ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/899/

戦時中に取り上げられた運転手としての仕事

戦争時代はね、やはりわしは、わしはなんじゃその敵国人じゃから、カミオン(トラック)運転手を中止させられたんじゃ。息子はブラジル人の兵隊さんじゃから、兵隊の戦地(イタリア)へ行った。それで、カミオンは中止を命じられたんじゃ。それがその、カミオン持ってくわけにいかんから、あれ[トラックから]一部の機械を外してね。仕事できないように。それで日本人のところへ、わしのところは運搬のほうしよったもんだから、それで大勢日本人が出入りするもんじゃからね。それで大汗かいてね、かえって迷惑かけるからって言うので、わしゃ自分のシチオ(町)へ行ったんじゃ、モンテアルバノね。あそこで百姓してみたんじゃ。それでミルホ(とうもろこし)やることも知らんのじゃから(笑)。


ブラジル 差別 運転 対人関係 人種差別 第二次世界大戦

日付:

場所: ブラジル

提供: Caminho da memória - 遥かなるみちのり. São Paulo, Brazil: Comissão de Elaboração da História dos 80 Anos de Imigração Japonesa no Brasil, 1998. VHS.

語り手のプロフィール

児玉良一(こだま・りょういち)氏は1895年7月、広島に生まれました。1908年、ブラジルへの初の日本人移民を載せた「笠戸丸」にて、単身ブラジルへ入国しました。契約移民としてやってきたコダマ氏は、モギアナ鉄道線沿いにあるデュモント農園で4年間働き、その後、日本人として初めてブラジルの運転免許を取得。以後、運転手として活躍しました。笠戸丸移民についての知識は豊富で、Presidente Prudente市では「生きた百科事典」として知られていました。広島県人会や地元の文化協会でも活躍していました。 (1998年)

モニカ・タイシャ―

フサガスガ強制収容所での祖父の話(英語)

米国在住の日系コロンビア人(1974年生)

モニカ・タイシャ―

フサガスガの強制収容所にいれられた祖父(スペイン語)

米国在住の日系コロンビア人(1974年生)

ジミー・ナガヌマ

クリスタルシティで歓迎を受けた家族(英語)

クリスタルシティに収容された日系ペルー人(1936年生)

ジミー・ナガヌマ

クリスタルシティでの最初の食事(英語)

クリスタルシティに収容された日系ペルー人(1936年生)

ジョージ・カズハル・ナガヌマ

クリスタルシティの雷

(1938年生まれ)クリスタルシティに収容されていた日系ペルー人

カズム・ナガヌマ

妹のキヨは彼にとって第二の母親のような存在だった

クリスタル・シティに収容された日系ペルー人(1942年生)

ミア・ヤマモト

父親の影響

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士

ミア・ヤマモト

高校における黒人差別の理解

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士

ミア・ヤマモト

人種差別が彼女を初のトランスジェンダーの弁護士に育てた

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士