孤独な望郷 ~ フロリダ日系移民森上助次の手紙から
20世紀初頭、フロリダ州南部に出現した日本人村大和コロニー。一農民として、また開拓者として、京都市の宮津から入植した森上助次(ジョージ・モリカミ)は、現在フロリダ州にある「モリカミ博物館・日本庭園」の基礎をつくった人物である。戦前にコロニーが解体、消滅したのちも現地に留まり、戦争を経てたったひとり農業をつづけた。最後は膨大な土地を寄付し地元にその名を残した彼は、生涯独身で日本に帰ることもなかったが、望郷の念のは人一倍で日本へ手紙を書きつづけた。なかでも亡き弟の妻や娘たち岡本一家とは頻繁に文通をした。会ったことはなかったが家族のように接し、現地の様子や思いを届けた。彼が残した手紙から、一世の記録として、その生涯と孤独な望郷の念をたどる。
このシリーズのストーリー
第30回 弟も死にとうとう一人に
2020年4月10日 • 川井 龍介
南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地にとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、夫(助次の弟)をなくした義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。1970年は天候不順で作物は大きな影響をえたという。呼び寄せる予定だった姪の渡米ははっきりしなくなり、弟が死んだという知らせを受ける。すでに他界している妹のことも思い、とうとう自分が最後になってしまったと肩を落とす。 * * * * * 1970年6月4日 美さん(義妹)、先日、本5冊(同一…
第29回 姪の渡米計画に心躍る
2020年3月27日 • 川井 龍介
南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地にとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、夫(助次の弟)をなくした義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。1970年、日本の万国博覧会の成功を遠くで見つめ、渡米前に過ごした京都・京極での思い出を語る。この年は、なにより姪が自分のところへ渡米して来たいという気持を知り、あれこれアドバイスをするなどし実現に向けて心を躍らせる。 * * * * * 〈寝転んで追憶にふける〉 1970年1月31日 美…
第28回 これまでの文通は数百回
2020年3月13日 • 川井 龍介
南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地にとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、夫(助次の弟)をなくした義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。アメリカ生活が長くなったせいか、これまで欲していた日本の書籍をあまり読まなくなったという。農作に失敗し持病がすぐれないことも多いようだ。しかし、農園づくりはあきらめていない。姪の再婚話に親身になって相談にのり、アドバイスをしている。 * * * * * 〈日本の炬燵を思い出す〉 1969年1…
第27回 夢なき人生は無意味
2020年2月28日 • 川井 龍介
南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地にとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、夫(助次の弟)をなくした義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。前年アメリカの市民権を得てなにか一つふっ切れたのか、1968年は、自然に親しみ落ち着いた生活をしていると報告する。その一方で、人生は夢の連続、夢なき人生は無意味と豪語し、数年来打ち込んでいる自分が思い描く農園づくりに励んで必死になっている様子を示している。 * * * * * 〈宮津の新聞送っ…
第26回 アメリカに帰化、米国籍となる
2020年2月14日 • 川井 龍介
南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地にとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、夫(助次の弟)をなくした義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。1967年末、助次はアメリカの市民権を得た。帰国しようかどうか考え続けていたが、このときは宿願がかなったと喜び、これまで生活できたことはアメリカのおかげだとしみじみ語る。長年の功績をたたえられ、地元デルレイビーチ市からは名誉市民の称号を授与された。 * * * * * 〈61年前、炎熱と蚊の巣…
第25回 80歳、したいことは山ほどある
2020年1月24日 • 川井 龍介
南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地にとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、夫(助次の弟)をなくした義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。1966年、フロリダはハリケーン・アルマに襲われ農作物に大きな被害が出る。助次はこの年の秋に在米60年で80歳を迎える。1966年は最悪の年だったというが、まだしたいことは山ほどあるともいう。 * * * * * 1966年6月9日 美さん(義妹)、ここ三週間、夏日が連続、降雨の為、例の…