「トランスパシフィック・ボーダーランド」 アーティストプロフィール

「トランスパシフィック・ボーダーランド」 アーティストプロフィール

タロウ・ソリージャ
1980年、メキシコ・メキシコシティー生まれ。現在、メキシコシティー在住。
タロウ・ソリージャは、早稲田大学理工学部建築学科およびメキシコ国立自治大学建築学科卒業。2007年、第1回リスボン建築トリエンナーレのメキシコ館に招待作家として出展。2010年、在メキシコ日本国大使館日本文化センターをデザイン。ソリージャの作品は、ある集団の価値観や知識、構成員の夢といったものを集めることで、その集団が理想とする姿を再構築または浮かび上がらせ、普段は意識しない社会の行動規範や道徳観を問い直すものである。中でも人間の移住・移民というテーマと関連する多文化・多国籍社会に焦点が当てられることが多い。
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アーティストプロフィール:
1980年、メキシコ・メキシコシティー生まれ。現在、メキシコシティー在住。
タロウ・ソリージャは、早稲田大学理工学部建築学科およびメキシコ国立自治大学建築学科卒業。2007年、第1回リスボン建築トリエンナーレのメキシコ館に招待作家として出展。2010年、在メキシコ日本国大使館日本文化センターをデザイン。ソリージャの作品は、ある集団の価値観や知識、構成員の夢といったものを集めることで、その集団が理想とする姿を再構築または浮かび上がらせ、普段は意識しない社会の行動規範や道徳観を問い直すものである。中でも人間の移住・移民というテーマと関連する多文化・多国籍社会に焦点が当てられることが多い。
トランスクリプト
メキシコに来たのは私の母です。母は一人で日本から来て、メキシコに移住しました。しかし、私がとても小さい頃に 父がなくなったので、基本的には私たち子どもだけで毎日過ごしていました。しかし 非常に日本的な教育を受けてきたので、学校を終える頃には、私は自分をメキシコ系日本人だと感じていました。
私の仕事には4つの側面があります。一つはアートの仕事です。主にビデオとメディアを使ったもので、模型や素描もやります。二つ目は建築で、建築的な視点はアートを作るうえでも非常に役立っています。三つ目はコミュニティや公共のサービスとして行う建築です。建築が役に立つのではないかと考えられる特定の空間や社会的状況があるのです。4つ目は、「フンダシオン・パイサヘ・ソシアル」という市民グループとの活動です。そこでは主に、アートのワークショップといった活動をしています。
「建築家としてはこれをして、アーティストとしてはこれをしている」と言い切れると思わないでください。現状にて何ができるか考えた時に、好奇心や関心が常に芽生えるんです。人の見方ははそれぞれで、私を建築家やアーティストという型、メキシコ系日本人や日系メキシコ人という型にあてはめようとします。でも これはあくまでも他人から見た私なんです。
ともあれ、アートの仕事において、もしくは建築の仕事において、型にはまった見方をされたとしても、私は常に変化または移住のプロセスにいるのです。この場合、私が表現したいのは、アメリカに行き、メキシコに家を建てたメキシコ人移民のコミュニティの物語です。
私が常に興味を惹かれるのは、ある「ふるまい」に出会った時です。それはあるグループを見た時、お互いは全く知らないのに、同じようなことをしたり、同じ身ぶりをしたりする「ふるまい」です。ここで取り上げているのは、移民たちがメキシコ中に家を建てることです。私の興味は、感情に従って人々に同じような行動をおこさせるある種の「ふるまい」です。
そのコミュニティーができていくプロセスの部分にすごく興味があります。特に人が移動して違う所で生活する時に、その人が持ってくる文化とか習慣が新しい、 というか移住した先の文化とか習慣と交わる部分、そこを一番作品のテーマにしています。
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「トランスパシフィック・ボーダーランド:リマ、ロサンゼルス、メキシコシティー、サンパウロにおける日系ディアスポラのアート」展は、全米日系人博物館にて2017年9月17日から2018年2月25日まで開催しています。この展示では、ラテンアメリカおよび南カリフォルニアのラテンアメリカ・コミュニティの日系人アーティストの体験を探求します。タロウ・ソリージャはこの展示で紹介しているアーティストの一人です。
