ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2022/10/21/yugo-e-sua-mae/

第四十一話 生き別れになったユゴと母親

ユゴが4歳のとき、両親は別れ、母のエネイダは一人で生まれ育ったポルト・セグロに戻った。

ユゴの父親は、このような別れ方をするだろうと思っていたからそんなに驚かなかった。

「エネイダは、テレビドラマで見るサンパウロの暮らしに憧れてただけだよ」

「そんなエネイダに一目ぼれなんて、本当にアホ息子だ」

「赤ちゃんのユゴの面倒も見ずに街に遊びに行くなんて、信じられない!」

と、親戚は最初からいろいろと言った。

父親が朝市で働いている間、ユゴはいつも近所に住む父の姉ティア1はるみに預けられた。母親が居なくなった後も、同じだった。

小学生になると、ユゴは家で父親とゲームをしてよく遊んだ。父親は、ユゴの勉強も見てくれた。父親はユゴの大の友達でありヒーローでもあった。

ユゴが中学校を卒業するころ、父親は再婚を進められた。相手は日本へ出稼ぎに行く準備をしていた元看護師だった。父親はとても悩んだ。しかし、「ユゴはブラジルで高校を卒業するのが一番だ。自分一人だけでは、日本に絶対に行かない。ユゴとは離れたくない」と、父親は縁談を断った。

高校の3年間はあっという間に過ぎた。卒業したユゴは、父親と日本へ行くことにした。その一年ほど前に、ティアはるみと家族がすでに神奈川県大和市に移住していたので、ユゴたちも同じ町に住むことにした。

父親は電子部品製造会社に勤め、ユゴはアルバイトをしながら専門学校を目指した。日曜日は、父親と一緒に夜間中学校へ通った。日本語で授業を受けるのが二人の目標だった。

ユゴにはすぐにたくさんの友達ができた。ユゴは会話上手で、誰とでも上手くやっていける青年へと成長していた。父親は、そんな息子を誇らしく見ていた。

ある日、祖母からの手紙が届いた。ユゴの父親が家を貸している人がユゴ宛に手紙が来たと知らせてくれたので、その手紙を同封したとあった。ユゴの母親からだった。

私はこの15年間、本当に、毎日のように、ユゴの幸せを願って生きてきました。母親の資格がないのは、分かっていますが、私は変わりました。それを少しでもユゴに分かってもらいたいのです。

今思えば、短かったけれど、ユゴたちと暮らしたときが一番幸せでした。子供のころから体が弱かった私は、お医者さんにもよくかかり、学校も休みがちで、家族に甘やかされて育ちました。17歳のとき、伯母の店を手伝うためにサンパウロに出て、あなたのお父さんと知り合い、あなたが生まれました。

ユゴは、やさしいお父さんやティアはるみの家族に大事にされていましたが、私は母親として自分が必要とされてないという思いがしだいに強くなっていきました。私は、自分の居場所がどこなのか考えるため、一時実家に戻ることにしました。頭を冷やして考えたかったから。

私の母には、身勝手過ぎると怒られました。私をユゴのところへ帰らせようとしたのですが、私は心臓の病気で入院してしまいました元気になるまで大分時間がかかってしまいましたが、元気になっても、ユゴに会いに行く勇気がでないまま、ずっとポルト・セグロで暮らしていました。

最近、サンパウロの伯母さんから連絡があり、高齢なので、再び、店を手伝ってくれないかと頼まれ、来てしまいました。

もし、ユゴが会ってくれる気持ちがあるならばら、私はとても会いたいです。

愛する息子へ

最初は驚いたが、ユゴはとても嬉しかった。母親の言葉は心に沁みたのだ。そして、母親に長い手紙とたくさんの写真を送った。

いつか、母親を迎えに行って、日本を見せてあげよう。

それまでは、しっかりと勉強して、働いて、日本のことをもっと知って、ブラジルと日本の架け橋になろうと決めたのだ。

© 2022 Laura Honda-Hasegawa

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このシリーズについて

1988年、デカセギのニュースを読んで思いつきました。「これは小説のよいテーマになるかも」。しかし、まさか自分自身がこの「デカセギ」の著者になるとは・・・

1990年、最初の小説が完成、ラスト・シーンで主人公のキミコが日本にデカセギへ。それから11年たち、短編小説の依頼があったとき、やはりデカセギのテーマを選びました。そして、2008年には私自身もデカセギの体験をして、いろいろな疑問を抱くようになりました。「デカセギって、何?」「デカセギの居場所は何処?」

デカセギはとても複雑な世界に居ると実感しました。

このシリーズを通して、そんな疑問を一緒に考えていければと思っています。

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執筆者について

1947年サンパウロ生まれ。2009年まで教育の分野に携わる。以後、執筆活動に専念。エッセイ、短編小説、小説などを日系人の視点から描く。

子どものころ、母親が話してくれた日本の童話、中学生のころ読んだ「少女クラブ」、小津監督の数々の映画を見て、日本文化への憧れを育んだ。

(2023年5月 更新)

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