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自分自身に正直であること (英語)

(英語) 私たちがすべきことの1つに、参加するということがあります。何かが起きる時は、それが正しいか間違っているかにかかわらず、起きてしまうのです。もしかしたら選挙に行ったり、何か行動を起こしても無駄だと思う人もいるかもしれませんが、1人ひとりができる範囲の中で、行動を起こすことが必要なんです。努力すればするほど、人々に波紋を投げることができ、人々に受け入れられる可能性は広がるんです。これは誰に対しても言えることです。未来を担う若者たちに向けて、これ以上の言葉はありません。自分の人生を自分らしく生きるべきなのです。人生の目標は人それぞれ違うわけですから。そして自分らしく生きるためには、自分自身をよく知らなければなりません。自分が何に向いているか把握し、何かが自分に合わないと感じたら、なぜそう感じるか自問すべきです。なぜ自分がしていることに満足できないのだろう?自分は何をしているのだろう?精神的に充実するためには、何をすればいいのだろう?そんな風に自問することです。また、なぜ政治的な不正が行われるのか、疑問に思うこともあるでしょう。不正を犯した人は何を考えていたのだろう?その人は、そんな自分に我慢できるのだろうか?そういったことを考えることも大切です。私が若い世代の人々へ言いたいのは、自分自身に正直であれ、ということです。自分自身を鏡に映し、自分の行いの良し悪しを判断できるようになってほしいのです。


アイデンティティ

日付: 1997年9月26日

場所: 米国、ワシントン州

インタビュアー: ベッキー・フクダ、トレイシー・ライ

提供: Denshō: The Japanese American Legacy Project.

語り手のプロフィール

チェリー・キノシタ氏は、1923年ワシントン州シアトルに生まれました。十代の頃、キノシタ氏はワシントン州ピュアラップ集合センターに拘留され、その後アイダホ州ミニドカ強制収容所に収容されました。強制収容所での2年半、彼女は収容所新聞『ミニドカ・イリゲーター』紙の記者を務めました。

1970年代、キノシタ氏は米国日系人市民協会(Japanese American Citizens League)シアトル支部を拠点に、積極的に補償運動にかかわるようになります。彼女は多くの場で貢献しましたが、そのひとつに、ワシントン州選出議員に対し、第二次大戦中の日系人への不当措置について啓蒙し続けた 草の根 活動があります。政治家を相手にする時、彼女の最大の武器となったのは、粘り強さと辛抱強さでした。1979年、最初の日系人補償法案が、ワシントン州選出議員によって提出されたのは、特記すべきことでしょう。

キノシタ氏は、補償運動のための支援機関として、主要な日系団体のうち16団体の提携を取りまとめました。補償運動の最中60歳になったキノシタ氏は、ワシントン大学で社会学を専攻し、優等の成績で文学士号を取得しました。 (2008年4月15日)

Juan Alberto Matsumoto
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エスコバールについて(スペイン語)

日本在住の日系アルゼンチン人、二世(1962年生)

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Monica Teisher
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ニッケイの定義(英語)

米国在住の日系コロンビア人(1974年生)

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Sabrina Shizue McKenna
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カミングアウトが家族に与えた影響

(1957年生まれ) ハワイ州最高裁判所判事。

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