ホノルルの向こう側 ~ハワイの日系社会に迎えられて~
小学生の頃からハワイに憧れていたら、ハワイをフィールドに仕事をすることになった。現地の日系人との深い付き合いを通して見えてきたハワイの日系社会の一断面や、ハワイの多文化的な状況について考えたこと、ハワイの日系社会をもとにあらためて考えた日本の文化などについて書いてみたい。
このシリーズのストーリー
第7回(後編) ハワイの日系人は個人主義的か
2016年9月16日 • 川崎 誠司
第7回(前編)を読む >> 日系人のメンタリティ ハワイに通い始めて20年が過ぎ、その間何度か住んでみたりしていると、計らずも現地社会の儀式に参加することにもなる。英語での日常会話能力が十分でなかったころ(日常会話のほうが自分の専門分野の議論よりもずっと難しいと思う)は、それが億劫で仕方なかった。だが、自分の研究フィールドのより深い理解のためと考え、誘われれば断らずに出かけることにしていた。 儀式にもいろいろあるが、ここで取り上げるのは「ハレ」の儀式ではなく「ケ」のほ…
第7回(前編) ハワイの日系人は個人主義的か
2016年9月15日 • 川崎 誠司
このエッセイは今回から全12回の後半に入る。これまでの6回の内容はハワイの日系人の文化的側面に焦点を当て、日本文化と日系文化を対比させながら考えてきた。とりわけ私の現地の保護者のような存在であるMさんの忠告に従って、ハワイの日系人の多様化に注意を払いながら、一般化し過ぎることのないように心がけてきた。迷った時には、毎年の定期的な滞在に加えてぶらりとハワイに行ってみたりもしている。 後半に入る今回は、「第2回 オシャレをしてもお洒落ではない?」の冒頭に書いた「日系人の多様化…
第6回 『精一杯やる』とはどういうことか ― 日本文化とハワイの日系文化
2016年3月18日 • 川崎 誠司
小学校の話を続けよう。前回(第5回「失われつつあるのかもしれない日本的価値観―変わりゆくハワイの文化―」)MさんLさんの優しさや思いやりの深さに触れた。二人によれば、日系人たちが受け継いできた日本文化の美徳は、「やってあげられることを精一杯やる」ということだった。これについて、第3回「Tシャツ」で話題にしたA先生の学校に注目してみることにする。 A先生の勤務する小学校はホノルルからフリーウェイを使って1時間以上かかる僻地校である。古くは日本人移民が最初に入植した地といわれ…
第5回 失われつつあるのかもしれない日本的価値観 ― 変わりゆくハワイの文化 ―
2015年11月9日 • 川崎 誠司
ハワイの日系社会をテーマに連載を始めたこのエッセイだが、はたしてハワイに「日系社会」なるものがあるのかという疑問に突き当たることがある。チャイナタウンのような民族コミュニティが見える形で存在しているのはむしろ例外的である。アラモアナ・ショッピングセンターの山側に、コリアンタウンの始まりのようなものを感じることはある。だが、ハワイ系の多いワイマナロやカポレイ、フィリピン系が多いとされるカリヒやワイパフなどはあるものの、それらの地区にも様々な民族が共住している。カポレイでは最近…
第4回 ガレージパーティ
2015年6月10日 • 川崎 誠司
今やハワイの両親といった存在になっている日系三世のMさんLさん夫妻に出会ったのは、同時多発テロ事件の半月ほど前の2001年8月のことだった。 しばらくして同時多発テロが起きた。翌年まで滞在予定だった私には、飛行機が一時離発着しなくなったことは全く関係がなかったが、旅行者たちは徐々に去り、新たな旅行者たちは来なくなった。ワイキキの灯りは減ってゴーストタウンと化し、太平洋のど真ん中に閉じ込められてしまったような閉塞感が日に日に強まっていった。店が閉じてしまい懐中電灯がないと歩…