>>その25
一世の開拓者たち
多くの一世たちにとって一時的であったはずのアメリカ生活は、いつの間にか10年、20年と長引き、アメリカへ来た頃の若さも過去のものとなってしまった。
青雲の夢も呆けて五十年1
なかには「金の成る木」を見つけて、成功して日本へ帰った者もいた。また或る者は、さらにチャンスを求めてメキシコや満州へ移住して行った。しかし、多くの者はアメリカに根を下ろし定住したのである。
住み馴れてアメリカ一番よいところ2
一世の多くは、遺骨を引き取る人も家名を継ぐ人もなく、自分の身を恥じるあまりに心配する日本の家族に不運な身の上を語ることもなく、安宿や養老院で独りぼっちで死んでいった。
失敗の上に成功の夢をのせ3
「あなたのことはいつまでも忘れません。」ローズ・キタハラは、父親が1916年12月にサンフランシスコに上陸してから1946年7月まで、30年間に渡って書き続けた日記の最後にこのように記した。ローズが父に捧げた言葉は、一世開拓者たちの人生と彼らが残した貴重な遺産への賛辞なのである。
「父は81年の素朴で穏やかで勇敢な人生を生きた。他の一世と比べても特に珍しい人生ではなかったが、それでもこれからの世代に語り継がれるだけの価値がある。現在、父の生き様は私達、子供や孫にとっての愛すべき思い出でしかないが、将来の人々にとっては高潔で勇気に溢れた生き方の手本となるであろう。父はもう逝きこの世には存在しないが、それでも誇張したり飾り立てたりすることなく、あるがままの彼を思い出し懐かしみたい。彼の実直な人生には、虚飾は全くふさわしくないから。...」4
アメリカ社会の平等な一員になることを妨げた人種差別に直面しながらも、一世は自分たちの生活をできるだけ良いものにしようと懸命に努力した。そしてコミュニティーを築き上げるだけでなく、地域の発展にも多大なる影響を与え、二世を育てるため自らを犠牲にして働いた。最高裁判所から「帰化不能外国人」との烙印を押されても、一世たちにはまだ二世という将来への希望が残っていたからである。
二世らの礎石となりし専念に地盤かためし一世の過去5
注釈:
1.星人。伊藤一男著、「北米百年桜」81ページ。
2.鈍突。同884ページ。
3.かつ子。同884ページ。
4.ローズ・キタハラ、1978年4月29日付、坂内作意日記への記述。坂内作意日記は、1916年12月5日より1946年7月までの記録を含む。ローズ・キタハラ寄贈、全米日系人博物館所有。
5.小野喜美子。伊藤一男著、「北米百年桜」1026ページ。
*アメリカに移住した初期の一世の生活に焦点をおいた全米日系人博物館の開館記念特別展示「一世の開拓者たち-ハワイとアメリカ本土における日本人移民の歴史 1885~1924-」(1992年4月1日から1994年6月19日)の際にまとめたカタログの翻訳です。
© 1992 Japanese American National Museum