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片目パイロットが世界一周旅行へ ー 前田伸二さん

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自らを「片目のパイロット」と呼び、シアトル地域を拠点に講演活動も行うエアロ・ジパング・プロジェクト代表の前田伸二さんが、5月1日に世界一周飛行へと出発しました。シアトルを発つ直前のインタビューで、このミッションに込めるメッセージを熱く語ってくれました。

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片目パイロットの誕生

隻眼という障害を負いつつも、困難を乗り越え夢をかなえてきた、前田伸二さん。目標に向かって進むことの素晴らしさを若者へ伝えるため立ち上げた非営利団体、エアロ・ジパング・プロジェクトを通し、活動を続けている。

講演を行う前田さん。出発前の4月には、勤務先のボーイング社で社員向けにオンラインで講演を行った。ボーイング社の仲間も、前田さんの活動を応援している

シアトル地域で学ぶ日本人留学生への講義をきっかけに多くの講演依頼を受けるようになり、シアトルの日本語教育機関から日本の大学まで、国をまたいで各地を回る日々だ。言葉の端々から揺るぎない自信と真っすぐな性格が伝わる前田さんからのメッセージは、自身の夢をかなえるまでの経緯と重なって、聞き手の心を動かす。

パイロットへの憧れが芽生えたのは、北海道東部にある本別町で幼稚園に通う4歳の頃に、東京への旅行で家族と初めて飛行機に乗った時。「空から見下ろした十勝平野がとても美しくて、こんな景色を眺められるパイロットになりたいと思いました」。農家だった実家の畑から上空の飛行機を見上げては、いつか自分もあんな機体を操縦すると心に決めていたと言う。

中学卒業後、親元を離れて山梨県にある日本航空高等学校へ進み、日本大学理工学部航空宇宙工学科に入学。夢へ向かって邁進していた矢先、大学1年生の前田さんを大きな不運が襲う。交通事故に遭遇し、右目を失明したのだ。

夢を追う前田さんをいつもサポートしてくれた 両親と大学入学式で

日本では、隻眼でパイロットになることはできない。「多くの大人から、障害を持った人間が航空業界で活躍することはほぼ不可能だとアドバイスを受けました。とにかくパイロットになる人生しか考えていなかったので、それ以外の生き方を想像することができませんでした」と、前田さんは当時を振り返る。

自殺まで考えた前田さんを、「おまえが死んでも、世間はおまえのことを忘れてしまうだけで何も変わらない」と厳しい言葉で救ってくれたのは高校時代の恩師だった。「ここで死んだら負けだ」と勇気が湧いてきた。一緒にパイロットになる夢を追いかけていた仲間の支えもあった。

難関の航空宇宙工学科を4年間で卒業すると、航空産業での就職を目指し、「空のハーバード」と呼ばれるエンブリー・リドル航空大学留学のために米国アリゾナ州へ。「交通事故の経験から興味を持つようになったリスク・マネジメントを学べる修士課程があったのが、エンブリー・リドル航空大学でした」。

無事に修士を取得し、カリフォルニア州にある新明和工業株式会社の米国法人で航空機部品製造の工程管理の仕事に就くことに。取り引き先だったボーイング社への転職と同時にシアトルに移り住み、以来13年にわたり機体製造工程のスペシャリストとして同社に勤めている。

「飛行機の翼をいかに効率的に造るかを分析して、その工程管理をするのが私の仕事です」と、ミニモデル飛行機を見せて説明する前田さんからは、航空エンジニアとしての一面ものぞく。「不可能」と言われた航空業界での就職を果たし、自分を信じて行動し続ける前田さんの進む先には確実に道が開かれていった。

転機が訪れたのは、ボーイング社の仕事で日本に駐在していた時だ。

「アメリカへ渡ってから10年以上が経っていましたが、障害者のパイロットが日本でいまだに誕生していない。日本の空は何も変わっていないと気付きました」と前田さん。日本の航空産業の現場で働く人々のほとんどが実際に機体を操縦した経験がないことにも疑問を感じ、何かを変えたいと思ったと話す。

アメリカへ戻ると事業用パイロット操縦と飛行教官としてのライセンスを取得。若者に自信を培ってもらいたいと、操縦桿を握って飛行体験ができる「ディスカバリー・フライト」を始めるようになった。「自ら操縦して空を飛ぶフライト体験は格別なもの。『自分でも飛べる!』という発見を通して、不可能と思っていたことも、やればできるということを知って欲しいという思いがありました」。やがて前田さんは、世界一周飛行ミッションの構想を温めていく。

飛行機の操縦体験ができるディスカバリー・フライトでシアトル上空へ


パイロットとして、飛行機の造り手として世界一周飛行ミッションを決行

5月1日に前田さんと飛び立った機体「ルーシー」は、1963年のビーチクラフト社製ボナンザ機。新明和工業株式会社勤務時代の上司が、前田さんの世界一周飛行ミッションを知り、私有機を譲ってくれた。

4年間のレトロフィット作業を経て完成したルーシー(Photo by Yoshi Fujii)

前田さんはこの機体に、約4年をかけてエンジン、プロペラ、ナビゲーション・システムなどを入れ替え、レトロフィットと呼ばれる改修を施した。飛行機製造のキャリアで培ったノウハウを生かして、各分野の専門家と調整しながらの作業だった。「こんな古い機体で世界一周できるだろうかという不安も当初はありました」と打ち明ける。

