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第1部:海外移住への情熱

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近代日本の海外移民は、徳川幕府とハワイ王国の取り決めによって明治元年にハワイに到着した153人の日本人からスタートした。明治政府による新たな国づくりはとても大かがりなもので、貿易と産業育成にも力を入れていた。しかし、それ以前に締結した不利な条約が、例えば貿易取引に大きな障害になっていたのでいくら生糸(蚕産業)を輸出しても高い値段で取引することもできず日本の地域経済に思うように還元できなかったのである。1868年、日本の総人口は3400万人だったが、1900年には約4400万人、1920年に5500万、1940年には7200万人にまで増加した。産業は急速に発展したものの、増加する国民に豊かさ与えるには十分でなく、北海道開拓や海外移住が、豊かな生活を求める人々の希望的選択肢の一つであったことは間違いない。

実際、元幕臣で明治政府の外相を務めた榎本武揚氏は、メキシコへの移住を促進した。また、農大等で学んだ知識を生かそうと、中南米へ集団もしくは個人で移住した者もいる。統計を見ると、明治元年から1940年の間に海外へ移住した者は、日本の総人口の5%弱である。その内訳は、台湾、朝鮮半島、満州等アジアや大洋州の島々に拓殖民として移住したものは270万人だった。一方、中南米へ23万人、北米へ32万人移住しており、海外移住者全体の14%を占めていた。

海外在留邦人の多くは、戦時中、強制収容または転住、本国退去の対象になり、終戦後は日本へ帰国するか移住先へ残るか大きな決断を迫られた。1950年代になると、ブラジルやドミニカ共和国、ボリビア、パラグアイへの集団移住が行われた。現在、アメリカ大陸だけでも300万人の日系人が存在する1

香川県からは、戦前に約5千人が海外移住した。移住先として最も多いのがブラジルで2100人、満州929人、アメリカ810人、ハワイに158人、ペルー189人であった。戦後は、232家族からなる630人が海外移住をしており、その内訳はブラジルに403人、パラグアイに139人、そしてアルゼンチンには私の両親を含む37人が移住した。

これら移住者をみると、香川県立農林学校(現在の香川大学農学部)出身者が多い。これは、この農林学校で教鞭をとった今雪真一先生の指導や影響があったからといえる。校内の庭には、「今雪真一先生銅像」があり、「木田農植民部の育ての親」、「香川県南米移民の父」と紹介されており2、南米へ移住した古い世代の香川県民で、今雪先生を知らない人はいない3
 

今雪真一先生とは?

今雪真一氏は、明治25年(1892年)、香川県木田郡で生まれた。鹿児島高等農林学校を卒業後、1919年より香川県立農林学校の教諭を務め、校長職も歴任した。この間、満州や太平洋南西諸島を視察しており、教え子をはじめ多くの人に海外移住の重要性を主張していた。

今雪氏は退職後の1953年、金子正則知事4とともに香川県移住協会を設立した。1954年には約一年かけて南米4か国―ブラジル、アルゼンチン、パラグアイ、ウルグアイ―の日本人移住地を訪れた。東西南北を移動しながら、889家族から話を聞き、各国の移住実態や課題などを記録した5。また可能な限り、州知事や政府関係者、農業やインフラを管轄している官僚や専門家とも懇談の機会を設けた。

今雪氏の三男、浩三氏によると、今雪氏は戦前、国策の一環として海外移住を進めていたが、1年間にわたる南米訪問で海外移住に対する考えがかなり変わったという。今雪氏の4人の子供たちもブラジルやパラグアイに移住し、自身も妻とともに1961年にブラジルに居住地を移し、教え子や多くの同胞に農業や生活指導をし続けた。その後一度も里帰りをせず、1972年に三男の浩三らに見守られながら情熱的な教育者としての生涯を閉じた。

海外移住には、覚悟と努力だけでは語れないものがたくさんあり、移住者の数々の苦難や彼らの直面した数々の理不尽な現状を痛感したのかも知れない。だからこそ、最後は自ら南米に移住し、その地に骨を埋めたのだろう。

今雪先生の南米移住前とその後(1955年、1961年、70年頃)

 
1年にわたる南米訪問

今雪氏の南米訪問については、同胞との対話などをまとめた「虻鳴録(ぼうめいろく)」と、各地の移住地について鋭い観察力をもって記した「南米移住地視察記」から知ることができる。

