「ヒロちゃん、ごはんよ!」と、母の声で、私は飛び起きました。温かいご飯と栄養満点のみそ汁で、私の楽しい一日が始まるのでした。
1960年代後半から1970年代後半ぐらいまで、サンパウロ州オスヴァルド・クルスの町に私たちは住んでいました。当時、日本食の材料がなかなか手に入らなかったので、日系人たちは、いろいろ工夫をしていました。私の母もそのひとりでした。末っ子の私は刺身が大好きなので、母はイワシの刺身を作ってくれました。う庭にはハイビスカスが植えてあり、その花のがくで作った「ウメ」を梅干しの代わりにして味わっていました。
我が家のご飯はブラジル風の味付けご飯とは違い、白ご飯でした。ブラジルの米かもち米を混ぜて炊いていました。当時、もち米は高級品だったので、特別の時にだけしか食べられませんでした。そして白ご飯で作ったおにぎりの美味しかったこと!子どもは誰でも大好きだと思います。
食べ物の思い出の中にいつも父が出てきます。「ヒロちゃん、ツーパンに用事があるので、一緒に行こうか」と、父が誘ってくれると、私はワクワクしながら、父の運転する車で隣町のツーパンに行ったものです。その街のバスターミナルには日系人が経営するレストランがあり、そこのなべ焼きが私の大好物でした。当時は、今のように洗練された輸入品はなかったけれど、トッピングは最高でした。かまぼこもあり、あのとろとろの卵の黄身は興味深かったです。未だにあの独特な味にまさるものは見当たりません。あのなべ焼きの汁はうちでは真似できません。
旅行のときは、お弁当が欠かせませんでした。おにぎりは、ステーキやオムレツ、ウメ、リングイッサ(ブラジル風生ソーセージ)など、どの料理ともあうので、主役でした。ただ、バスで旅行する時の漬物は厄介でした。独特の匂いをごまかすのが大変でした。
私のもう一つの好物はお雑煮です。お正月でなくても、時々食べます。しょう油味のすまし汁にお餅を入れ、刻んだネギを浮かせるのが大好きです。
食べ物に関することが、一番記憶に残っています。
両親は勉強や学んで得た知識や読書を大切にしていました。小さい家でしたが、本棚が二つあり、母好みの婦人雑誌や父が読む少年漫画、それにバルサ百科事典やブラジル文学の著名作家ジョアン・ギマランイス・ローザ、エリコ・ヴェリッシモなどの本もありました。母は読書家でした。
日本の雑誌は見た目のインパクトがあり、コンテンツが豊富なので、私は魅了されていました。おかげで、手芸が好きになり、今でもいろいろなことに挑戦しています。母はレース編みの編み図を見ながら、私に編み方を教えてくれました。
父がよく漫画を読んでくれたので、私は小さい頃から漫画に夢中になっていました。主人公のセリフや擬声語、擬態語(訳注「わんわん」、「ドキドキ」など)を感情込めて読んでくれるので、ストーリーはさらに面白くなるのでした。父と私の貴重な時間でした。そして、ストーリーの続きが早く知りたくて、次の雑誌が待ち遠しかったのです。漫画家になりたいと、日本語の勉強に励んだ時もありました。
日本製の漫画本の紙は上質で印刷技術のレベルも高度でした。当時、ブラジルではあのような子ども向けの本がなかったので、私はとても気に入っていました。
日本美術の彩、様式、繊細さに私は惹かれました。これからもずっと関わっていきたいと思っています。
父はサンパウロへ行く度に、私たちにお土産を買って来てくれました。箱に入ったクレヨンは魔法のようで、開けるのが楽しみでした!
