ペルーの日系人の物語は1899年に始まります。日本からやって来た最初の移民の集団は中央沿岸部の渓谷地帯の砂糖や綿農園で働きました。その多くはやがてリマやカリャオの都市部へ移動し、散髪屋やレストランなど、小さな商売を営むようになります。それは1920年代の前半のことでした。
農村から都市への移住
1924年から1936年にかけて、日本人移民の第2の波が訪れますが、この時には農場よりも都市部へ向かい、移民達は商売や、近郊農業での可能性を追求しました。1920年代に向けて、リマでは日系コミュニティが目立ってまとまりを見せるようになりました。このエスニックコミュニティの強固さがかえって災いし、日系コミュニティは嫉妬の目で見られ、差別されるようになりました。これが、母国日本がアジアで軍事的侵略を展開するにつれ、さらにその度合いを増し、1936年には日本人移民は断絶、1940年5月にはリマで反日暴動が起こります。
第2次大戦:海外への強制収容と本国での制限
太平洋戦争が始まると状況はさらに悪化。ペルー政府は米国政府と協調し、1800名の日系の非戦闘員を北米に移送しました。このうちほとんどの人は戦後日本へ強制送還されました。ペルーに残った日本人には厳しい制限が課され、私有財産の没収など大変な目に会いました。1947年に戦中の制限が廃止されると、日系コミュニティは日本協会や日本語学校などを再建し少しずつかつての活況を取り戻していきました。
経済回復と同化
1950年代から60年代にかけて、日系コミュニティはさらにその経済力を回復し、ペルー社会への同化を進めていきます。日系人で専門職に就く人の数が増え、異人種間の結婚ももはや珍しいことではなくなりました。日系社会の同化を示す頂点は、1990年のフジモリ大統領の当選ではないでしょうか? また1990年代にはペルーの困難な経済事情を反映して、多くの日系労働者が日本へ渡るようになりました。
出典:
キクムラ=ヤノ、アケミ編 『アメリカ大陸日系人百科事典ー写真と絵で見る日系人の歴史』 明石書店、2002年。
* 共同制作: 日系ペルー文化基金、日本人ペルー移民記念博物館
© 2002 Japanese American National Museum