孤独な望郷 ~ フロリダ日系移民森上助次の手紙から
20世紀初頭、フロリダ州南部に出現した日本人村大和コロニー。一農民として、また開拓者として、京都市の宮津から入植した森上助次(ジョージ・モリカミ)は、現在フロリダ州にある「モリカミ博物館・日本庭園」の基礎をつくった人物である。戦前にコロニーが解体、消滅したのちも現地に留まり、戦争を経てたったひとり農業をつづけた。最後は膨大な土地を寄付し地元にその名を残した彼は、生涯独身で日本に帰ることもなかったが、望郷の念のは人一倍で日本へ手紙を書きつづけた。なかでも亡き弟の妻や娘たち岡本一家とは頻繁に文通をした。会ったことはなかったが家族のように接し、現地の様子や思いを届けた。彼が残した手紙から、一世の記録として、その生涯と孤独な望郷の念をたどる。
このシリーズのストーリー
第12回 強盗に襲われる
2019年7月12日 • 川井 龍介
南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地にとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、夫(助次の弟)をなくした義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。相変わらず帰国するか、義妹らをアメリカに呼び寄せるか思案するなかで、あるとき郊外でひとりポツンと暮らしている助次は、強盗に押し入られる。 * * * * * 1955年6月 〈一時は万事休すかと〉 美さん、暫くご無沙汰しました。みなさん、お変わりはありませんか。お手紙を頂いた数日後の一…
第11回 不調ながら新たな試みを模索
2019年6月28日 • 川井 龍介
南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地にとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、夫(助次の弟)をなくした義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。60代になり体調不良を訴えることが多くなり、同胞の死を知り気弱になるが、桜を植えることなど新たな試みをつねに思索している。 * * * * * 〈知人の息子がコリアで戦死〉 1953年10月6日 美さん、今日は久し振りに雨が降りませんでした。永い降り続きで畑も市街も低地は一面の水です。6回…
第10回 自分を「父」と呼んだ甥が逝く
2019年6月14日 • 川井 龍介
南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地にとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、夫(助次の弟)をなくした義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。互いに実の家族同様の気持ちになるなかで、ある日甥が病を患っているのを知る。遠く日本にいる甥をそしてその母である義妹を励まし、慰めるが……。 * * * * * 1953年2月×日 美さん、前回の手紙の翌日から当国南部を風靡中(流行っている)のフル&md…
第9回 京都に帰って余生を過ごしたい
2019年5月24日 • 川井 龍介
南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地にとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、夫(助次の弟)をなくした義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。何年にもわたるやりとりのなかから、実の家族同様の気持ちになり、互いに一緒に暮らそうという話もでてくる。だが、障害もまたいろいろある。 * * * * * 1952年9月14日 美さん また永らくご無沙汰しました。済まなく思いながらもつい忙しいのと疲れのため、一日一日引き伸ばしとなりました。…
第8回 まだなすべき事業がある!
2019年5月10日 • 川井 龍介
南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地にとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。故郷のことを常に心にとめながらひたすら畑仕事に精を出す。「妻子もいないのにそんなに働いてどうする、お前はバカだ」という声も聞くが、「まだなすべき事業がある」と、自分に言い聞かせる。 * * * * * 1952年○月×日 美さん、あなたに探して頂いた楠田糸子さんも今は森静香さん。あんたと同じ病気で悩んで…
第7回 鏡のない生活
2019年4月26日 • 川井 龍介
南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地にとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。気ままさと寂しさが背中合わせの毎日で、農作業を精を出し、かつて見た京都の桜を思い出す。フロリダにいながらいつか南米を旅する夢を抱いているという。 * * * * * 1951年5月17日 〈やっぱり日本食が〉 美さん、 私は至って壮健です。ここ2週間ほどは、なにもせず夜昼なしで寝通しました。気の弛みと疲労で身体…