ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1174/

患者の方言を話すことで患者の緊張を解していた父 (英語)

(英語) 当時の私は、人の話し方の違いに気が付きませんでした。誰かが何か言うのを聞いて、話し方に違いがあることを知るようになったわけですが、それは確か戦後だったと思います。でも、当時(戦前)の私は、階級や立場と、方言の関係性を関知していませんでした。私の両親は、そういったことを私に言ったりしませんでしたので、気が付かなかったのです。でも、そうですね。たぶん私の父は、粗野な話し方というか、無教養というか、田舎の人たちが仲間内で話す言葉ですね、を使って彼らと会話するのが好きだったのだと思います。とにかくまあ、そういった類の言葉は日本人同士でも話されていたわけで、父は彼ら独特の言い回しを使って、診療所でもリラックスできるように配慮していました。父がそんな風な話し方をしていると、私は、「あ、今来ているのはあの人だな。」などとわかるようになりました。鼻にかかったような調子の声だったり、声色などの特徴で判断できました。そういう言葉遣いで交わされる会話は、聞いていて面白かったですよ。それに、私の父はささやき声で話す人ではなかったですからね。いつも大声で、ずけずけと物を言う感じでした。

I*: お父様がそのような話し方をされていたのは、単に患者さんたちをリラックスさせるためだと思ったのですが?

ええ、そうですね。父は医者でしたが、医師になることができたからそうなったというだけで、職種によって他の人に対して高慢になることを、父は良しとしませんでした。

*"I" はインタビュア(トム・イケダ)


日本の病院

日付: 2009年9月21日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: トム・イケダ、マルサ・ナカガワ

提供: Denshō: The Japanese American Legacy Project.

語り手のプロフィール

フランセス・ミドリ・タシロ・カジさんは、1928年4月30日生まれの日系二世です。カリフォルニア州ロサンゼルスで生まれ、ロサンゼルス郊外のガーデナで育ちました。彼女の父は、ボイル・ハイツ地区で医師として重要な役割を担っていました。第二次大戦中はアリゾナ州ポストンの強制収容所に収容され、出所後、一家はテンサイ農場で働くためコロラドに移り住みました。その後一家はロサンゼルスに戻り、彼女の父は再び医師として仕事を再開しました。フランセスは、2016年に88歳で亡くなりました。(2020年4月)

マーガレット・クロイワ

メリノール療養所(英語)

一世医師の娘