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Japan in the World and the World

フロリダと天橋立~ヤマトコロニー先導者と丹後ちりめん - その1

Ryusuke Kawai

明治時代にアメリカの南東部にあるフロリダ州に農業移民としてわたった人たちの歴史と、その地が現在モリカミ・ミュージアムという立派な博物館と日本庭園 に姿を変えていることを、過去2回にわたって紹介してきた。(参照:「フロリダの日本庭園とコスプレ」、「フロリダと天橋立」)

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フロリダと天橋立-その3

Ryusuke Kawai

その2>>100年後のフロリダと宮津をつないだ酒井襄とは?以上が、ヤマトコロニーと森上氏の歴史であるが、おさらいしてみればわかるように、最終的にこの「モリカミ」が誕生したその発端は、森上氏との直接の関係で言えば酒井襄氏である。記録によれば、彼は1874(明治7)年生まれで95年に同志社を出て、同志社の創始者である新島襄を見習ってアメリカへ渡ったという。名前の襄も、新島襄に倣ったらしい。50歳前にアメリカで亡くなっている。

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フロリダと天橋立-その2

Ryusuke Kawai

その1 >>自分の名前をフロリダに残すために結局、耕作条件は悪くそのため農業としては目立った成果も上げられず、入植者は徐々に減っていった。真偽のほどは定かではないが、土地を所有した日本人のなかには1925年にマイアミビーチが開けて、フロリダの土地ブームがおきるなかで土地を高値で手放し、帰国したり他州へ移ったものもいたという。

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フロリダと天橋立-その1

Ryusuke Kawai

アメリカ南東部のフロリダ州に、日本文化を紹介するモリカミ・ミュージアムと日本庭園があることと、そこで春に行われた大きなフェスティバルの模様を前回紹介した。

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フロリダの日本庭園とコスプレ-その3

Ryusuke Kawai

その2>>庭園のなかをコスプレのティーンエイジャーたちが・・・敷地内には黒い瓦屋根の本館と最初にできた平屋の建物がある。本館には、木版や着物、陶器など日本の美術品が展示されているほか、茶室が設えられている。ユニークなのは、畳の間で茶の湯を行っているときに、お茶を点てるその模様を鑑賞できるようにと、開放された部屋の外に階段状の客席がつくられているところだ。

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フロリダの日本庭園とコスプレ-その2

Ryusuke Kawai

その1>>入植当時のフロリダに思いを馳せながらその日は金曜日ということもあって、空港内のレンタカー・カウンターは長蛇の列。待つことおよそ1時間余、ようやく三菱のセダンで空港を出たのは午後3時半を過ぎていた。この時期のフロリダにしては、それほど暑くはなくさわやかな陽射しがふり注いでいる。

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フロリダの日本庭園とコスプレ-その1

Ryusuke Kawai

アメリカのフロリダ州と聞いてなにを想像するだろうか。暖かい気候に包まれたビーチリゾートか。それともときどき訪れるハリケーンか。いや、最近ならニュースにもよく登場したケネディー宇宙センターかもしれない。最南端にあるキーウェストと文豪ヘミングウェイを思い浮かべる人もなかにはいるだろう。

戦争によって、二つの祖国で彷徨う魂~ノー・ノー・ボーイを探した先にみえるもの-その3

Ryusuke Kawai

>>その2フィクションに事実から光をあてる監督でありプロデューサーでもあるフランク・アベは、51年生まれの日系三世。両親は帰米二世で福岡県での生活経験もあり、その意味では日本とのつながり は強い。父親は10代のころ収容所にいた経験をもつ。アベ自身は、現在は地元キング・カウンティー郡政府のコミュニケーション・ディレクターをしている。

戦争によって、二つの祖国で彷徨う魂~ノー・ノー・ボーイを探した先にみえるもの-その2

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>>その1出口のないトンネルを彷徨うイチロー小説「ノー・ノー・ボーイ」は、こうした戦中、戦後の日系人の置かれた状況を背景にして、自らノー・ノー・ボーイの道を選んだ、日系二世の青年を主人公と して、彼の内面の葛藤を追っている。名前はイチロー・ヤマダ。現在、シアトルを本拠地に大活躍するメジャー・リーグ・プレイヤーのイチローと奇しくもその 名前は同じだ。が、マリナーズのイチローが生き生きとした大ヒーローであるのに対して、小説のイチローは出口のないトンネルに入ってしまったような息苦し さを抱えた存在だった。

戦争によって、二つの祖国で彷徨う魂~ノー・ノー・ボーイを探した先にみえるもの-その1

Ryusuke Kawai

この夏、アメリカ西海岸のまちシアトルで、「In Search of No-No Boy(ノー・ノー・ボーイを探して)」という短編映画が仮上映された。作品のもとになった同名の小説は、戦時 中のアメリカで生きる日系人の苦悩を描きいまも読み継がれるアジア系アメリカ人文学の代表作。映画制作にあたった日系三世フランク・アベの話を含め、小説 に込められた時代を超えた普遍的なテーマについてシアトルを訪れ考察してみた。(敬称略)(*注:本稿は2008年に書かれたものです。)

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Informação

日本のジャーナリスト、ノンフィクションライター。
ジョン・オカダの小説「No-No Boy」を読んだのがきっかけで、日本人移民、日系人について興味をもつ。もっと日系アメリカ人のみなさんに日本に来てほしいと願っています。 

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