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https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2013/10/28/snapshots-nikkei-filipina-album/

日系フィリピン人の思い出写真

コメント

「あなたのお母さんってフィリピン人?」友人のお母さんが尋ねます。彼女もまたフィリピン人です。そのお母さんは首を横に振って優しく微笑み、こう言います。「あなたは日本人っぽく見えるわね」

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ニムラ一家

私は姓も名も日本人名で、フィリピン名は入っていません。でも一方で、大西洋岸の北西部では「素敵な日焼け」とされるような肌の色をしています。私はチュロンやルンピア、アドボの作り方を知っていますし、照り焼きチキンを家の秘伝のレシピで一から作ることができます。また、ゴルディロックスのランチカウンターや照り焼きランチメニューを見て注文もできると思います。仏教やカトリックの礼拝に行ったりもしましたが、どちらにも属さずにいます。先生として、私は生徒に自己紹介をするとき、「左半分が日本人、右半分がフィリピン人です」と言ったものでした。人間の身体の変わった面を示したかったのです。

経験上、ミックスとしての人生を千文字足らずで上手に語ることはできません。また、「ミックスであること」とは、あなたがどの程度「ミックスであること」を許されているかで状況が変わってくるのです。

あなたの両親は、母国の文化をそれぞれ等しく取り入れていますか。それはどのようなものですか。また、文化の価値観、食べ物、音楽などを等しく分け与えようとしていますか。日系アメリカ人の私の父は、日本語の子供向けのレコード曲をかけていました。さらに亡くなるまでに二回、私たちを日本に連れて行き、親戚に会わせてくれました。フィリピン系アメリカ人の母は、故郷との関係が非常に複雑でした。移民、資金、戒厳令といったことすべてが関与していたのです。母は50年間祖国に帰ることはなく、私たちはフィリピンに住む親戚と会ったことも話したこともありません。

「ミックス」であることは、両親だけではありません。参加可能な大きな民族的コミュニティが近くにありますか。、両方の文化行事に参加できますか。私はサクラメントの近くで育ったため、幸運にも、琴のレコード曲が流れる夕食会や、フィリピンの誰もが愛するラブソング『ダヒルサヨ』を誰かが歌いだすようなクリスマス・イヴのパーティーに参加することができました。また、エスニック系の食料品店を訪れてキッコーマン醤油や、メンローのルンピア用の皮を買ったりもしていました。しかし、そういったお店やコミュニティを利用できない場所で、「ミックス」として子供を育てようとする場合は、どういう風になるのかわかりません。

さらに視野を広くしてみましょう。社会はそれぞれの文化をどの程度受け入れ、敬っていますか。ここでより厳しい問題が出てきます。日系アメリカ人の父は、第二次世界大戦中に施設に収容される経験をしています。しかし持ち前の強さと周囲のサポート、故郷のおかげで、どうにか障子のある家を建て、娘たちに日本の名前(ミドルネームとしてではなく)をつけました。フィリピン系アメリカ人の母は10歳のときに、家族の多くをフィリピンに残したまま合衆国に移住しました。母は幼少時代のほとんどを軍人の家庭で過ごし、何年にもわたって移動を繰り返しました。南部ではアフリカ系アメリカ人と間違えられ、大西洋岸北部では無視されたといいます。

タミコと祖母シズコ・ニムラ

私は今、日本とフィリピン両方のアイデンティティを持っていますが、日系アメリカ人の歴史や文化、コミュニティについての方がより詳しく知っています。1980年代と90年代、ひどく珍しいものであったお寿司が、非常に一般的なものになっていくのを私は見てきました。フィリピンに関しては同じように言えません。フィリピン系アメリカ人の人口はアメリカ合衆国に住むアジア系アメリカ人の中でも最大級ですが、アメリカ社会はフィリピンの文化についてほとんど教えることはないでしょう。誰が受け入れられ、誰が追い出される、または単に無視をされるのか。この問題は、私が親になり、二人の娘を育てている現在も全く変わっていません。娘は外国系の姓を持ち、私よりもさらに多くの祖先の血を受け継いでいます。

調べるべきことはいまだたくさんありますが、多くの場所で多くの疑問が出てきます。なぜ「ミックスである」と括られた環境に身を置かねばならないのか、尋ねたくなるときもあります。

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1990年代後半、私はカリフォルニア大学バークレー校に通っており、自分のアイデンティティを探ることに熱心でした。私はカリフォルニアのサンノセで行われる日系アメリカ人市民同盟のカンフェレンスを見に行きました。「ミックス」の日系アメリカ人の将来という議題の本会議です。人々が関心を寄せているのは、非常に多くの日系アメリカ人が他民族と結婚したり、ミックスであったり、またはその両方である中での将来です。「ミックスの子供たちに何をすべきか」ということが中心的に話され、日系アメリカ美人コンテストや奨学金、コミュニティ行事などについての意見が飛び交います。祖先や忠誠心、民族的背景などの方向に話を持っていく参加者もおり、不安になりました。

質疑応答のとき、私は聴衆の中から立ち上がりました。声は少し震えていましたが、マイクを構え、こう言ったのです。「ミックスの私たちは、歓迎されていると感じられる場所を求めているのです」

 

© 2013 Tamiko Nimura

ニマ会によるお気に入り

特別企画「ニッケイ物語」シリーズへの投稿文は、コミュニティによるお気に入り投票の対象作品でした。投票してくださったみなさん、ありがとうございました。

星 48 個
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このシリーズについて

「ニッケイ」であるということは、本質的に、伝統や文化が混合している状態にあると言えます。世界中の多くの日系コミュニティや家族にとって、箸とフォーク両方を使い、日本語とスペイン語をミックスし、西洋のスタイルで大晦日を過ごすかたわら伝統的な日本のお正月をお雑煮を食べて過ごすということは珍しいことではありません。  

このシリーズでは、多人種、多国籍、多言語といったトピックや世代間にわたるエッセイなどの作品を紹介します。

今回のシリーズでは、ニマ会読者によって、各言語別に全ての投稿作品からお気に入り作品を選んでもらいました。

ニマ会のお気に入りに選ばれた作品は、こちらです。

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執筆者について

タミコ・ニムラさんは、太平洋岸北西部出身、現在は北カリフォルニア在住の日系アメリカ人三世でありフィリピン系アメリカ人の作家です。タミコさんの記事は、シアトル・スター紙、Seattlest.com、インターナショナル・イグザミナー紙、そして自身のブログ、「Kikugirl: My Own Private MFA」で読むことができます。現在、第二次大戦中にツーリレイクに収容された父の書いた手稿への自らの想いなどをまとめた本を手がけている。

(2012年7月 更新) 

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