ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/series/wakamatsu-colony/

アメリカ本土初の日系移民、若松コロニー入植から150周年


2019年3月18日 - 2019年5月8日

今から150年前の1869年(明治2年)、会津若松(福島県)から22人の移民団が夢と希望を胸に、カリフォルニア州北部にアメリカ本土初の入植地「若松コロニー」を形成した。150年前にアメリカ本土へと海を渡った先駆者たちの勇気と開拓者精神に思いを馳せ、彼らの歴史をここに振り返り、日米両国にいる彼らの末裔の先祖への思いを紹介する。

*「羅府新報」(2019年1月1日)からの転載。



このシリーズのストーリー

番外編: 「おけい」報じた最初の記事

2019年5月8日 • 吉田 純子

排日運動の最中、北米最初の日本人移民団の存在伝える 今から150年前の1869年(明治2年)、日本からカリフォルニアにやってきた北米最初の移民団はエルドラド郡ゴールドヒルでアメリカ本土初の日本人入植地「若松コロニー」を形成した。このシリーズでも最初に紹介したが、その一員で19歳という若さで亡くなった少女おけいはアメリカ本土の土に眠る最初の日本人女性とされている。今回、彼女の存在を1916年に最初に世に知らせた竹田文治郎(雪城)の記事をここに紹介したいと思う。排日運動の波が…

第3回 若松コロニーの末裔たち

2019年5月1日 • 吉田 純子

第2回を読む >> 地元女性と結婚した増水国之助、今もカリフォルニアにいる末裔 大工だった増水国之助(1849―1915)は若松コロニーがあった場所の近くの町コロマにとどまり、当時コロマにあったコロマホテルやフレズノ別院の建設にも携わる。 増水の結婚証明書によると、同じくコロナ在住のネイティブアメリカンと黒人の血を引く女性ケリー・ウィルソンと1877年12月28日に結婚した。 大工だけでなく、その後は農家や漁師、魚屋のオーナー、通訳などの仕事をし、日本語と英語の…

第2回 カリフォルニアの大地に眠るおけい

2019年3月25日 • 吉田 純子

第1回を読む >> アメリカ本土で最初に亡くなった日本人の女の子 新天地開拓の夢破れ、入植者たちは若松コロニー崩壊後、日本に帰る者、同地に残る者、それぞれの道をたどった。 跡地は隣人だった農場主ビアキャンプ家が買い取り、その地に残ったのはシュネルの子の子守りだったおけいと元会津藩士の桜井松之助、大工の増水国之助の3人となった。そしておけいと桜井はビアキャンプ家に雇われた。 おけいは会津若松の大工・伊藤文吉とお菊の長女で、渡米前から近くに住むシュネルの子の子守りをして…

第1回 夢と希望胸にカリフォルニアに来た先駆者 

2019年3月18日 • 吉田 純子

海渡り「若松コロニー」形成、日米両国にいる末裔、先祖への思い 小高い丘の上にある小さな墓―。このカリフォルニアの大地に眠るのは、今から150年前、日本から最初にアメリカ本土にやってきた移民団のひとりで、アメリカ本土で最初に亡くなった「日系移民の女の子」の墓だ。彼女の名は伊藤おけい(以下、おけい)。 1869年(明治2年)、夢と希望を胸に会津若松(福島県)からやってきた移民団22人はカリフォルニアにアメリカ本土初の日本人入植地「若松コロニー」を形成した。彼らは日本からアメ…

ニッケイのストーリーを募集しています! 世界に広がるニッケイ人のストーリーを集めたこのジャーナルへ、コラムやエッセイ、フィクション、詩など投稿してください。 詳細はこちら
サイトのリニューアル ディスカバー・ニッケイウェブサイトがリニューアルされます。近日公開予定の新しい機能などリニューアルに関する最新情報をご覧ください。 詳細はこちら
このシリーズの執筆者

東京都出身。法政大学法学部を卒業後、渡米。カリフォルニア州立大学チコ校コミュニケーション学部を卒業後、羅府新報社に入社。編集委員としてロサンゼルス、カリフォルニアの政治関連ニュースのほか、南カリフォルニアにおける日系社会の文化、アート、エンターテインメントや日米関係に関する取材活動および記事を執筆している。

(2018年4月 更新)