この展示の詳細は、下記のウェブサイトをご覧ください。
janm.org/transpacific-borderlands
Japanese American National Museum
100 N. Central Ave.
Los Angeles, CA 90012
janm.org
*この展示はゲティ基金の支援を受け、ゲティ財団が主催するロサンゼルスとラテンアメリカおよびラテンアートの交流を促進する「パシフィックスタンダードタイム:LA/LA」(バンク・オブ・アメリカ協賛)の一環として開催されます。

エドゥアルド・トケシ
1960年、ペルー・リマ生まれ。現在、リマ在住。
エドゥアルド・トケシは、ペルー・カトリカ大学美術学部卒業。スペイン植民地時代と現在のペルーのイメージが混じり合ったその作品は、アイデンティティーと帰属意識を浮かび上がらせる。トケシの作品は、ペルーのみならず、ラテンアメリカ各地で展示されており、サンパウロ・ビエンナーレやハバナ・ビエンナーレにもペルー代表アーティストとして参加するなど国際的にも活躍している。
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アーティストプロフィール:
1960年、ペルー・リマ生まれ。現在、リマ在住。
エドゥアルド・トケシは、ペルー・カトリカ大学美術学部卒業。スペイン植民地時代と現在のペルーのイメージが混じり合ったその作品は、アイデンティティーと帰属意識を浮かび上がらせる。トケシの作品は、ペルーのみならず、ラテンアメリカ各地で展示されており、サンパウロ・ビエンナーレやハバナ・ビエンナーレにもペルー代表アーティストとして参加するなど国際的にも活躍している。
トランスクリプト
1960年代の詩人セサル・カルボは、「詩は盲人の杖のようなものだ」と言いました。私にとっては、絵画がそれです。杖は転ぶことを防ぎますが、多くの場合、道は見えません。直感的に感じ、そうだと信じるだけです。もし道が見えるなら、それは別のものなのです。
2つの文化の間に生きていると、アートを作らずにはいられないことがあります。
私にだけしか意味をなさない旗もあります。手放すという喜びのために作った旗もあります。私が分かっているのは、旗にとってその瞬間への反応がすべてだということです。同じ旗は、二度と作れません。同じ反応がでる旗を作ろうと思うことはありません。
独裁政治は素晴らしいアーティスト、素晴らしい運動、素晴らしいアイデアを生みだします。なぜなら人はプレッシャーの下で働くからです。
人は沈黙の片隅で働いています。沈黙に支配された核家族では、誰も何も言わないし、何も表現しないし、誰も君を愛しているとも、君が必要だとも言いません。かわりに沈黙がこう伝えているのです。「あるがままの自分を受け入れなさい。あるがままの私たちを、親を受け入れなさい。そして愛しなさい。私たちはいつも君を思っています。でも、それが言葉にされることは期待しないで」と。私の親は こういう沈黙のコードを持つ人たちです。彼らに愛されているのだろうと、感じなくてはなりません。両親はそんなふうに子どもを育てました。実際、その傾向が顕著に表れていたと思います。
日系コミュニティーは、勤勉をよしとし、名誉と尊厳を重要視してきました。それがいつも山のように大きく目の前にそびえて立っていました。ですから時に、私は直視するのを恐れ、多くの場合、両親をがっかりさせないかと恐れたのです。
この考え、すなわち私たちが負わされているこの暗黙の了解は、今でも時々私について回っています。私たちの世代の多くは、そこから離れられること、逃げられることを知っています。ほかのものに情熱を注いでもよいのです。数多くの絵描きたちが絵を描き続けているのは、こういう理由だと私は思うのです。
人は、虚しさから誰かと関わりたいと思うものです。人との交わりを大事にし、表現したいと思いうなら、あなたを通してではなく、絵画や映画、詩を通して第三者がそれを理解してくれることでしょう。
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「トランスパシフィック・ボーダーランド:リマ、ロサンゼルス、メキシコシティー、サンパウロにおける日系ディアスポラのアート」展は、全米日系人博物館にて2017年9月17日から2018年2月25日まで開催しています。この展示では、ラテンアメリカおよび南カリフォルニアのラテンアメリカ・コミュニティの日系人アーティストの体験を探求します。エドゥアルド・トケシはこの展示で紹介しているアーティストの一人です。
