このほど日本語訳が出版された『セツコの秘密 ハートマウンテンと日系アメリカ人強制収容のレガシー』(シャーリー・アン・ヒグチ著、イーコンプレス)は、日系3世の著者が自身の家族の歴史を、戦時中の日系人の収容の問題をたどりながら刻銘に描いた力作である。
訳者は、東京新聞記者で城西国際大客員特定研究員の岩田仲弘さん。オリジナルの『Setsuko’s Secret: Heart Mountain and the Legacy of the Japanese American Incarceration』(University of Wisconsin Press、2020年)を翻訳するに至った経緯や本書の魅力などについて、岩田さんに聞いた。
ダニエル・イノウエ氏との出会い
——どのようなきっかけでこの本を翻訳することになったのですか。
岩田: 2019年5月、私は特派員としてワシントンに赴任しました。ワシントンは2回目です。後ほど説明しますが、前回(2008年〜11年)の赴任中、ダニエル・イノウエ上院議員(故人)と出会って以来、今度赴任する機会があれば、日系アメリカ人の歴史を深掘りしたいと思っていました。
赴任直後、スミソニアン国立アメリカ歴史博物館で日系人研究を続ける實藤紀子さんから7月にワイオミング州のハートマウンテン強制収容所跡地の「巡礼行事」を取材しないかと誘われ、ハートマウンテン財団理事長で原著者のシャーリー・アン・ヒグチさんを紹介してもらいました。巡礼とは、強制収容の経験者やその家族が集まって、過去の不幸な歴史を決して繰り返させないと誓う行事です。現地でシャーリーさんのインタビューも行いました。そうした縁があって、翻訳を依頼されました。
巡礼行事では、昨年亡くなったノーマン・ミネタ元運輸長官をはじめ、強制収容の経験者に数多くインタビューする機会に恵まれましたが、原著には、短時間のインタビューでは到底掘り起こすことができなかった、それぞれの壮絶な人生が描かれていました。シャーリーさんの家族やハートマウンテンに縁のある人たちを通じて日系移民の歴史を大きく俯瞰できるノンフィクションをぜひ自分の手で訳したいと思っていたので、喜んで手を挙げました。
——原書は336ページあり、翻訳にもかなりの時間がかかったのではないでしょうか。お仕事の合い間にされていたと思いますが、どのくらいの時間(日数)を費やしましたか。
岩田: 2021年5月に帰国し、7月から着手したので、足かけ2年近くを要しました。帰国後は、デジタルニュースの配信部門に配属され、拘束時間も長かったため、休みの日に集中して取り組みました。
——岩田さんと日系、あるいは日系人をめぐる出来事との関りはどのようなことからはじまったのですか。
岩田: 最初のワシントン赴任で、ダニエル・イノウエ上院議員と出会ったことが、日系人に大きな関心を持つきっかけです。2009年のオバマ政権誕生後、すでに50年近く上院議員を務めていた連邦議会の重鎮を日本政府は米政府との太いパイプとして頼りにしており、取材を通じて、ベテラン上院議員がいかに尊敬されているかを目の当たりにしました。
例えば当時、国務長官に就任したヒラリー・クリントン氏は初の外国訪問先に日本を選びました。日本政府は、クリントン氏に北朝鮮による拉致被害者家族との面会を求めましたが、日程が過密でなかなか入れられませんでした。それを知ったイノウエ氏はおもむろにクリントン氏を国務省に訪ね、日本政府の意向を直接伝えました。国務長官就任前に上院議員を8年務めたクリントン氏にとって、在任50年近いイノウエ氏は大先輩です。「あなたがそうおっしゃるなら」と、その場で家族との面会が決まったそうです。当時、外務省幹部から聞いた逸話です。
同じ年、日本との関係強化を図るため、イノウエ氏の妻アイリーン・ヒラノ・イノウエさんが日系人の有識者らで構成する米日カウンシルを設立しました。その設立総会には、当時副大統領だったバイデン現大統領がお祝いに駆けつけ、びっくりしました。バイデン氏が「ダニーとは長い付き合いで‥」と冗談を交えながら祝辞を送っていたのを、ぽかんと口を開けながら眺めていたのを今でも覚えています。
そんなイノウエ氏を2010年1月、直接取材する機会がありました。日本人記者団を上院の歳出委員長室に招いて、当時紛糾していた米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題について会見を行ったのです。あいさつで握手しようと右手を差し出したら、左手で握ってくれて、ぎくっとしました。恥ずかしいことに、その時初めて、彼が日系人部隊・442連隊戦闘団の一員として欧州戦線で右腕を失ったことを知ったのです。
アメリカ市民でありながら、旧日本軍の真珠湾奇襲により、敵性外国人のレッテルを貼られ、人種差別によって憲法からさえ見放されたものの、アメリカ市民であることを証明するために命がけで祖国のために戦い、奉仕し続け、さらに日米の橋渡しに努めている。当時は深掘りする余裕がありませんでしたが、もし2回目のチャンスがあれば、ぜひ取材したいと思っていました。残念ながらイノウエ氏は亡くなってしまいましたが、日系人の歴史を深掘りしたいという思いは募りました。
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