エイドリアン氏から、経由地の選択や飛行テクニックのアドバイスを受ける前田さん

そんな折に出会ったのが、2016年に同型機で世界一周飛行を成功させたエイドリアン・エイコン氏だ。「アドバイスが欲しい」という前田さんからの連絡に、「話だけ聞いて結局は実行しない多くの問い合わせのひとつだろう」と軽く受け流していたエイドリアン氏だったが、前田さんの本格的な準備を知って「もっと早く協力すれば良かった」とわびてきたそう。その後、ワシントンDCからシアトルをたびたび訪れては、機体改修のアドバイスをしてくれるように。

レトロフィットの作業を重ねるごとに、前田さんはルーシーの魅力に気付いていった。「機体から1963年の匂いがするんです。当時のエンジニアが何を考えて造っていたかを感じられて面白いし、技術者の視点から見て、とても美しい飛行機です」。何でも新しいものが良いとされがちな時代に、古いものでもベストな状態に仕上げれば世界一周さえできるということを、若いエンジニアへ伝えたいと言う。

ルーシーのレトロフィットに協力した技術者と一緒に

そんな愛機とのミッションとはいえ、世界一周飛行は大きなプロジェクト。カナダからアイスランド、そして日本からシアトルへと、10時間以上の大陸間移動もあり、多くのリスクを伴うはずだ。不安はないのだろうか? 「リスクはもちろんあります。でも、紛争国へ行くわけではないので、想定できる範囲です。事前準備で最小限に抑えることができます」と前田さん。

4年の準備期間では、機体の状態をベストにするために最善を尽くした。機長を務めていたエイドリアン氏のコネクションを通して、前田さん自身も事故までを想定した数々の飛行訓練を行った。飛行ルートは、エイドリアン氏からのアドバイスを元に作成。燃料の補給場所から、宿泊先の確認、訪問国への入国ビザや税関手続きの下準備、新型コロナ禍での各国内の隔離日程までを緻密に練って作り込んだプランだ。「出発したら、あとは飛び続けるだけなんです」


次の世代に伝えたいメッセージ

2019年、いつでも前田さんの夢のためにサポートを惜しまなかった父親が他界した。病院のベッドに横たわった姿で、「18歳の時に事故で入院していたおまえの気持ちが今はよくわかる。あそこからよくやった」と言ってくれたそうだ。世界一周の計画を、当時は父親と妻の正起子さんだけに伝えていた前田さん。

「人は誰でも悩みを持っているけれど、おまえはそれを乗り越えてきた。夢もかなえてきた。やればできるということを、世界一周してより多くの人に伝えろ」。父親から前田さんへの最期の言葉だ。そのエールが、世界一周飛行への決意を固めるうえで大きな後押しとなった。

「片目のオッサンが夢をかなえて自由に人生を謳歌している。世界一周までしている。その事実を知れば、若い人たちも未来に対して夢や目標を抱けると思うんです」。そう語る前田さんの生きざまは爽快そのものだ。こんな風に人生を思いのままに歩んでいる大人の存在自体が、若者にとっても、他の大人にとっても、一歩を踏み出す勇気につながるのかもしれない。世界一周飛行から戻った後の前田さんの活躍も楽しみだ。

かけがえのない家族と共に。前田さんを理解して支える妻の正起子さんとの出会いは、一緒に働いていた飛行機生産の現場。「家一軒を買えるほどのお金を使った」というレトロフィット作業に、金銭的な不安を感じていた前田さんへ、正起子さんは「お金ごときで諦めるな」と喝を入れてくれたそう


追記:世界一周ミッション達成

2021年6月11日、前田さんはワシントン州ハーベイフィールドに着陸し、プロペラ機「ルーシー」で単独飛行による世界一周を達成した。 

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前田伸二: 北海道中川郡本別町出身。日本航空高等学校を卒業後、日本大学理工学部航空宇宙工学科へ入学するも、事故で右目を失明。パイロットになる夢を諦め切れず日本を飛び出し、可能性を求めてエンブリー・リドル航空大学へ留学。そこで航空安全危機管理修士を取得し、新明和工業株式会社、ボーイング社で航空機製造に携わる。再びパイロットを目指し、アメリカで事業用操縦士と飛行教官のライセンスを取得。2016年に非営利団体、エアロ・ジパング・プロジェクトを立ち上げ、若者に向けて講演活動や飛行訓練などを行う。

Aero Zypangu Project

PO Box 12882, Mill Creek, WA 98082​
contact@aerozypangu.com
www.aerozypangu.com

 

*本稿は、シアトルの生活情報誌「Soy Source」(2021年6月12日)からの転載です。

 

© 2021 Misa Murohashi / SoySource

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執筆者について

北米報知出版ゼネラル・マネジャー兼『北米報知』編集長。2000年上智大学経済学部経営学科卒業後、ビデオゲーム会社での国際マーケティングや雑誌出版の立ち上げなど、コンテンツ・パブリッシングに携わる。2016年にワシントン大学で都市計画修士を取得した際に、修士論文としてシアトル・インターナショナル・ディストリクト地区の地域開発について研究。そこで日系アメリカ人の歴史を学ぶこととなり、北米報知出版への入社に繋がった。2017年より現職。

(2021年10月 更新)

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