ホノルルの向こう側 ~ハワイの日系社会に迎えられて~
小学生の頃からハワイに憧れていたら、ハワイをフィールドに仕事をすることになった。現地の日系人との深い付き合いを通して見えてきたハワイの日系社会の一断面や、ハワイの多文化的な状況について考えたこと、ハワイの日系社会をもとにあらためて考えた日本の文化などについて書いてみたい。
このシリーズのストーリー
第2回 オシャレをしてもお洒落ではない?
2014年10月31日 • 川崎 誠司
「ハワイの日系人は多様だぞ。『ハワイの日系人は』とひとくくりにはできないよ。」 このエッセイを引き受けるにあたり、まず最初に日系三世のMさんは真剣に忠告してくれた。さらにその多様性や多様化について、Mさんはいつもの丁寧な口調で語るのである。 日系二世たちが高齢化するにつれて、ハワイの日系社会で求心力を誇っていた大物二世、たとえばダニエル・イノウエやジョージ・アリヨシらが一線から退き、時代の中心は三世に徐々に受け継がれていった。三世には日本語学校に通った者も多くいたが…
第1回 祖母と私のハワイへの野望
2014年7月21日 • 川崎 誠司
祖母は大正2年の生まれで、戦前にはハワイ移民を希望したらしい。幼いころに父親を亡くし、兄2人、姉1人の末っ子だったからだとか、活発で大変進歩的な性格だったからだとか、私は両親や叔母たちと祖母について話すことがよくある。祖母の生家は愛媛県松山市の比較的豊かな家であり、移民をしないでも食べていけるからと周りはみな強く反対したため、結局その野望は果たせぬまま終わったようである。 瀬戸内の海岸から彼方に目をやれば山口県の周防大島の影が横たわっている。この島からは大勢の日本人がハワ…