1965年愛媛県松山市生まれ。筑波大学第一学群社会学類法学主専攻卒業。筑波大学大学院修士課程教育研究科修了。筑波大学大学院博士課程教育学研究科単位取得退学。東京学芸大学教育学部専任講師、助教授、准教授、ハワイ大学教育学部客員研究員(2001-2002年、2008年)などを経て、現在、東京学芸大学教育学部教授、博士(教育学・筑波大学)。専門分野は社会科教育・多文化教育,ハワイ研究,授業研究方法論。著作は『多文化教育とハワイの異文化理解学習―「公正さ」はどう認識されるか(単著、ナカニシヤ出版、2011年)ほか。
(2014年7月 更新)
この執筆者によるストーリー
第4回 ガレージパーティ
2015年6月10日 • 川崎 誠司
今やハワイの両親といった存在になっている日系三世のMさんLさん夫妻に出会ったのは、同時多発テロ事件の半月ほど前の2001年8月のことだった。 しばらくして同時多発テロが起きた。翌年まで滞在予定だった私には、飛行機が一時離発着しなくなったことは全く関係がなかったが、旅行者たちは徐々に去り、新たな旅行者たちは来なくなった。ワイキキの灯りは減ってゴーストタウンと化し、太平洋のど真ん中に閉じ込められてしまったような閉塞感が日に日に強まっていった。店が閉じてしまい懐中電灯がないと歩…
第3回 「Tシャツ」
2015年1月14日 • 川崎 誠司
アルファベットの“T”が私たちにイメージさせるものといえば、それはやはり「Tシャツ」だろう。ファッション雑誌ではそのまま“T”と表現してさえいる。70代の父はTシャツを着ないし、生きていれば110歳近くになる祖父ももちろん着ることはなかった。彼らが着用しているのは、Tシャツと形は似ているが、丸首が胸の上あたりまで開いている下着としてのアンダーシャツである。 今回話題にするTシャツは、その下の世代あたりから日本でも日常の生活着…
第2回 オシャレをしてもお洒落ではない?
2014年10月31日 • 川崎 誠司
「ハワイの日系人は多様だぞ。『ハワイの日系人は』とひとくくりにはできないよ。」 このエッセイを引き受けるにあたり、まず最初に日系三世のMさんは真剣に忠告してくれた。さらにその多様性や多様化について、Mさんはいつもの丁寧な口調で語るのである。 日系二世たちが高齢化するにつれて、ハワイの日系社会で求心力を誇っていた大物二世、たとえばダニエル・イノウエやジョージ・アリヨシらが一線から退き、時代の中心は三世に徐々に受け継がれていった。三世には日本語学校に通った者も多くいたが…
第1回 祖母と私のハワイへの野望
2014年7月21日 • 川崎 誠司
祖母は大正2年の生まれで、戦前にはハワイ移民を希望したらしい。幼いころに父親を亡くし、兄2人、姉1人の末っ子だったからだとか、活発で大変進歩的な性格だったからだとか、私は両親や叔母たちと祖母について話すことがよくある。祖母の生家は愛媛県松山市の比較的豊かな家であり、移民をしないでも食べていけるからと周りはみな強く反対したため、結局その野望は果たせぬまま終わったようである。 瀬戸内の海岸から彼方に目をやれば山口県の周防大島の影が横たわっている。この島からは大勢の日本人がハワ…