ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2015/10/12/kodomotachi-he/

三人の子どもたちへ ―命と縁のはなし―

三人の子どもたちへ


こんにちは。元気ですか?

今日は君たちに、自分たちがどこから来たのかを知ってほしいと思い、この手紙を書いています。難しい言い方をすれば、君たちの命の源、そして「縁」というものに触れてほしいという思いをこめて、この手紙を送ります。

今の君たちはそれぞれ4歳、2歳、そして7ヶ月だから、まだ何の事か分からないかもしれないけど、この手紙を読んでもらう日がくる事を願って、君たちの命の源そして縁にまつわる話をしたいと思います。とはいえ、お父さんができるのは、君たちという命の半分の話だけ。残りの半分はぜひ君たちのお母さんから直接聞いてくださいね。

お父さんは、アメリカの南にあるメキシコという国で生まれて18歳までお父さんのお父さんとお母さん、つまり君たちから見れば、メキシコのお祖父ちゃんとお祖母ちゃんの家で育ちました。

メキシコのお祖父ちゃんとお祖母ちゃんは日本の大阪という街で結婚して、それからメキシコに行ったのですが、その前に少しだけアメリカとメキシコの国境沿いにあるカレキシコという町に住んでいたことがありました。メキシコのお祖母ちゃんはお父さんを妊娠し、アメリカでいよいよ出産という時になってとても怖い夢を見たそうです。その夢を見て、お父さんをアメリカではなく、メキシコで産むことに決めたと聞きました。メキシコのお祖母ちゃんは大きなお腹を抱えながら、お祖父ちゃんと一緒に荷造りをして、カレキシコからメキシコへ引越しをすることになりました。

メキシコのお祖母ちゃんは、昔からとても英語は上手だったけども、この時はまだ、スペイン語は話せませんでした。だから、スペイン語を話せない色白の身重のアジア人夫婦が沢山の荷物を持ってメキシコに入国をしようとした時、税関の人たちは、きっとこの夫婦からお金をふんだくれると思ったことでしょう。でも、君たちのお祖母ちゃんはすごい人です。メキシコの空港で税関職員に向かって英語でお祖母ちゃんはこう言ったそうです。

「アメリカで子供を産むために大勢がメキシコからアメリカに行っていると聞いています。私はメキシコ籍の子どもを産むためにアメリカから来ました」と。これを聞いた税関職員たちは、何も徴収せずに全ての荷物を通したそうです。メキシコのお祖母ちゃんのこういう思いのお陰で、お父さんはメキシコで生まれ、そしてスペイン語も話せるようになりました。

メキシコのお祖父ちゃんは、孫の君たちから見れば、いつもスマホを触らせてくれる優しいお祖父ちゃんだと思うけど、お父さんからみればとても厳しい人です。子どもの頃は、お父さんはメキシコのお祖父ちゃんに叱られるのが一番怖かったです。メキシコのお祖父ちゃんは、いつも仕事で忙しく、家にいないことも多かったけど、本当に家族のことを考えてくれていたんだなぁと思います。

そんなメキシコのお祖父ちゃんは昔も今もアイデアマンです。いつも新しい事を考えています。そして、それを実行できるすごい人です。お父さんが高校卒業を間近に控え、どこに進学をしようかと考え始めていた時の事です。

メキシコで生まれて育ったお父さんが日本で勉強するには、日本語の語学力が十分ではなかったことも頭にいれて、メキシコのお祖父ちゃんはお父さんにこういいました。「そろそろ大学を考えないといけないけど、どこに行くにしても、入学願書というものがあって、なぜそこの大学で学びたいのかを書かないといけないから少し考えて練習しなさい」 

当時のお父さんは言われるまま、なるほどと思いながら、大学で勉強したいことを一生懸命考え、作文を書く練習をしていました。メキシコのお祖父ちゃんはその作文を何回も見てくれて、何回も直してくれて、そしてお父さんも何回も書き直しをしました。そして、「うん、これでいいね。いい志望理由になった。じゃ、これ本番」と言われて渡されたのが、なんとお父さんが進学することになった筑波大学の入学願書でした。もっと言うと、お父さんは、それが入学願書だと気付かず、清書し終えた時、入学願書を書き終えていたことに気が付いたぐらいです。(どうやら、最初からメキシコのお祖父ちゃんはその大学にお父さんを通わせるために準備していたみたいですね。)そうして、無事に筑波大学に入学して、君たちのお母さんとなる人に会うことになります。

人生というのは本当に不思議なことが一杯で何があるかわかりません。もしメキシコのお祖母ちゃんの夢が怖くなかったら、お父さんはきっとアメリカで生まれていたでしょう。メキシコのお祖父ちゃんが違う大学の願書をお父さんに書かしていたら、きっと君たちのお母さんと出会う事はなかったでしょう。たくさんの縁そして命の繋がりがあって、お父さんもお母さんも生きています。そして二人から君たちという三人の命を授かることができて、本当に嬉しく思います。生まれてきてくれてありがとう。

お父さんは家族のことをみんなに紹介するとき、必ずこういいます。

「僕は日系メキシコ人二世。奥さんは日本生まれ日本育ち。そして三人の子どもたちはアメリカ人です」って。

アメリカは移民の人たちが一生懸命頑張って作り上げてきた国です。そんなアメリカで君たちを育てることができて嬉しい反面、自分たちという命が生まれるには、どれだけの縁そして命が繋がってきたかを知っておいて欲しいと思います。同時に、自分たちが親・先祖から受け継いできたものを知り、良いものを次の世代に残し、直したほうがいいものは直し、止めたほうがいいものは断ち切って前に向かって生きていってください。お父さんもお母さんも一生懸命応援しています。

次の手紙では、君たちの半分は島根と大阪から来ているという話を聞かせてあげるね。では、また。

                                                                           お父さんより

 

© 2015 Toshiro Obara

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このシリーズについて

ニッケイ・ファミリーの役割や伝統は独特です。それらは移住した国の社会、政治、文化に関わるさまざまな経験をもとに幾代にもわたり進化してきました。

ディスカバー・ニッケイは「ニッケイ・ファミリー」をテーマに世界中からストーリーを募集しました。投稿作品を通し、みなさんがどのように家族から影響を受け、どのような家族観を持っているか、理解を深めることができました。

このシリーズのお気に入り作品は、ニマ会メンバーの投票と編集委員の選考により決定しました。

お気に入り作品はこちらです。

  編集委員によるお気に入り作品:

  • スペイン語:
    父の冒険
    マルタ・マレンコ(著)

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執筆者について

メキシコ生まれの日系メキシコ人二世。筑波大学卒業後、ボストン大学大学院進学。国際関係学修士。現在はロサンゼルスでReiyukai Americaにて事務局長として勤務。

(2015年10月更新)

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