ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1173/

父の裁判を知る (英語)

(英語) 私の自宅には、ジョーダン対タシロ裁判について書いてある教科書があるんです。でも、私はその裁判のことは何も知りませんでした。夫のブルースと結婚するまで、そんな裁判があったことさえ知らなかったのです。私たちが結婚した直後、ブルースがロースクール(法学大学院)に行くことになって、彼の教科書に判例として偶然載っていたのです。「君のお父さんの名前が書いてある。」と彼が言うので、私は、「本当に?どうして?」と言いました。私は、この重大な裁判についてその時初めて知ったのです。私は、その時までそんな話を聞いたことすらありませんでした。まさに、寝耳に水でした。私が生まれたターナー・ストリートには、日本病院と呼ばれる病院がありました。でもそれは、カリフォルニアだから可能だったのです。つまり、カリフォルニア以外のアメリカの土地で、日本人が病院を開くなんて絶対に許されない時代でした。もしその教科書をご覧になりたければ、家のどこかにあると思いますよ。

I*: でも確か、お父様が勝訴したその裁判の重要度は高かったのですよね。

ええ。

*"I" はインタビュア(トム・イケダ)


カリフォルニア州 世代 移民 移住 (immigration) 一世 日本 日本の病院 訴訟 リトル東京 ロサンゼルス 移住 (migration) アメリカ合衆国

日付: 2009年9月21日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: トム・イケダ、マルサ・ナカガワ

提供: Denshō: The Japanese American Legacy Project.

語り手のプロフィール

フランセス・ミドリ・タシロ・カジさんは、1928年4月30日生まれの日系二世です。カリフォルニア州ロサンゼルスで生まれ、ロサンゼルス郊外のガーデナで育ちました。彼女の父は、ボイル・ハイツ地区で医師として重要な役割を担っていました。第二次大戦中はアリゾナ州ポストンの強制収容所に収容され、出所後、一家はテンサイ農場で働くためコロラドに移り住みました。その後一家はロサンゼルスに戻り、彼女の父は再び医師として仕事を再開しました。フランセスは、2016年に88歳で亡くなりました。(2020年4月)

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