これらの手記によると、今雪氏の南米訪問は、広大なブラジルから始まった。サンパウロ市郊外のイチゴ栽培や養鶏場の多いスザーノとモジダクルーズからはじまり、その後サンパウロ南東部の緑茶産地レジストロ、同州北西部のアリアンサ移住地とアンドラジーナ、藤原ファゼンダー(大規模コーヒー農場)、中部のマットグロッゾ州、アマゾニア地方のパラ州(トメアスー移住地、カスタニャール移住地やゴム園等)、アマゾナス州のベラビスタ植民地、連邦直轄のガポーレ州(現ロンドニア州)のポルトベリョとトレーゼ・デ・セテンブレ移住地、そしてボリビア国境の鉄道にも乗りイヤツタ植民地も訪れた。今のように飛行機で一っ飛びできる時代ではなく、鉄道やバスだけでなく、必要とあれば馬車でも移動した。

その後、アルゼンチンを訪問し、ブエノスアイレス市郊外の主に香川県人による花卉栽培農家をいくつか訪れた。その後、ワインが美味しいメンドーサ(ブドウ栽培)や中部のコルドバ州(牧場や小麦、オリーブ園)、北東部のミシオネス州(マテ茶栽培)も訪れている。当時外国人の居住は、ブエノスアイレス市から100キロ以内、他の都市は50キロ以内に制限されていたが、その規制が徐々に緩和されていたことも記されていた。

パラグアイでは、戦前から存在するラ・コルメナ移住地を訪問し、土壌問題ゆえに多くの移住者が隣国に転住したことを知る。その後チャベス植民地を訪れ、アルゼンチン国境沿いにあるエンカルナシオン市にも足を運ぶ。井上氏のサツマイモ赤土栽培の成功に感激している。

最後の訪問国ウルグアイは、二泊三日の短い滞在の中、日本大使館の案内で、在留日本人の詳細なヒヤリングを行った。当時同国には在留日本人が38世帯160人、二世代目を含むと50世帯おり、そのほとんどが花卉栽培に従事していた。アルゼンチンと同じようにカーネーション、バラ、鉢物(観葉植物)を栽培していることを特徴として上げていた。アルゼンチン、ウルグアイ両国における花弁産業の発展には、戦前から日本人が大きな貢献をしており、温室栽培の切り花は品質が良く当時から高い利益率を得ていたという。

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注釈:

1. ブラジルに約190万人、アメリカに110万人の日系人がいるといわれている。

2. 「香川大学News Letter」、第9号平成23年(2011年)10月号

3. 香川県教育委員会は、中学生用の道徳教育用資材として、今雪氏の業績をまとめたものを県内の学校に配布している

4. 裁判官出身の金子氏は、1947年、香川県副知事に就任。1950年、県知事に当選し、以後6期24年間その職務を務めた。彼の功績をたたえ、1977年に勲一等瑞宝章が授与された。1980年には、香川県名誉県民の称号が贈られた。1996年、89歳で死去。

5. 南米訪問については、移住家族との対談をまとめた「虻鳴録」と、各地の移住地について鋭い観察力をもって記した「南米移住地視察記」から詳しく知ることができる。

 

© 2021 Alberto J. Matsumoto

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このシリーズについて

香川県の海外移民の父として知られる今雪真一氏は、香川県立農林学校の教諭で、教え子はじめ多くの県民を戦前から戦後にかけ海外へ送った。南米へ移住した古い世代の香川県民で今雪氏のことを知らない人はいないというほど、香川移民への影響は大きい。1954年には約一年にわたり南米4か国を視察し、移住した899家族から話を聞いて回った。この時の経験から、1961年には自らもブラジルへ移住を決意し、そこで生涯を終えた。このシリーズでは、今雪氏の南米訪問や海外移住に対する考えなどを3回に分けて紹介する。

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執筆者について

アルゼンチン日系二世。1990年、国費留学生として来日。横浜国大で法律の修士号取得。97年に渉外法務翻訳を専門にする会社を設立。横浜や東京地裁・家裁の元法廷通訳員、NHKの放送通訳でもある。JICA日系研修員のオリエンテーション講師(日本人の移民史、日本の教育制度を担当)。静岡県立大学でスペイン語講師、獨協大学法学部で「ラ米経済社会と法」の講師。外国人相談員の多文化共生講座等の講師。「所得税」と「在留資格と帰化」に対する本をスペイン語で出版。日本語では「アルゼンチンを知るための54章」(明石書店)、「30日で話せるスペイン語会話」(ナツメ社)等を出版。2017年10月JICA理事長による「国際協力感謝賞」を受賞。2018年は、外務省中南米局のラ米日系社会実相調査の分析報告書作成を担当した。http://www.ideamatsu.com 


(2020年4月 更新)

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