移住によって子どもに「生まれる土地」をプレゼント
五十嵐カノアさんと言えば、2021年の東京オリンピックで、日本代表として銀メダルを獲得し、その後も世界各地の大会で快進撃を続けるトップサーファーだ。さらにカノアさんの弟のキアヌさんも同じくサーフィン選手として活躍している。五十嵐兄弟の地元はサーフィンのメッカでもあるカリフォルニア州ハンティントンビーチ。彼らの両親は、新一世として日本からアメリカに移住してきたツトムさんとミサさんだ。
移住の理由を聞くと、ミサさんは「英語がすごく好きで、自分自身、オーストラリアへの留学経験もあるのですが、どう頑張ってもネイティブのようには話せません。それで、子どもをアメリカで産んで、最低でも英語と日本語を話せる人に育てたいと思いました。子ども自身はどこで生まれて育つか選択できません。だから(生まれる土地を選ぶことが)、親として子どもに与えられるギフトだと思って渡米しました。そして、私たちがサーファーなので、生まれる前から、子どもにはできれば一流のサーファーになってほしいと願っていました」と、淀みなく答えた。
「子ども自身は生まれる土地を選べない」というミサさんの言葉を改めて聞くと確かにその通りだと思いながら、子どもにとってどこが理想の土地なのかを考えて移住するところまでは、普通なら考えが及ばない。
五十嵐夫妻は「子どもを最低でもバイリンガルに、できれば一流のサーファーに」という思いを胸に、1995年に渡米を決行した。東京では共に人気のフィットネスインストラクターだったが、アメリカではゼロからの再スタートとなった。
「自分たちでフィットネスウェアを作って日本に送り、渡米当時は(ハリウッド近郊の)ビバリーセンターの裏に住んでいたので、民泊も経営していました」とツトムさんが当時を振り返る。やがて、長男のカノアさんが生まれた。1997年のことだ。
カノアさんがサーフィンを始めたのは3歳の時だった。そして、5歳になる頃にはサーフィンをするのにより良い環境を求めてハリウッドからハンティントンビーチに転居した。そこから寝ても覚めても、五十嵐ファミリーのサーフィン漬けの生活が始まる。
「カノアは6歳でサーフィンのコンテストに初出場、そして初優勝したのです。そのトロフィーを小学校に持って行ったら、他の子どもたちに『すごい、すごい』と言われて、本人としては自分がヒーローになったような気分だったそうです。それで、さらにサーフィンに力を入れ始めました。あの時の経験が大きなモチベーションになったと今も思い出します」(ツトムさん)。
根底に侍スピリット「勝って兜の緒を締めよ」
サーフィンに関しては6歳からスポンサーが付き、プロサーファーのように世界を股にかける日々を送っていたカノアさん。成長する過程でもサーフィンへの情熱は褪せるどころか益々高じていき、「サーフィンがメジャーなスポーツとして世界の人に認められるように自分の活躍を通して貢献したい」とまで考えるようになったそうだ。
そして、2020年の東京オリンピックで初めてサーフィンが正式種目に決定(1年の延期でオリンピックは21年に開催)。カノアさんは「正式種目に決定した時点では、僕はアメリカの代表としても出場可能でした。しかし、自分の意思で日本を選びました」と語る。
カノアさんはアメリカ生まれ育ちながら、「日本人として日本語を忘れないように」と両親が家庭内の会話を日本語に徹底するなどの甲斐あって、日本人としての自覚をしっかり持った大人になった。「僕はアメリカで育った日本人です。そして、毎日、自分が日本人だと実感しています。子どもの頃から家では日本食を食べて、家族とは日本語を話します。外はアメリカだけど家の中は日本という環境で育ってきました」(カノアさん)。
しかも、驚くことに、カノアさんの好きな言葉は「勝って兜の緒を締めよ」なのだとか。
「実はこの言葉、英語の本を読んでいた時に、最初に英語で出会った言葉なんです。元々日本語だなって感じて、意味を調べたら、しっくりきました。侍のスピリットが好きだということもあるけど、アスリートの世界では勝ったからといって甘く見ないことが大切です。勝ったからと『ゆっくりしてしまう』メンタリティーでは、僕に言わせると弱いと思いますね。まだまだ上のレベルでの競争があるのだから、勝った次の日でもトレーニングに汗を流し、毎日、少しでも強くなるように努力すべきなのです。だから、この言葉は僕の姿勢を表現していると言えます」。
さらには、彼は英語と日本語のバイリンガルだけに留まらず、南米やポルトガルにサーフィンで滞在する期間が長いことから、スペイン語とポルトガル語も流暢に話す。さらに現在勉強しているのがフランス語。これはつまり、2024年のパリ・オリンピックに向けて「現地の言葉をマスターしたい」と学び始めたのだという。
パリ・オリンピックの次はロサンゼルス・オリンピックと続く。両親が目指した「一流のサーファー」という目標を今や現実のものにしたカノアさんは「家族のサポートがあってこそ、今の自分がある」と感謝を忘れない。彼こそ、世界のどこを舞台にしても自由に力を発揮できる日本人のセカンドジェネレーションとしての代表選手と言える存在だ。
© 2023 Keiko Fukuda