日本の本に囲まれて育った私の夢は、日本語を習うことでしたが、通う学校がありませんでした。代わりに、「Nippongo」という、日本製の日系人向けの教科書を両親が用意してくれました。そのシリーズの一号には「空 青い空」と書いてありました。私の年代の日系人には懐かしいことでしょう。
毎年、お正月に行われる運動会は思い出深いイベントでした。オスヴァルド・クルスのスポーツ協会(ADOC)で行われ、家族全員で参加しました。私は土の地面を必死に走り、たいていは3位以内には入りましたが、幼い頃は、足が短くて速く走れませんでした。ご褒美に、子供たちはノートやペン、エンピツを貰い、特にノートをもらうと、もっと勉強したいという意欲がわき、とても嬉しかったのを覚えています。母は誰よりも走るのが速く、リレーでバトンを落とすなんてことも一度もありませんでした。
野球大会もADOCで行われ、日系の家族はお弁当を持参して観客席で楽しんでいました。思春期の女の子にはイケメンを見つけるチャンスでもありました。オスヴァルド・クルスのチームは何回か優勝しました。カーニバルダンスパーティも同じ場所で行われ、私たちはマチネと言う昼のダンスパーティには、行かせて貰えました。夜と違って、マチネなら、安心して参加できると母は言っていました。
元旦には、「あけましておめでとうございます」と、子供たちが日系人の家を訪ねる習慣がありました。その時、お年玉を貰うのが楽しみでした。人家が少ない地域で、伯母の家が一番近くにありました。姉と私はワクワクして訪ねたものでした。お年玉をどのように使ったのかは忘れてしまいましたが、貰った時の喜びは思い出に残っています。
退屈だったはずの冬休みは、あるイベントのおかげで、とても楽しい時期になっていました。それは、日本人移民移住地として有名なバストス市の「Festa do Ovo」と呼ばれるたまご祭りでした。日系人が経営する養鶏所、そこで働く日系人の勤勉さが垣間見られました。
たまご祭りでは、新しいカラフルな世界を体験することができました。バラエティーに富んだ国内製品と輸入製品。農業機械や養鶏関連のエキスポ。日本やその他の外国の食品もありました。
「Milkiss」というミルキーで甘くて美味しいドリンクにも出会いました。
ブラジルのソールフード「パステル」もあれば、うどんとラーメンもありました。各県人会は踊りを披露しました。私は手芸品を見て、職人さんの技、特に、着物姿の人形の数々に見とれていました。
盆踊りフェスティバルの時は、会館の前でいとこたちと会うのが楽しみでした。着物で踊る女性たちの輪に入って、私たちは他の人の動きを真似しながら踊りました。2歳年上のいとこは上手でした。そして一番小さかった私は、皆に付いていくのに一生懸命でした。
飾り気のない会館の大広間の隣にはお寺がありました。結婚式も誕生日パーティーも全て会館で行われました。日本語でのスピーチは長くなり、特に、お腹が空いた子供たちには試練でした。結婚式には「万歳」と「ビバァ」(ポルトガル語のViva)を交互に唱えて祝うのが常でした。
還暦を迎えた私の伯父は、日本人ブラジル移住記念日に、会館で演劇を上演しました。16歳でブラジルに移住した伯父は、遠い日本を離れて、まったく違う国で暮らし始める移民の役を演じました。
長い年月を経て、私は、今はラテンアメリカの最大の都市に住んでいます。良き古き時代は戻ってこないと分かっていますが、心に刻んだ言葉が私のライフスタイルを決めました。「楽しみ」、「もったいない」そして「ありがたい}の三つの言葉です。日常の出来事のすべては楽しみながら、夢と希望を抱いて進むべきだと思います。そして、ものを大切にして、無駄使いをせずに控えめに生きること、いつも「ありがたい」と言って、元気で暮らしていることに感謝することを母は教えてくれました。
夢は、まだ、たくさんあります。昔は不可能だったことも、今はインターネットを通して、実現できます。4年ほど前から水彩画を描いています。日本語の上達のためにオンラインコースも受講していますし、YouTubeの漫画チュートリアルも利用しています。
素晴らしい幼少期を過ごすことができました。両親へ心から感謝しています。正直で、賢明で、知性豊かな父と母は、この広い世界を私たちに見せてくれ、一人ひとりの才能や夢の実現を応援してくれました。
両親はすでに亡くなっていますが、両親のレガシーは娘のマリアナが受け継いでいると信じています。
(夫の影響もあると思いますが)マリアナは興味のあるものに出会うと、いろいろ調べて、それを簡単に作っています。漫画やイラスト、石とワイヤを使ったアクセサリー、さらには日本料理などへもチャレンジします。人生には数えきれないほどの可能性があり、自分を信じることが大切だと、二十代の彼女は考えているようです。それを私は「ありがたい」と思います。
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このエッセイは、シリーズ「ニッケイとして育つ」の編集委員によるポルトガル語のお気に入り作品に選ばれました。.下記は編集委員のコメントです。
ラウラ・ホンダ=ハセガワさんのコメント
「ニッケイとして育つ」に参加したのは、5人の日系ブラジル人女性でした。彼女たちは日頃から日本文化や伝統が自分たちの人生に与えた影響を感じており、日系人としてのアイデンティティについての思いや、認識、疑問などを、エッセイを通じ見事に表現していました。これらのエッセイには、インパクトのあるものや、興味深いエピソードに富んだものなどがあり、お気に入り作品を選ぶのは至難の業でした。しかし、今回のテーマに一番ふさわしいものとして、「ありがたい!!!」をお気に入り作品に選ばせてもらいました。
著者のエドナ・ヒロミ・オギハラ・カルドゾさんは子どもの頃から日本の料理、会話、漫画、雑誌、そして芸術などに触れ、コミュニティのイベントにも参加してきました。受け継いだ日本の文化や伝統を、二十代の娘さんと分かち合いながら、恵まれた環境を「ありがたい」と、家族と共に感謝しています。
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ニマ会によるお気に入り
特別企画「ニッケイ物語」シリーズへの投稿文は、コミュニティによるお気に入り投票の対象作品でした。投票してくださったみなさん、ありがとうございました。
