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俳優の池田直之さん: 渡米からアクターズアワード受賞まで

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日本では英語教師を13年、自分がイキイキできるアメリカへ

2019年3月、ビバリーヒルズで開かれたイベントで、侍ショーの進行役を務めていた男性に興味をひかれた。話を聞くと日本では学校の教師をしていたそうだ。「俳優になるために10年前にアメリカに来た」と教えてくれた。

「アナザー・イエスタディ」で最優秀助演男優賞を受賞

彼の名前は池田直之さん。2019年、「アナザー・イエスタディ」でアクターズアワードの最優秀助演男優賞を受賞。10年で出演した作品は映画、ミュージックビデオ、コマーシャルを含めると60作以上になると言う。教師を辞めて渡ったアメリカでどのようにしてチャンスをつかんだのだろうか?

初めてアメリカに来たのは大学卒業後、フロリダのディズニーワールドでの研修プログラムへの参加だった。1年間、園内のレストランで英語を使って働いた。帰国後は出身地である愛知県の中高一貫校の英語教師になった。さらに名古屋市内の私立高校へ移り、鹿児島の学校でも中学と高校で英語を教えた。教師としての経験を13年ほど積んだ時に突然躓いた。「家から出られなくなったんです。学校に向かおうとすると時間が止まってしまう。原因?僕なりの教育観があったけれどそれを学校で出せなかったことや、人生に対する不安など、チリのように少しずつ積もってしまっていたのだと思います。その時に離婚もしました。何もかも上手くいかなくなって途方に暮れていました」。

そんな時、鹿児島の芸能プロダクションの社長との出会いがあった。「最初は社長に電話をかけて事情を話し、アクティングのクラスを受けさせてもらいました。そこに行くと元気が出るので毎週行くようになりました。俳優として動き出したのがまさにその時です」。同時に自分の夢について思いを巡らせた。このまま学校に戻るのか、それとも別の道に進むか。教師以外にやりたいことは何だろう?子供の頃から夢見てきたことや、諦めてきたこと。サーファー、カメラマン、そして俳優など。その選択肢の中で池田さんが最も自分の仕事としてイメージできたのが俳優だった。それなら日本で俳優になるのではなく、自分がイキイキできるアメリカに行こうと決めた。楽しかったフロリダでの記憶が池田さんの中には残っていたのだ。

そんな時、偶然にも芸能プロダクションの社長を介して、ハリウッドで活躍する神田瀧夢さんと出会った。「悩んでないでロスに来たら?」と言われた。社長にも、名古屋や鹿児島の教え子にも「やりたいことをやればいい!」と言われた。その言葉に背中を押されるように、2009年9月16日、池田さんはロサンゼルスに降り立った。そして、ある日新聞広告で知ったアクティングのクラスに行ってみた。それがまさに転機となった。

次作はホームレスになった津軽者三味線奏者描く短編

池田直之さん

「知り合った(演技の)コーチが、色々と世話をしてくれました。俳優になりたかったらあらゆる場所に顔を出し、業界の人と知り合うようにとアドバイスしてくれたんです」。池田さんはオーディションも受けたが、実際に撮影が入ってくるようになったのは「知り合った人が情報をくれて、その人脈によるケースの方が多い」と話す。

「最初は、仲良くなった日本人俳優から、ウェブシリーズに出てみないか?と言われて、すぐに出たい!と答えました。旦那さんの役でセリフはありませんでした」。さらにアクティングのコーチの誕生パーティーで知り合った映画監督、違うパーティーでさらに知り合いの映画監督を紹介され、ネットワークが広がっていった。「まさにわらしべ長者のように、次々に繋がっていったんです(笑)」と池田さん。

「撮影やるから見にくる?」と誘われた現場で、いきなり役をもらったこともあった。「バンパイヤで腕をもがれる役で、血だらけになるけど大丈夫か、と聞かれて、どれだけでもかぶると言って演じました。そうしたら気に入ってくださって、僕はそこしか出ていないのにトレーラー(予告編)に登場するんですよ」。

「それに監督や共演者にも恵まれました。監督はいつも僕が質問することを真摯に受け止めてディレクションをくれました。また時には僕がTVや映画館で観てきた俳優と撮影現場で一緒になることも。そこでは色々と映る側からの視点でのアドバイスを頂きました。こういった現場での経験が僕の宝物です」

この10年を振り返って、アメリカに来たのは正解だったか、と池田さんに聞くと、次のように答えた。「決めたらそれが自分にとっての正解だと考えるようになりました。もしかして(アメリカではなく)韓国に行って俳優になっていたらそれでも成功していたと思うんです。でも、教師を辞めて今、ここロサンゼルスで俳優ができているという事実があります。それに実は学校の教師って、演技をすることと同じ要素が必要だったんですよ。生徒に対して怒ってないけど時には怒らなければなりませんでした。また、即興劇のように、生徒の言葉に対してすぐに反応することも求められます。大勢の前でスピーチもしたし、朗読もしたし。アクティングと同じなんです」。13年間の教師としての経験は一切無駄になっていないと池田さんは断言する。

「『アナザー・イエスタディ』で最優秀助演男優賞をいただいたことは本当に嬉しかったです。賞なんて小学校3年生の時の図画工作の賞以来、40年ぶりくらいでした。アメリカで日本人なのに選んでいただいたこと、最高でしたね。でも今の自分の演技に納得はしていません。だから自分はまだまだ上に行けるという自信になりました。次は、自分が映画館で観てきた俳優さんと一緒に演技をしたい、そこを目指していきます」

そして今、池田さん主演の短編映画のプロジェクトが進行中だ。津軽三味線の天才的な奏者が身を持ち崩し、アメリカでホームレスになるというストーリー。タイトルは「ヒット・ザ・ボトム(仮)」。渡米10年で着実に結果を出してきた“元英語教師“の俳優は、次のフェイズに進もうとしているようだ。

次回作「ヒット・ザ・ボトム(仮)」予告編撮影風景

 

© 2019 Keiko Fukuda

演技 俳優 アーティスト エンターテイナー 世代 移民 移住 (immigration) 一世 日本 移住 (migration) 池田直之 戦後 新一世 アメリカ合衆国 第二次世界大戦
執筆者について

国際基督教大学を卒業後、東京の情報誌出版社勤務を経て1992年渡米。ロサンゼルスの日本語情報誌の編集長を2003年まで務めた後、同年フリーランスとして活動開始。人物取材、アメリカの教育事情、日本食事情などをテーマに取材を続け、2024年に郷里の大分に活動拠点を移す。その後もオンラインを通じて取材執筆活動に従事。ウェブサイト: https://angeleno.net 

(2024年10月 更新)

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