ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1524/

楽天的だった父(英語)

(英語)二世の父の特徴の一つに、とても楽天的だったということがありました。当時の日本町界隈では、「全部売らないと」とか、「二度と戻って来れないのだから、売れる値で売らないと」などと皆が噂していました。ドイツのナチスについての様々な話やヨーロッパで起きていることを聞き、日本、またはアメリカが戦争に勝ったらどうなるのだろうか、どちらが勝っても私たちは横一列に並べられ、処刑されるだろうから二度と戻れない、と言う人もいました。

しかし父は、必ず戻れるという考えでした。父はとても楽天的で、実は親友の一人の中国系のチャックの一家に、1939年に買ったばかりの家に住むよう勧めたのです。そうして私と同じくらいの年齢の娘を持つチャックの一家は、私たちの家に住むようになりました。それで戦後、サンフランシスコに戻った私たちには戻る家があったのです。


強制移動 世代 二世 第二次世界大戦

日付: 2015年8月26日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ジョン・エサキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1934年7月17日、二世の両親のもとサンフランシスコに生まれる。5歳の時に見た『白雪姫』に衝撃を受け、その後生涯を通してアニメーションに夢中になる。第二次世界大戦中、家族と共にユタ州トパーズで強制収容される。その後カリフォルニアに戻り、アニメーターになることを目指してウォルト・ディズニーが好んだロサンゼルスのシュイナード芸術学校(現カリフォルニア芸術大学)に入学。伝説的アニメーター、イワオ・タカモトの指導の下、ウィリーの情熱は開花し、ディズニー、ワーナーブラザース、ハンナ・バーベラ・プロダクションで黄金期を過ごし、アニメーションの世界で長いキャリアを積む。クレジットされている仕事は、『わんわん物語』、『What's Opera Doc?』、『原始家族フリントスト-ン』、『クマゴロー』に及ぶ。

ウィリーは今でも絵を描き続け、日系アメリカ人の第二次世界大戦中の経験を描いた絵本のイラストも手掛けている。サンディエゴで開催されるコミコン・インタナーナショナルでは絵にサインをしたり、ファンと言葉を交わしたりするウィリーを見つけることができる。(2016年9月)

ローズ・オチ

強制収容、国外追放、弁護士 (英語)

日系アメリカ人弁護士・公民権運動アクティビスト(1938-2020年)

ジミー・ムラカミ

トゥーリーレイクへ(英語)

(1933-2014) 日系アメリカ人アニメーター

ジミー・ムラカミ

初めての映画(英語)

(1933-2014) 日系アメリカ人アニメーター

ジミー・ムラカミ

カモメ取り(英語)

(1933-2014) 日系アメリカ人アニメーター

二宮 正人

戦時中に厳しく規制された外国語教育

サンパウロ大学法学部博士教授、弁護士、翻訳家(1948年生)