メアリー・ミエコ・スナダとは誰でしょう?それは、私の出生証明書にさかのぼります。1948年1月1日午前1時、東京都台東区浅草田中町1-4に女の赤ちゃんが産声を上げ、メアリー・ミエコ・ナカタと名付けられました。両親は、カリフォルニア州サンガー出身のヨネト・ナカタと群馬県出身のヤエコ・ニイクラです。
父ヨネトは、中田家の最後の1人でした。父に兄弟はありませんでした。父の母は出産後病気になり、家族は日本に帰国しました。両親の死後、父は米国に戻り、1941年、米国陸軍に徴兵され、陸軍情報部に志願しました。1946年1月19日、父は軍を名誉除隊し、その後、母ヤエコと結婚し、1948年に私が生まれました。1948年5月28日、父は突然亡くなり、私は父が残した唯一の忘れ形見となりました。
父は、家族で米国に暮らすことを望み、私にアメリカのファーストネームをつけることにしました。アメリカ社会にとけ込むため、父自身も「ジェームズ」というアメリカ名を名乗ることにしました。父はアメリカ映画が大好きで、お気に入りのサイレント映画女優、メアリー・ピックフォードの映画を見ることが好きでした。私のファーストネームは、メアリーに決まりました。
お正月生まれの私のミドルネームに、日本で1番盛大な祝日を反映させない手はありませんでした。父が選んだのは、ミエコでした。漢字では、「美エ子」です。残念ながら、父が選んでくれた「エ」の漢字を思い出せないので書けませんが、訳すと美しい子供、という意味になります。父の大切な娘として新年の初めに生まれた私は、ミエコと名付けられました。
私の名字、ナカタが、私と家族の系譜をつないでくれているのかもしれません。漢字では「中田」で、ナカは中心という意味で、タには水田、稲田という意味があります。二つをあわせ、「田んぼの中」という意味になります。中田は日本にはよくある名字で、スミスやジョーンズのようなものです。
私は、日本の親戚と再び連絡をとりたいと思うようになりました。2013年4月30日、私は母をアルツハイマー病で亡くしました。母は、父方の親戚の、把握していた最後の住所を残してくれていました。私は手紙を書きました。親戚からの返事には、父と母のことは覚えているけれど、私のことは覚えていないと書かれていました。私は途方にくれ、孤独を感じ、見捨てられたような気持ちになりました。
私は、ジョン・スナダと結婚し、メアリー・ミエコ・スナダになりました。父方の名字、ナカタを名乗り続けることもできましたが、そうしないことを選びました。名字が変わっても、父の思い出が失われることはありません。息子たちの名前は、父や先祖への敬意を込めてつけられました。ファーストネームはアメリカ名に、ミドルネームは日本名に、という私たちの伝統は、息子たちに受け継がれました。長男の名前は、ジェイムズ・シズト・スナダで、ジェイムズは父からとりました。この子には父に似たウェーブがかった髪と、表情豊かな目と素晴らしい笑顔があります。シズトは、夫のミドルネームです。2人とも物静かな性格です。
次男は、デイビッド・ヒロシ・スナダです。家族の中に、デイビッドという名前の人がまだいなかったので選びました。デイビッドは、本当に個性的な性格の子に育ちました。ヒロシは、母の兄弟と夫の従兄弟の名前です。彼らは皆強く、知的です。ナカタ家は私で終わりましたが、スナダ家が私を温かく迎え入れてくれました。私には新しい思い出とたくさんの親戚ができました。私は自分の家族を持ち、息子たちが名前の遺産を引き継いでくれています。
* このストーリーは、2014年9月28日カリフォルニア州アナハイムのオレンジ郡仏教会で行われた「ニッケイ人の名前」シリーズのライティングワークショップで執筆されました。
© 2014 Mary Sunada
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