ディスカバー・ニッケイ

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マンザナーに向かう途中での喪失

私たちは、今でも持っていたいと願う多くのものを失ったと思います。これは、私たちのような多くの人々の経験と一致していると思います。私の母は、女の子の日や男の子の日の飾り、貴族の庭の階段に飾られていた素敵な小さな人形などを処分しました。母は、それらのものや、もちろん懐中電灯のような他のより技術的なものもすべて処分しなければならなかったと思います。

しかし、もし何かが喪失感を引き起こしたり、正直に言って腹立たしく感じたりするとしたら、それは、自分たちの伝統を反映する物、つまり、彼らがしまっておいた人形や様々な物でしょう。それはまるでクリスマスの飾りのようなもので、彼らはそれを年に一度取り出すのです。それは悲しいことでした。


カリフォルニア州 強制収容所 マンザナー強制収容所 アメリカ合衆国 第二次世界大戦 第二次世界大戦下の収容所

日付: 1998年8月6日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ジャニス・タナカ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール
巌高本(1925年4月29日 - 2007年1月8日)は、ウォルト・ディズニーとハンナ・バーベラで活躍した伝説のアニメーターで、60年代後半のスクービー・ドゥーのデザインで最も有名です。高校卒業後にマンザナー刑務所に収監された巌は、ロサンゼルスに戻るとディズニーでの仕事にその芸術的スキルを生かし、シンデレラ眠れる森の美女などの古典的なアニメ映画に携わりました。彼はその後、ウィリー・イトウなど他の日系アメリカ人アニメーターの指導にあたり、わんわん物語で一緒に仕事をしました。1962年にディズニーを離れてハンナ・バーベラに移った後も、巌は引退するまでアニメーション制作を続け、シャーロットのおくりもの(1973年)などの映画の制作と監督を続けました。 (2021年6月)
モニカ・タイシャ―

フサガスガの強制収容所にいれられた祖父(スペイン語)

米国在住の日系コロンビア人(1974年生)

ジミー・ナガヌマ

クリスタルシティで歓迎を受けた家族(英語)

クリスタルシティに収容された日系ペルー人(1936年生)

ジミー・ナガヌマ

クリスタルシティでの最初の食事(英語)

クリスタルシティに収容された日系ペルー人(1936年生)

ジョージ・カズハル・ナガヌマ

クリスタルシティの雷

(1938年生まれ)クリスタルシティに収容されていた日系ペルー人

カズム・ナガヌマ

妹のキヨは彼にとって第二の母親のような存在だった

クリスタル・シティに収容された日系ペルー人(1942年生)

ミア・ヤマモト

父親の影響

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士