この展示の詳細は、下記のウェブサイトをご覧ください。
janm.org/transpacific-borderlands
Japanese American National Museum
100 N. Central Ave.
Los Angeles, CA 90012
janm.org
*この展示はゲティ基金の支援を受け、ゲティ財団が主催するロサンゼルスとラテンアメリカおよびラテンアートの交流を促進する「パシフィックスタンダードタイム:LA/LA」(バンク・オブ・アメリカ協賛)の一環として開催されます。

竹田信平
1978年大阪府生まれ。メキシコのティフアナおよびドイツのデュッセルドルフ在住。
竹田信平は、ビジュアルアーティストおよび映画製作者。マルチメディア・インスタレーション、サウンドアート、ドキュメンタリー映画、大判写真を使ったインスタレーション、コミュニティーとの共同ブロジェクトなどの手法で、「記憶」と「歴史」にまつわるさまざまなテーマを扱った作品を生み出してきた。写真に触れる機会を提供することを通して、サンディエゴに移住した難民の子どもたちやコロンビアおよびタイのホームレスの若者たちを支援する非営利団体「AjAプロジェクト」の設立者およびクリエイティブディレクターでもある。
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アーティストプロフィール:
1978年大阪府生まれ。メキシコのティフアナおよびドイツのデュッセルドルフ在住。
竹田信平は、ビジュアルアーティストおよび映画製作者。マルチメディア・インスタレーション、サウンドアート、ドキュメンタリー映画、大判写真を使ったインスタレーション、コミュニティーとの共同ブロジェクトなどの手法で、「記憶」と「歴史」にまつわるさまざまなテーマを扱った作品を生み出してきた。写真に触れる機会を提供することを通して、サンディエゴに移住した難民の子どもたちやコロンビアおよびタイのホームレスの若者たちを支援する非営利団体「AjAプロジェクト」の設立者およびクリエイティブディレクターでもある。
トランスクリプト
私の名前は竹田信平、アーティストです。日本出身で、父の仕事の関係で1985年から90年までドイツで育ちました。
私の仕事は、「竹田信平」であることと言いたいです。それが私がしようとしていること、すべきだと感じていることです。
特定の場所や状況に応じて、私は自身の異なったスキルを使い分けています。メキシコではビジュアルアートの仕事を多くします。ドイツでは編集をすることが多く、本を書きました。私は、それぞれ異なった場所でそれぞれ違ったかかわり方をしてきました。それはすべて自分の中にあります。
「ゴキブリ・モーテル・インスタレーション」を作ってみました。3階建ての足場で、 私は1階にいます。タワーとトンネルがあり、ゴキブリ・トラップと呼んでいます。まあ 小さなトラップみたいなもので、下からさまざまなノイズがします。他のセクションもあって、私たちはそこにいるんですが、そこで音楽を演奏します。2人のアメリカ人ミュージシャンと2人のメキシコ人アーティストと私のユニットによる「ノイズ・パンクフォーマンス」音楽です。こういう音楽パフォーマンスのプロジェクト「パンクフォーマンス」を10年以上行っています。
人々は声を上げなければならないと思います。私は声を上げたいと思うし、それは人前に出る面白いチャンスだと思うのです。
私は今でもディアスポラみたいにさまよっています。あちこち一つの場所から他の場所へと移動することで 、何かを見つけようとしているのです。その場を離れると、その場所について何かはっきりとしたものが見えてきます。
オアハカの郊外に、テオティトラン・デル・バジェという小さな街があります。人口5000人ほどの街で、皆機織りをしています。機織りは時間芸術です。まるで印刷機のように ゆっくり時間を糸に染み込ませているのです。面白いメタファーだと思いました。
それで織物のもととなる糸をキャンバスにして、そこに描き始めました。この作品は「ベータ・ディケイ3:記憶のタイムライン」という名前です。サポテコ語ではたくさんの書き物がありますが、文字がありません。それで日本語のカタカナで記しました。この糸一本一本が一人一人の人生であり物語だとしたら、それをどのように止めるか、またどのように注意を払い、どのように彼らの物語に耳を傾けるのかというプロセスを表現することを意図して作りました。
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「トランスパシフィック・ボーダーランド:リマ、ロサンゼルス、メキシコシティー、サンパウロにおける日系ディアスポラのアート」展は、全米日系人博物館にて2017年9月17日から2018年2月25日まで開催しています。この展示では、ラテンアメリカおよび南カリフォルニアのラテンアメリカ・コミュニティの日系人アーティストの体験を探求します。竹田信平はこの展示で紹介しているアーティストの一人です。
