(英語)私たち日系人の目的は達成されたか、という問いに対して、私はある意味達成されたと考えています。先にお話した通り、裁判までの一連の過程の中で、強制収容経験者は自分の思いを口にできるようになったわけですから。それを経て日系人は、強制収容という過去にようやく終止符を打つことができたのだと思います。もちろん全てが終わった訳ではなく、過去の経験は再び思い起こされるでしょう。でも政府から謝罪を勝ち取ったことで、人々は精神的な苦しみを乗り越えることができたのです。すくなくとも、強制収容が間違っていたことは、ほとんどの人が認める事実となりました。戦中の日系人による国家への裏切り行為はなかったのです。つまり、当時は日系人を強制収容するそれなりの正当な理由があったかのように考えられていたわけですが、その汚名もついに晴らされたのです。
私たちはやり遂げたのです。もしかしたら、何か別の取り組みがなされればもっとよかっただろう、という意見もあるかもしれません。でもいつの日か、私たちが到達したい地点までたどり着くことができるでしょう。この問題は現在も進行中なのです。実際に今でも人々は強制収容を語り続けていますし、これは強制収容経験者が亡くなれば解決される類いの問題ではありません。
そして歴史家たちは何年も時間をかけて考え続けるでしょう。強制収容は今後忘れ去られるのだろうか?それとも歴史に残り続けるのか?…このことが私には気がかりです。1942年、12万人もの人々が強制収容所に送られた、この事実は、語り継がれるのでしょうか?そして、マイノリティの中でもさらに少数派の人々の努力によって、政府の謝罪を勝ち取ったことは語り継がれるのでしょうか?このことは、歴史上重要なことだと考えています。
日付: 1997年9月26日
場所: 米国、ワシントン州
Interviewer: ベッキー・フクダ、トレイシー・ライ
Contributed by: Denshō: The Japanese American Legacy Project.