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https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2024/12/31/maegaki/

まえがき

コメント

人間60 余年も生きていると、忘れえぬ人びとというのは少なくない。私の場合、1990年代の初めから付き合いがはじまり、17年の歳月を過ごしたうえ、今なおほぼ毎年のように訪れているブラジルの場合はどだろうか。特にお付き合いが深く、研究の対象でもある日系人の場合はどうであるか―そう考えると、両手で指を折るだけではたちまち足りなくなってしまうほどの顔、姿が思い浮かぶのである。

これらの人びとのことを考えると、それぞれの方々のお人柄や話しぶり、言葉の数々が思い出されてくるのであるが、そういう方々から提供していただいた史資料、あるいはそうした方々がきっかけになって見つかった記録類、またどうしても見つけられないものも少なくない。移民史研究者である以上、史資料の話題は避けて通れないが、そうした忘れえぬ人びとにかかわる記録や文献のことも、古いフィールドノートを紐解きながら書き起こしてみたい。

近年は特に、移民が船に乗って目的地へ渡る過程や体験、彼らを運んだ船や海の旅に関連する史資料を探して読む機会が多い。日本の移民研究は、出移民の研究も入移民の研究も、移民母村や移住地など陸地(おか)が対象となりがちだが、島国日本の人びとは、移民も商人も芸人も、船に乗って海を渡らねば目的は達せられなかったのだ。そして、近代の南米移民の渡航は、日本人が集団で体験した史上もっとも長い海の旅であったのである。

欧州の知性を代表すると言われるジャック・アタリの『海の歴史』(Histoires de la mer, 2017、日本版:プレジデント社、2018)を読むと、ヨーロッパ史でも、海で起きた/海から見た歴史の重要性が喚起されている。海に浮かぶ列島に生きてきた日本の人びとの場合、その重要性はさらに大きなものと言えるだろう。日本民俗学はもっとも早く海と人とのかかわりに関心をもった学問の一つだが、海と海辺の人びとの習俗や生活世界へのかかわりは深かったにもかかわらず、汽船で海を渡った人びとの体験にはあまり注意を払ってこなかったようだ。

それには資料的制約の問題もあろう。航海日記のようなまとまって記された資料と出会えることはまれで、ちり芥のような断片を拾い集め、おぼろげな像をこさえることになる。移民は「物言わぬ人びと」と捉えられがちだが、ハワイ元年者移民(1868)のなかにも、佐久間米吉者のようなホノルルへの航海の様子を記した者がいる。20世紀も1920年代、30年代になると、さらにその数は増える。戦前の日本人労働者を海外へ運んだ船会社や移民会社の関係者たち、たまたま同船した新聞記者、社会運動家などは、時に移民の姿を克明に記している。

考えてみれば、移民自身もさまざまな言葉を残している。

「こんなしわくちゃの婆さんになったけど、船では乙姫様の侍女役をやったもんですよ」と赤道祭の思い出を語る移民の女性。

「サンパウロ奥地のレジストロっていう所に入ったんだけど。何にもなくてねえ…まず自分の家をつくるところからはじめないといけなかったよ」と入植時の苦労を思い出す老移民。

「移民の体験の話を聞きたいって?私の話を聞いても参考にならんよ。だって、自分は移民をしくじったんだもの…」と言葉を濁す都会の音響技師となった男性。

こうした忘れられた、あるいは忘れられつつある日本人/日系人の思いを、言葉を、体験を書き残しておきたい。

いま「日本史」は、「世界の中の日本」の歴史となることが期待されている。それは、高校と大学の教育の連携の動きや、それに呼応した河出書房新社『世界の中の日本の歴史』(全8冊)や岩波書店の『日本の中の世界史』(全7冊)などのシリーズものを見れば明らかであろう。「日本史」が「日本人の歴史」であり、「日本史」研究が「世界の中の日本」の歴史を叙述するものなら、この列島から海を越えて行った人びととその旅の過程も重要な要素となるはずである。それを意識する時、故郷を旅立ち、二た月もの日数をかけてブラジルやアルゼンチンに渡っていった人びとの姿が、はじめて歴史の一コマとして現実味をもって迫ってくるのである。

ブラジリア大学勤務の頃の筆者(2008年頃)

ところで、最近、私はよくブラジルの夢をみる。大概がかつて勤めた大学の自分の受け持ちの講義に遅れそうになったり、大事なことを忘れていたりする夢だ。今朝はなんと、古い石畳の道に停めた自分の車が勝手にすべり出していく夢をみた。慌ててハンドブレーキを引くと、そこは洛西の陋屋のいつもの薄汚れた部屋で冷や汗をかいて寝ている自分がいた。気取った言い方をすると、歴史を司る女神クリオが、筆を執るように自分を急き立てているのかもしれない。残された時間はそんなにないぞよと―

昔の移民たちのことが忘れ去られてしまう前に、また私自身が老いさらばえて語ることができなくなる前に、思い出すことどもをここに書き記していきたいと思う。論文や研究ノートのように、筋道立てて書くことはできない。しかし移民史の研究にとって、いつかはだれかの参考になろうと思われることを書き残しておきたいのである。

なお、本稿のタイトルは、日本民俗学の巨人の顰に倣おうとしていることはあからさまであるが、筆力においても、体力においても、その経験の深さにおいても、先人にはるかに及ばないことは断るまであるまい。

 

© 2024 Sachio Negawa

ブラジル コミュニティ 日系ブラジル人
このシリーズについて

青年時代から30年以上にわたり付き合ってきたブラジルと南米の国々。彼の地への思いとともに、忘れえぬ日系の人びととの出会いや思い出、調査で訪れた場所、発見した史資料、まだ見ぬ風景など―南米の日系人をめぐり、その歴史、人、モノ、生活について後世に伝えたいことがたくさんある。このシリーズでは、そんなエピソードを紹介していく。

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執筆者について

1963年大阪府生まれ。サンパウロ大学哲学・文学・人間科学部大学院修了。博士(学術)(総合研究大学院大学)。移植民史・海事史・文化研究専攻。ブラジリア大学文学部准教授を経て、現在、国際日本文化研究センター特定研究員。同志社大学、滋賀県立大学などで兼任講師。主要著書:『「海」復刻版』1〜14巻(柏書房、2018、監修・解説)、『ブラジル日系移民の教育史』(みすず書房,2016)、『越境と連動の日系移民教育史——複数文化体験の視座』(ミネルヴァ書房、2016。井上章一との共編著)、Cinquentenario da Presenca Nipo-Brasileira em Brasilia.(FEANBRA、2008、共著)



(2023年1月 更新)

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