この展示の詳細は、下記のウェブサイトをご覧ください。
janm.org/transpacific-borderlands
Japanese American National Museum
100 N. Central Ave.
Los Angeles, CA 90012
janm.org
*この展示はゲティ基金の支援を受け、ゲティ財団が主催するロサンゼルスとラテンアメリカおよびラテンアートの交流を促進する「パシフィックスタンダードタイム:LA/LA」(バンク・オブ・アメリカ協賛)の一環として開催されます。

ケンジ・シオカワ
1938年ブラジル・サンパウロ生まれ。現在、ロサンゼルス在住。
1964年にロサンゼルスに移住し、72年にシュイナード芸術学校(現在のカリフォルニア芸術大学)卒業。74年にはオーティス芸術学校(現在のオーティス・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザイン)修士課程修了。シオカヴァが生み出す木とマクラメからなるトーテム彫刻には、日系人でありブラジル人である彼のルーツが見える。2016年にハマー美術館で開催された「メイドインLA2016」展に参加し、マン賞を受賞。2021年6月18日逝去。
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アーティストプロフィール:
1938年ブラジル・サンパウロ生まれ。現在、ロサンゼルス在住。
1964年にロサンゼルスに移住し、72年にシュイナード芸術学校(現在のカリフォルニア芸術大学)卒業。74年にはオーティス芸術学校(現在のオーティス・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザイン)修士課程修了。シオカヴァが生み出す木とマクラメからなるトーテム彫刻には、日系人でありブラジル人である彼のルーツが見える。2016年にハマー美術館で開催された「メイドインLA2016」展に参加し、マン賞を受賞。 2021年6月18日逝去。
トランスクリプト
(場所: コンプトン、カリフォルニア)
名前はケンジ・シオカワです。ブラジル生まれです。私がここへ来たのは、1964年、ずいぶん昔のことです。
私は間違いなく、日系ブラジル人です。私の考え方は、ブラジル人そのものですが、私の心は純粋な日本人です。
ここで学校に行き、ここでアーティストとしての自分を作ってきました。私の作品は、人々を感動させ、他人を勇気づけるものでなくてはなりません。私の作ったものが、本当に私の内面から出てきたものなら、何であれ、すごく、すごくうれしいことです。
私は、自然の素材、すなわち木や植物といったすごく手に入れやすいものを使うのが好きです。私の主な作品は木工彫刻です。私が手に取った時点で、素材はすでに歴史を持つのです。
40年、50年…私はアートを作ってきました。私は自分のやっていること信じているからです。アートを作ることは私の仕事です。それは火急のこと、すなわち私がやりたいかどうかではなくて、やらなくてはならないことなのです。今、私はここ、自分のスタジオにいるのが好きです。この瞬間、私自身でいられることを楽しんでいるのです。
年をとるのはありがたいことです。これまでの全ての過程・・・長く生きれば それだけ多く学べるからです。
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「トランスパシフィック・ボーダーランド:リマ、ロサンゼルス、メキシコシティー、サンパウロにおける日系ディアスポラのアート」展は、全米日系人博物館にて2017年9月17日から2018年2月25日まで開催しています。この展示では、ラテンアメリカおよび南カリフォルニアのラテンアメリカ・コミュニティの日系人アーティストの体験を探求します。ケンジ・シオカワはこの展示で紹介しているアーティストの一人です。
