――「かんだばージューシィ」とは沖縄語でいものつる、つまり「かずら葉」のなまりである。私はこれを入れた雑炊が好きで、特にシイバスのアラを焼いて実 をほぐしたものをだしにして作ったジューシィ(ゾウスイ)は、たまらないほどおいしい。私がこの味を知ったのは、つい二、三年前のこと。
幸地さんのきよさんが、「水代が高くって、只水を捨てるのは馬鹿馬鹿しい」と前庭のダィコンドラを全部掘りおこし、その後にサツマイモを植えつけた。しば らくしたら芽を出し、間もなく庭一面に青々とした葉をつけたるつが伸び出した。きよさんは、伸びたつるの先をハサミでチョキン、チョキン切ってそれを雑炊 の中に入れたのを「食べてみなさい、おいしいから・・・」とすすめて下さった。かん詰めのマグロをだしにしたもので、私はそんなにおいしいとは思わなかったが行く度に、きよさんが夫の幸地さんと二人で食べているところにぶつかり、すすめられてご馳走になったのが、かんだばージューシィとの出合い。
上の文章は、1983年の沖縄で発行されていた「政経情報」に掲載されたもの。
執筆者は当時ロサンゼルスに住んでいた一世の仲村千代である。一度も会ったことがないこの大伯母は、宮城県出身でアメリカに来てから沖縄の人と結婚し、2001年に亡くなるまで、記事に出てくる沖縄出身の友人たちやその子孫と親しくしていた。
かんだばーは沖縄出身者の間で人気のある食材らしい。千代は、長い間参加していた沖縄県人会の集会でも、ある時、かんだばーの葉っぱをトラッシュバッグいっぱいに持ってきた人がいて、皆が大喜びしてもらった様を記述している。
初めてこの記事を目にした時から、この食べ物の名前が非常に印象に残ったため、いつかぜひ、そのかんだばージューシィとやらを試してみたいと思った。2006年1月、沖縄にリサーチのために足を運んだ際、これを本家本元で食べる、というのも目的のひとつだった。
友人の運転で、千代の夫の実家があったやんばるの東村を尋ねた後、名護から近いある店に入った。期待を胸にメニューを見たら、ちゃんとかんだばージュー シィがある。喜びいさんですぐに注文したら「季節ものなので今はありません」。瞬間的に、かずら葉の知識がまるでない自分の無知を責めたが、がっかりして 代わりに何を食べたのか記憶にない。
それから1年半後、初夏のロサンゼルスに滞在した時、沖縄出身の人々のホームパーティに招かれた。さまざまなご馳走が並んでいる中に雑炊らしきものがあ る。ジューシィは雑炊なのだから、いろいろいろな味のジューシィがあるのが当然だ。だが、私の頭の中では「かんだばージューシィ」がひとつの言葉となって 響いていた。冬にないのなら、今はあるはず。今度こそ、かんだばージューシィが食べられる!と、ボウルによそいながらそのお宅の人に尋ねたら「これは昆布 ジューシィ」。ニアミスである。でも、ロサンゼルスの沖縄系によるジューシィだと思い直し、ご馳走を楽しむことにした。昆布の味がきいた、まろやかな ジューシィだった。私がイメージしていたスープ状の雑炊ではなく、米が煮詰まったおじやに近い感じがした。
千代の記事にはこんなことも書いてある。
――亡くなった幸地さんは何時かこんな話をした。「僕の家は貧乏で、毎日かんだばージューシィを喰わされた。豚肉でもはいってればまだよいが、米を一つか みだけ入れた大きな鍋にかんだだばーを、どっさり入れたの・・・あれはまずかったなー。それでも僕の母は、自分の茶碗の中のかんだばーから箸で米つぶをふ り落として食べ、茶碗の底に残っている一口ほどのめしは〝ウリヒャー〟と云って僕に食べさせた・・・・・・」と。
2人の証言によると、かんだばージューシィはだしをうまく使わないとおいしくなさそうだ。かんだばーが手に入らなくても他の野菜で類似のものは作れるだろう。でも、アレンジは本場のものを食べてからにしたい。私の「かんだばージューシィ」を求める旅はまだ続いている。
© 2012 Yuriko Yamaki
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