ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1269/

『Gidra』の背景を理解 (英語)

(英語) アフリカ系アメリカ人やラテン系アメリカ人、ベトナム人、さらにはベトナム戦争に反対して自由のために戦っている世界中の人々との繋がり、そしてそこで何が起きているのかに目を向けました。そして国を超えてこうした人々と繋がりができたのです。若い人々に当時の話をするとき、表現の仕方が非常に難しいです。しかし、彼らにとって、単に『Gidra』のことやひとつのプロジェクト、ひとりの人間についてだけでなく、全体を理解することがとても大事なのです。そうでなければ、何もわかったことにはならないからです。


政府 アイデンティティ 政治

日付: 2011年9月28日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: クリス・クロミツ、ジョン・エサキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

エヴェリン・ヨシムラ氏は、家族が第二次世界大戦の強制収容所があったアリゾナ州ポストンから移り住んだ場所、デンバーで生まれました。そしてまだ子供のうちに、ロサンゼルスのCrenshaw地区に移りました。1960年代の激動の公民権運動時代に主に黒人社会で育ち、1965年のワッツ暴動を直に目撃します。ドーシー高校卒業後、エヴェリンはカリフォルニア州立大学へ進学し、設立したばかりのアジア系アメリカ人研究プログラムの発展に貢献。この期間中、彼女は二十年にわたるリトル・トーキョーの文化的施設やアメラジアン・ブックストアの創設者の一人であり、『Gidra』のスタッフメンバーでした。『Gidra』は、挑発的なジャーナリズムの混合、グラフィック・アート、社会的・文化的・政治的事実を特集した革新的なアジア系アメリカ人の出版物です。

エヴェリンはリドレス・キャンペーンで活躍し、1981年に行われた一般人の戦時再配置及び収容に関する委員会のロサンゼルス公聴会のための重要なコミュニティ・オーガナイザーを務めました。現在は、LTSC (Little Tokyo Service Center) のコミュニティ・オーガナイジング・ディレクターです。2001年9月11日以降、エヴェリンはLTSCで、アラブ系アメリカ人とイスラム教徒の社会とのつながりの構築をはじめとした多くのプロジェクトに取り組んできました。(2012年8月)

 

モニカ・タイシャ―

ニッケイの定義(英語)

米国在住の日系コロンビア人(1974年生)

サブリナ・シズエ・マケナ

カミングアウトが家族に与えた影響

(1957年生まれ) ハワイ州最高裁判所判事。