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ホノルルの向こう側 ~ハワイの日系社会に迎えられて~

第3回 「Tシャツ」

アルファベットの“T”が私たちにイメージさせるものといえば、それはやはり「Tシャツ」だろう。ファッション雑誌ではそのまま“T”と表現してさえいる。70代の父はTシャツを着ないし、生きていれば110歳近くになる祖父ももちろん着ることはなかった。彼らが着用しているのは、Tシャツと形は似ているが、丸首が胸の上あたりまで開いている下着としてのアンダーシャツである。

今回話題にするTシャツは、その下の世代あたりから日本でも日常の生活着として使われ、アウターにもインナーにもなる便利なカジュアルウェアとして定着したものと思われる。これほど世界中に広がり、色やデザインが無数にある服もないだろう。個人的には、胸側ではなく背中側にプリントがしてある「バックプリント」と呼ばれるデザインのTシャツが好きである。体の前面で何かを表現するよりも、何らかのメッセージや帰属感を背負うというほうが性格に合っているのだろう。

「パラカ」デザインを取り入れたTシャツ

私は大学に勤務しているので、学校の運動部やサークルでさまざまなTシャツがデザインされて使われていることは日頃から目にしている。自分の学生時代にも所属する運動部で何度か作ったことはある。だが、ハワイに通うようになってみると、Tシャツのバリエーションと数に圧倒されることになった。ハワイにいる間の格好は、夕食に出かけるときにアロハを着ることもあるが、そのようなちょっとかしこまる時以外は常にTシャツで過ごしている。

ハワイでは老若男女を問わず、誰も彼もがTシャツを着ている。世代性別による特徴的な色というものもない。男性の老人も赤やピンクのTシャツを普通に着ているし、違和感がないどころか格好良さすら感じる。皆さまざまな色を身につけている。男性は青系、女性は赤系などというのは日本人が勝手に抱いたステレオタイプなのであった。

私はハワイの小学校にここ20年ほど毎年数回通い続けている。その間には2回住み着いて、じっくり現地を観ることにもなった。ハワイの小学校には日系人の先生が多くいる。先にハワイにやってきた中国人たちは、サトウキビ・プランテーションでの労働から脱して街に出ると、経済界に進出していったと言われている。遅れてやってきた日本人や日系人たちは教育界を支えてきた。私が研究調査で現地の小学校に入り込むときには、日系人の先生が大勢働いていることで親近感をもつことができ、精神的に大変助けられた。 

ファンド・レイザー

現地の小学校では、授業の観察を続けるとともに、イベントにも積極的に参加するように心がけてきた。そのうち学校行事があるたびに誘われるようになり、中でもFund Raiserと呼ばれるイベントには熱心に招かれることが多くなった。「ファンド・レイザー」という物々しい名称を初めて聞いた時には、何か盛大な催し物があるのかと思い、アロハシャツで正装して革靴を履いて出かけていった。学校では文化祭のようなもので賑わっていたが、会議などはどこにも行われていない。どういうことなのか尋ねてみると、子どもたちが育てた植物や、工芸品などの作品、ジュースやお菓子などを販売して利益をあげて、それを学校運営資金の足しにするというのがそのイベントなのであった。大きな扇風機で膨らまされたカラフルな小屋のようなものまであって、その中で幼児たちはピョンピョンと跳ねまわって歓声をあげている。数人が乗ってクルクル回るコーヒーカップもある。ハワイには遊園地がないため、こうしたイベントがその代わりになっているそうなのだ。

私は堅苦しい格好でそれらの間を歩き回ってみた。売られている商品の中にTシャツを見つけたが、街なかのTシャツショップで売られているものに較べると遥かに安いため、本当にこれで利益があがるのか心配になるほどであった。学校の名前がプリントされていてデザインも秀逸である。学校に協力する気持ちも込めて数枚買って、ついでにサンダルも買い、ぐっとカジュアルな格好になることができた。学校名入りのTシャツを身につけると、不思議なことに学校への帰属意識のようなものが芽生えたような気にもなった。学校名入りのTシャツは、ホノルルのダウンタウンの教材ショップで手に入れることもできる。

スクールTシャツ

日系人のMさんLさん夫妻は、2年ほど前まで小学生のウクレレバンドを率いてきた。子どもたちだけでなくその保護者たち、このバンドのサポーター、そして新たにサポーターに加わった私にもバンド名入りのシャレたTシャツを用意してくれた。新しいデザインのものを作るたびに私もその数に入れてくれた。子どもたちのパフォーマンスの際には、皆それを着て裏方に回って手伝うことになる。それが私のハワイ滞在の楽しみの一つでもあった。

ウクレレバンドのサポーターたち

夫妻の友人に現役の小学校の副校長先生をしているA先生がいる。彼女も日系三世である。全米ベストティーチャーに輝いたこともある大ベテランで、A先生と一緒に教育に携わりたいと異動を希望している教員が数十名いて、何年もポストが空くのを待っているそうである。学校は彼女の自宅のすぐそば、車で3分ほどのところにある。日本人移民がオアフ島で最初に入植した地といわれ、かつてはサトウキビ栽培で賑わった土地である。

10年ほど前からだっただろうか、この小学校では子どもたち全員がスクールTシャツを着て一日を過ごすようになった。それまではさまざまな私服で登校してきていたが、今は一人残らずスクールTシャツである。

A先生は出勤すると、従妹のC先生とともにホームレスの子どもの服の洗濯にとりかかる。ハワイは「地上の楽園」と呼ばれることが多いが、「楽園」だけにホームレスになったとしても寒くて困るということがめったにない。公園やビーチで生活するホームレスは少なくない。車の中やテントの下の家庭からも子どもたちは学校にやってくる。

汚れたシャツを脱がされて、子どもたちはスクールTシャツに着替える。下校時刻までに自分たちのシャツは乾いている。下校時にまた着替える。A先生とC先生は、放課後に今度はスクールTシャツの洗濯をする。翌朝までにそれは乾いている。

ホームレスの子どもたちが惨めな思いをしないように。それはもちろん大切なことであるが、それ以前の問題として、子どもたちに衛生的な学校生活を送らせることは極めて重要である。学校への帰属意識を育てるだけにとどまらず、Tシャツはそういう役割をも果たしてくれているのである。

 

© 2014 Seiji Kawasaki

hawaii honolulu identity school t-shirt

このシリーズについて

小学生の頃からハワイに憧れていたら、ハワイをフィールドに仕事をすることになった。現地の日系人との深い付き合いを通して見えてきたハワイの日系社会の一断面や、ハワイの多文化的な状況について考えたこと、ハワイの日系社会をもとにあらためて考えた日本の文化などについて書いてみたい。