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スウィートブレッドで全米を制覇: キングスハワイアン創業者一家の歴史と現在

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市場に深く浸透

ラーメン、豆腐、醤油、みそ。日系の食品は数多いが、あのキングスハワイアン・ブランドが日系の会社だと知っている人は一般のアメリカ人の中には多くない。それだけキングスハワイアンのブレッドが、アメリカの市場に浸透している証拠だと言えるだろう。

マークさんのオフィスにある父子の肖像画。マークさんの子供2人も既に同社で働いている。

キングスハワイアンは、ハワイ州ヒロ出身の沖縄系の二世、ロバート・タイラが製パン学校を卒業後に開いたベーカリーとしてスタートした。ほんのりと口の中に広がる甘さと柔らかさに、一度食べた人をリピーターにしてしまうという噂のブレッドは瞬く間にハワイ諸島を席巻し、ヒロを出たロバートのホノルルの店も大繁盛した。

しかし、そこで彼は満足しなかった。ハワイではしょせん市場規模は限られてしまう。どうしても本土に進出したかった。

そこで彼は1970年代後半に、家族をハワイに残してカリフォルニアに単身乗り込んだ。その当時のことを二代目で、ロバートの息子、マークさんが話してくれた。

「父は積極的に流通業者に商品を売り込み続けましたが、最初のうちはどこも相手にしてくれませんでした。なぜなら、当時はスウィートブレッドしか商品がなかったからです。門前払いの連続でしたが、ある時、父が会社を訪問した時、秘書にブレッドを託して帰りました。すると、一口食べてその味に魅かれた秘書が社長に取り次いでくれたのです。その手法で、折り返しの電話がかかってくるようになりました」

自信の味が口コミでビジネスを広げていくことになったのだ。

単独商品の戦力

マークさんに「キングスハワイアンのブレッドがここまでの成功を収めることができた秘訣は何だと思いますか?」と聞くと、ここでも彼は「スウィートブレッドの魅力」だと断言した。最初のうち、商品が一つしかないからと商談を拒否され続けていたが、その創業者が魂を込めた「単独商品」こそが、困難を打開したというわけだ。

それだけ初代のロバートはスウィートブレッドに絶対的な自信を持っていた。「今でも創業当時と変わらず、最高品質のバター、卵、小麦粉を使っています。決して妥協はしません」とマークさんの言葉通り、オリジナルのレシピは忠実に受け継がれている。

機械で製造するようになっても、最初にブレッドを手作りして、その仕上がりと同等のものが出来上がるように、機械をカスタムメイドしたのだとマークさんは誇らしげに教えてくれた。

ロサンゼルス郊外のトーランス工場に続き、1万5000スクエアフットの新工場(同じくトーランスに所在)では、カスタムメイドの機械によって1時間当たり4000ポンドのブレッドが生産されている。そして、その商品が最終的には、全米各地の大手スーパーの店頭に並ぶのだ。アメリカ最大手のマーケット、ウォルマートにも納入されている。右肩上がりの需要に対応していくため、今年10月にはジョージア州ゲインズビルに新工場をオープン予定だ。

アロハスピリットと家族の団結

同社の成功の秘訣として商品力がトップ要因だったことは間違いないが、もう一つの要因として「アロハスピリット」も挙げられる。
社屋にはスウィートブレッドの甘い香りが漂っている。人々もまたハワイ的な柔らかで優しい笑顔に溢れている。その雰囲気は、同社が経営しているレストランで触れることができる。

キングスハワイアン・レストランでのステラさん(左)と一家の恩人ウィリーさん。

トーランス市内のキングスハワイアン・レストランの経営者は、マークさんの妹、ステラ・ミヤムラさん。「父がロサンゼルスに来た時、誰もうちの商品を知らない中で、沖縄出身の人たちが本当によくサポートしてくれました」とステラさん。中でもタイラ一家にとっての恩人とも言える存在が、ホンダ・アメリカの特別顧問であるウィリー・トキシさんだ。ウィリーさんが自分の知り合いを紹介したり、ブレッドを口コミで広めてくれたりしたことは「当時の私たちにとってはとても特別なことだったのです」とステラさんもマークさんも感謝の言葉を今も口にする。それに対して、「成功したら昔の恩を忘れてしまう人は少なくないでしょう?でも、彼らには、いつまでも感謝の気持ちを忘れない温かい心があるんです」と、ウィリーさんもまた温かい笑顔でそう話してくれた。

カリスマ創業者を継ぐ二代目

実はマークさんに会う前、「父親が成功した会社をそのまま引き継ぐことに抵抗はなかったのか。他にやりたいことはなかったのだろうか」という素朴な疑問が筆者の中には浮かんでいた。その質問を最初にマークさんに向けると、彼は即座にこう答えた。

「子供の頃からベーカリーという環境の中で育ってきたのです。学校に通いながらでも手伝っていたし、卒業したら当然のように家業に携わるという気持ちがありました」

「では、あなたのお父様はどんなビジネスマンだったのですか?」という問いを向けると、「彼は何物も恐れることはありませんでした。成功に留まっているタイプの人ではなかったのです。事業が軌道に乗ってもそこで満足せずに、次はいかに大量に効率的に生産できるかという新たな課題に取り組み始めるという具合でした」
とマークさんは答えた。

その答えには、カリスマ創業者への深い尊敬の念が感じ取られた。実際にロバート・タイラは、ハワイの商売をアメリカ本土に持ち込んで成功したビジネスマンの草分け的存在なのである。

しかし、残念なことに、現在の新工場の完成の前年の2003年、彼は79歳の生涯を閉じた。そして、今、マークさんのオフィスには、笑顔のタイラ父子の肖像画が飾られている。息子の腕にはしっかりとスウィートブレッドが抱えられている。

トーランス新工場でのマークさん。彼のオフィスからは工場内が見渡せる設計になっている。

© 2011 Keiko Fukuda

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執筆者について

国際基督教大学を卒業後、東京の情報誌出版社勤務を経て1992年渡米。ロサンゼルスの日本語情報誌の編集長を2003年まで務めた後、同年フリーランスとして活動開始。人物取材、アメリカの教育事情、日本食事情などをテーマに取材を続け、2024年に郷里の大分に活動拠点を移す。その後もオンラインを通じて取材執筆活動に従事。ウェブサイト: https://angeleno.net 

(2024年10月 更新)

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