAGATで26ポイントをもらった。何百のレストランの中からナンバーワンだったからね。嬉しいよね、ちゃんと分かる人は分かってるんだなって。でも、このお店には(ZAGAT評価状を)置いてないよ。アワード取りましたとか、何もないでしょ。“今”が大事だからね」 トシさんは、1981年、19歳でアメリカにやって来た。もうアメリカ暮らしは28年になる。 「おじさんが東京品川でお寿司屋さんをやっていて、僕もお店を手伝っていたから、自然とお寿司は身についてた。お寿司は作れなくても、仕込みができたからね。アメリカで最初に入ったのは、サンディエゴのカツラ・レストランというところ。そこでお寿司とキッチンをして、グリーンカード…

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