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被爆者である母の経験を小説に — キャサリン・バーキンショーさん

娘の病気と母の告白

キャサリンさんの自宅で撮影されたもの。日本語訳の「ラスト・チェリー・ブロッサム」はAmazonなどオンラインでも購入できる。      

「ラスト・チェリー・ブロッサム」という小説がある。戦時下の広島を舞台に、多感な少女ゆりこと優しい父、ゆりこが距離を感じる同居の叔母が主要な登場人物となる物語だ。小説の後半では、広島の街を焼土に変えた8月6日、さらにその後の彼らの運命が描かれる。原爆に至るまでの前半は戦時中の日本人の質素だけれど丁寧な暮らしぶりが細かい筆致で描かれている。私の頭の中では、ゆりこの家族のそれぞれの生き生きとした人物像と彼らの感情の機微、日々のやりとりが映像として展開した。それはまるで私が好きな小津安二郎の映画を見ているようだった。しかし、そこで、あの残酷な原爆の日が訪れる。それまでの家族で共に過ごした、ささやかな幸せで穏やかな日常が一瞬で壊され、彼らは深い悲しみと肉体的な苦しみを背負わされることになるのだ。

この小説を書いたのが、キャサリン・バーキンショーという名前のアメリカ人女性と聞いて驚いた。どうやって戦時中の広島の様子をここまで鮮やかに再現できたのだろうか?彼女の母親、広島出身のとしこさんが主人公ゆりこのモデルということが、その答えだ。

私は、東海岸在住のキャサリンさんにオンラインで取材させてもらうという機会を得て、小説完成までの経緯とアメリカ人を父に日本人を母に持つ、日系2世としての彼女のアイデンティーについて聞いた。彼女の両親は1959年に日本で出会い、結婚し、アメリカに渡った。キャサリンさんが生まれたのは1969年、出身地はロードアイランド州だ。

実は、キャサリンさんはこの小説を書くことになる数年前まで、としこさんの被爆者としての過去を詳しく知らなかったと振り返る。

「私は30歳で交感神経系の病気を発症し、自分の仕事を断念せざるを得ない状況に陥りました。娘はまだ4歳だったし、夫は働かなければなりませんでした。それで母親が看病のために私と一緒に過ごしてくれたのです。当時の私は病気のせいで絶望していました。自分では何もできないし、娘のために良い母としていろいろと世話をしてあげたいのにそれもできない。そんな私を見て、母は広島でのことを話し始めたのです。被爆後、母は自殺しようとしたこともありました。でも、もし、そうしていたら娘の私も生まれなかったし、私の娘だって存在していなかったのです。だから、母は『あなたもきっと大丈夫(You will be fine)』と私のことを勇気づけてくれました」。

生前のとしこさん(右)と共に。  

「なんてかっこいいキノコ雲」

その後、キャサリンさんは手術を受け、車椅子生活から脱することができた。そして、キャサリンさんの娘さんが7年生の時にある出来事が起こる。

「娘が中学校で米国の歴史を学んだ時、キノコ雲を見た生徒の一人が『なんてかっこいいキノコ雲なんだ(What a cool mushroom!)』と言ったのです。娘はそれを聞いてショックを受けました。私は子どもたちのために、原爆の事実について彼らに話をしなければならないと決意しました」。

それまではトラウマから、人に出身地を聞かれると、「東京出身」と答えていたほど広島に背を向けていたとしこさんだが、この時、孫娘の同級生の「かっこいいキノコ雲」発言を機に、キャサリンさんの中に芽生えた「未来をつくる子どもたちに原爆が起こした悲劇と平和の大切さを知ってもらわなければならない」という崇高な目的意識に深く共鳴したのだ。

実際にキャサリンさんが中学生の前で講演を始めると、聴衆の確かな手応えを次々に感じることができた。そして、そのことをとしこさんに伝えると母は涙を見せた。それまで固く心を閉ざしていたかのように見えていたとしこさんが心を解放できた瞬間だった。さらに、キャサリンさんは「『かっこいいキノコ雲』と言った生徒も意地悪な意味でそう言ったわけではないのです。あまりにも歴史の事実を知らないことがそう発言させてしまったのです」と語る。

キャサリンさんは数多くの講演を中学校で行い、その先にキャサリンさんは母の経験をベースにした小説を書くことにした。その「ラスト・チェリー・ブロッサム」の出版社との契約が決まったのが2014年。

「母はとても誇りに思ってくれました。私はこの本を書くことで、敵国であってもそこには人々の生活があったということを伝えたいと思いました。国や立場が違えば、人々は自分のこととしてとらえません。しかし、同じ人間であり、立場が逆転すれば自分に起こっていたかもしれないということを理解してほしいと強く願いました」。

キャサリンさんはプロとしての物書きの経験はなかったが、丁寧に戦時中の日本についての調査を重ね、としこさんにドラフトを読んでもらい、正確な描写になっているどうか意見を求めた。病気の影響で時にはペンを握るのが難しく、準備に時間がかかったが、その労苦は実を結んだ。そして、としこさんは本が発行されるのを待たずにこの世を去った。それでも本になることを報告できたことは最高の親孝行になったに違いない。

平和のために声を上げる 

次にキャサリンさんに自分の内面に日本人的なものを感じるかについて質問してみた。

「私が子どもだった当時、アメリカにはまだ日本に対する偏見や嫌悪の一般的感情がまだありました。それで私の母は私に日本語を教えることはせず、私たちの会話は全て英語でした。また、学校では他の子どもが母に対して『ここで何をしているんだ?日本に帰れ』と心無い言葉を投げたこともありましたし、私自身も教師から差別されたことがあります。私が半分日本人だからです。アジア人は4年生の時にフィリピン人が転入してくるまで私一人でした。また、母はアメリカ市民権を取得して『ベティ』というアメリカンネームで通していました。私は子ども心に、母の正式な名前はエリザベスだろうと思い込んでいたほどです。こうして、私は日本語を学ぶ機会もなく大人になってしまいました」。

最後に、5年後の夢を聞くと、「もっと国と国の間のつながりを強固なものにするために、平和な世界にできるように私にできることをしていくつもりです。私の娘は大学で日本語をマイナーで選択し、日系3世として平和のために声を上げようとしています。私と娘のことを天国の母は見守ってくれていると思います」と答えた。

私は過去に被爆者である笹森恵子さんや据石和さん、また核兵器に異を唱える作家の米谷ふみ子さんに、数度に渡り取材をしてきた。しかし、据石さんはすでに亡くなり、原爆の経験を伝えられる人は数えるほどだ。キャサリンさんのように親の経験を小説や講演という形で社会に向けて、特にこれからの世界を担う子どもたちに伝えてくれる人には益々活躍してもらいたいと強く思う。

 

参考(すべて筆者による取材執筆)

 

© 2022 Keiko Fukuda

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執筆者について

大分県出身。国際基督教大学を卒業後、東京の情報誌出版社に勤務。1992年単身渡米。日本語のコミュニティー誌の編集長を 11年。2003年フリーランスとなり、人物取材を中心に、日米の雑誌に執筆。共著書に「日本に生まれて」(阪急コミュニケーションズ刊)がある。ウェブサイト: https://angeleno.net 

(2020年7月 更新)

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