日系人だけではなく、移民したものとその子孫、特に二世は、二つの文化を持つことからそのメリットがよく注目される。しかし、出身国の文化や習慣、伝統等をどのように移民先の社会で表現し、プラス要素として評価されるようにするのかは日系人自身にとって常に大きな悩みであり、社会統合面では大きな課題である。
筆者もアルゼンチンで育った移民の日系二世として、小学校の頃から無意識にそのことを意識せざるを得ない環境下で育ってきた。南米諸国のほとんどがヨーロッパ移民を受け入れて国づくりをしたが、国や地域によっては先住民や黒人、またはその子孫の存在もある1 。こうした人種や民族の混血化が進んだ国もあるが、アルゼンチン、特にブエノスアイレス等の都市部では、地中海圏諸国からのヨーロッパ移民で占められてきた。そうした社会環境で生まれ育った筆者は、日系人の多い町に居住していたとはいえ、常にその違い(例えば、白人でないことやスペイン語の発音があまり上手でないこと、食べるものが異なること等)が区別の対象になっていることに気づき、クラスメイトやその家族を通じて社会の一員になることに努めた2 。
自分自身のアプローチの仕方によって、日系人としての存在価値を高めることができることも次第に分かるようになるが、スポーツや学問、趣味等を通じて他の人が持っていないものやそれまであまり知られていないことを表現することで注目を浴び、小さな「地位」を確保するようになる。
偏見や無知には、そのまま真正面から対決するのではなく、他者が持っていないものを強調することで、自分の多文化的要素をうまくアピールすることにつながると確信するようになる。日本人や日系人は基本的に手が器用で、面倒見が良く、細かいところに気がつき、時間や約束も守る。これらはすべて、ラテン社会では長所になるものである。また、勉強ができる分、劣等生の面倒を見たり、スポーツではスターをサポートしたり、自分の存在を明確にする場はいくらでもある3 。
当然、こうしたプロセスの中、限界もいち早く理解するようになる。職種によっては、どう頑張っても就職しにくい分野や、できても昇進や出世が困難であるという世界がある。(これらはその時々の社会環境や政治情勢に左右される分野であるが、近年は南米諸国ではほぼすべての職種に日系人が活躍できるようになってきている)4 。
一方、90年代から日本にやってきた南米「デカセギ」日系就労者は、基本的にブラジルやペルー等で生まれ育った外国人であり、日本人の子、または孫であるということが入管法上の条件及び制限である。また、こうした人たちの非日系人の配偶者とそうした夫婦の子も含まれることを忘れてはならない。日本人移民の文化、習慣、言語、伝統等の影響を少なからず受けているとはいえ、移民先の国と地域社会で育ち、教育を受けてきた人たちなので、日本の日本人とは当然異なるのである。エスニシティー(民族的要素)は日本人であるが、法的には外国人であり、混血化している場合は人種的にも文化的にもほぼ完全なラティーノと言った方が良い。
また日本では、彼らは「南米の日系就労者」と呼ばれることが多いが、その実態としては「ブラジル日系人」、「ペルー日系人」、または単なる「日本在住のブラジル人・ペルー人」なのである。彼らの多くは、主に経済的な理由で日本にやってきたことは共通していたとしても、日本にやってきた「デカセギ」の中にも色々な人がいる。日系人の要素は、生まれ育った国や社会、社会層、教育水準、親の職種、社会的地位や職歴によって随分異なっているからだ。
定住化が進み、約20年という時間が経過したが、日本社会での共存は確実に進んでいながらも、社会に溶け込んでいかなければあまり明るい将来は築けないと、今回の世界経済危機は教えてくれた。これまでは労働市場の中では外国人専用の派遣会社や請負会社に依存し、住宅から生活全般に及んで「おんぶにだっこ」状態であった。これからは、自分自身で「良き隣人、良き地域住民」として異なった文化的要素や習慣等をアピールしながらも、先に日本の社会の仕組みや諸制度を理解し有効に活用していかねばならない。
隣人として、地域社会の祭りや行事に積極的に参加し、ブラジルやペルーの民族舞踊や郷土料理を紹介することでかなりアピールできるし、地域住民としては、納税義務をはじめ、社会保障制度への加入等を遵守しなくてはならない。自ら「インフォーマルセクター(非正規雇用より過酷であり、社会から抹消されているに等しい状況である)」になっては諸制度の公共サービスが受けられず、時には人道上の救いの手さえ差し伸べることが出来ない状態もある。
それから日本には日系人の出身国にはない、または十分に整備されていない社会保障制度や教育制度がある。将来の安心と健康と子弟の教育には欠かせないものがすべてある。親の意識改善と熱意によって、自分たちの今後の存在と労働市場での位置づけ、そして子弟のいずれの活躍の可能性が大きく左右されることにもっと自覚を持つ時期である。親自身が日本語を習得し、職業訓練を積むことが必要であり、子弟の高校入学及び卒業率を上げ、高等教育を目指すべきである5 。
また自分たちの異文化的な側面については、社会のプラスになるという明確なメッセージを戦略的に選別して、発信し、同時に社会に溶け込んでいかなくては日常の共存と協力関係は難しい。社会にプラスになるというものは、例えば南米諸国の文化や郷土料理、観光資源(ペルーの場合はマチュピチュやナスカの地上絵)や歴史のロマン等である。日本人はこうしたものには興味を示すし、一種のファンにもなってくれる。
南米に移住した日本人や日系人たちは100年以上かけてこのように日本を紹介し、日本の良い要素をアピールし、実践してきた。社会的にはマイノリティーで脇役でありながらも様々な分野で功績を残すことは十分可能だという教訓である。
注釈
1. 国によっては混血化している人種も多く、日系人の場合も地域によるが三世以降はその傾向が高まる。農業に従事している移住地等ではもっと保守的でそのプロセスのテンポは遅い。
2. 筆者はブエノスアイレス州のエスコバールという町で生まれ育ち、そこには花栽培を中心に日系社会が栄えた。日本語学校も運営され、多くの二世や三世はほぼバイリンガル的な教育を受けることに恵まれた。
3. 皆が優等生であるわけではないが、一般のラテン社会にはない要素は必ずもっており、それをアピールすることで存在価値を高めてきた。
4. 政治家、上級官僚、軍人、外交官という職業であるが、それでも国によっては日系人がそうした職の長に就くケースがここ30年少しずつみられるようになった。
5. 日本語をマスターしなければ業界内での資格取得もままならない状態である。ブラジル国籍の子弟未就学率はあまりにも危機的状態であり、義務教育さえきちんと終えていない(30~50%)。ペルー人の場合はそうではないが、高校に入学しても卒業するものはまだ少ない。
© 2009 Alberto J. Matsumoto