「ヒロちゃん、ごはんよ!」と、母の声で、私は飛び起きました。温かいご飯と栄養満点のみそ汁で、私の楽しい一日が始まるのでした。
1960年代後半から1970年代後半ぐらいまで、サンパウロ州オスヴァルド・クルスの町に私たちは住んでいました。当時、日本食の材料がなかなか手に入らなかったので、日系人たちは、いろいろ工夫をしていました。私の母もそのひとりでした。末っ子の私は刺身が大好きなので、母はイワシの刺身を作ってくれました。う庭にはハイビスカスが植えてあり、その花のがくで作った「ウメ」を梅干しの代わりにして味わっていました。
我が家のご飯はブラジル風の味付けご飯とは違い、白ご飯でした。ブラジルの米かもち米を混ぜて炊いていました。当時、もち米は高級品だったので、特別の時にだけしか食べられませんでした。そして白ご飯で作ったおにぎりの美味しかったこと!子どもは誰でも大好きだと思います。
食べ物の思い出の中にいつも父が出てきます。「ヒロちゃん、ツーパンに用事があるので、一緒に行こうか」と、父が誘ってくれると、私はワクワクしながら、父の運転する車で隣町のツーパンに行ったものです。その街のバスターミナルには日系人が経営するレストランがあり、そこのなべ焼きが私の大好物でした。当時は、今のように洗練された輸入品はなかったけれど、トッピングは最高でした。かまぼこもあり、あのとろとろ…