この展示の詳細は、下記のウェブサイトをご覧ください。
janm.org/transpacific-borderlands
Japanese American National Museum
100 N. Central Ave.
Los Angeles, CA 90012
janm.org
*この展示はゲティ基金の支援を受け、ゲティ財団が主催するロサンゼルスとラテンアメリカおよびラテンアートの交流を促進する「パシフィックスタンダードタイム:LA/LA」(バンク・オブ・アメリカ協賛)の一環として開催されます。

シズ・サルダマンド
1978年、サンフランシスコ生まれ。現在、ロサンゼルス在住。
ミッション地区で生まれ育ち、2000年にUCLA美術・建築学科を卒業。2005年、カリフォルニア芸術大学大学院修了。サルダマンドは絵画という一般的な媒体のみならず、実験的な媒体を使って表現を続けており、その作品はスミソニアン・ナショナル・ポートレート・ギャラリーにおける「ポートレーツ・オブ・ジ・エンカウンター」展(2011年)をはじめ話題を集めた数々グループ展で展示されてきた。アーティスト運営のロサンゼルスのギャラリー「モンテビスタ・プロジェクツ」共同設立者。
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アーティストプロフィール:
1978年、サンフランシスコ生まれ。現在、ロサンゼルス在住。
ミッション地区で生まれ育ち、2000年にUCLA美術・建築学科を卒業。2005年、カリフォルニア芸術大学大学院修了。サルダマンドは絵画という一般的な媒体のみならず、実験的な媒体を使って表現を続けており、その作品はスミソニアン・ナショナル・ポートレート・ギャラリーにおける「ポートレーツ・オブ・ジ・エンカウンター」展(2011年)をはじめ話題を集めた数々グループ展で展示されてきた。アーティスト運営のロサンゼルスのギャラリー「モンテビスタ・プロジェクツ」共同設立者。
トランスクリプト
私の作品の多くは、友達や家族への敬意を示しています。私は、たむろしている人々や友達のポートレートをたくさん描いてきました。サブカルチャー的な社会環境にいる友達が、私のこだわりつづけているテーマだと思います。
若かった頃、たぶん高校生くらいの時だと思いますが、ゴシック風のランチボックスを持っていたのを思い出したので、何人かの友達に聞いてみました。いろんなバンドのステッカーを貼った小さいランチボックスです。そうすることで、仲間とか好みとかを表現していたのを覚えています。たぶん歳を取ってきたので、そういうものが懐かしく思えたのでしょう。
何人かの友達に聞いてみたら、そのランチボックスをまだ持っているというので、90年代初めか80年代終わりくらいの時代に耳を傾けるような気持ちで、記録してみたら面白いかもと思ったのです。それぞれのステッカーには独自の思い出、それにまつわるストーリがあります。ですから、ひとつひとつのドローイングにはストーリがあるんです。ランチボックスを通した彼らのポートレートと言ってもいいかもしれません。
タトゥーを入れる仕事は私の収入源で、私のアート活動を支えてくれています。素晴らしいことです。実のところ、彫り師であることは、人に話しかけ、つながり、ストーリを見出すといった、私のアーティストとしての原点を思い出させてくれます。
タトゥーは、タトゥーを入れる人と私との間の共同作品みたいなものです。は体のどこに入れるか、その人にとってタトゥーが何を言いするのかを話し合います。そうした経験を共有できるのは、本当に素敵なことです。いろいろな意味で、精神的にも開放され、セラピー的であり、スピリチュアルでもあります。タトゥーの仕事をしながら一人で絵を描くことは、とても良いバランスです。
私は作品を作ることで、誰かと対話しているのです。本当に刺激の多い仕事なので、私のアート制作に良い影響を与えています。
私にとって文化とは多様なものなので、日系アメリカ人とチカーノのアイデンティティが、一枚岩になる必要はないんです。一人一人が異なっていて、だれもが違った経験をします。他の人の経験とは同じになりようがないのです。私がここで言及しているのが特定の文化のことだと言い切ることは困難です。どの文化も同じようにほかの多くの文化の影響を受けているからです。
私の作品には常にこのような対話が存在しています。しかし、私は作品に説明を加えたり、意味を持たせようとするつもりはありません。あまりにも複雑多様なのでそんなことをするのは不可能だからです。
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「トランスパシフィック・ボーダーランド:リマ、ロサンゼルス、メキシコシティー、サンパウロにおける日系ディアスポラのアート」展は、全米日系人博物館にて2017年9月17日から2018年2月25日まで開催しています。この展示では、ラテンアメリカおよび南カリフォルニアのラテンアメリカ・コミュニティの日系人アーティストの体験を探求します。シズ・サルダマンドはこの展示で紹介しているアーティストの一人です。
この展示の詳細は、下記のウェブサイトをご覧ください。
janm.org/transpacific-borderlands
Japanese American National Museum
100 N. Central Ave.
Los Angeles, CA 90012
janm.org
*この展示はゲティ基金の支援を受け、ゲティ財団が主催するロサンゼルスとラテンアメリカおよびラテンアートの交流を促進する「パシフィックスタンダードタイム:LA/LA」(バンク・オブ・アメリカ協賛)の一環として開催されます。

ユリコ・ロハス・モリヤマ
1981年、メキシコ・メキシコシティー生まれ。現在メキシコシティー在住、トルカ・デ・レルドで活動中。
ユリコ・ロハス・モリヤマは、メキシコ州立自治大学美術学校卒業後、同大大学院でビジュアルスタディーズ修士号取得。ビジュアルアートを教えると共に、研究者、博物館学芸員、デザイナー、アーティストとしても活動している。2007年からはメキシコと世界各国のアーティストの作品を紹介する展覧会を企画・運営し、地元の若手アーティストの作品を紹介する展覧会を実施。2005年よりユニバーシティー・ビエンナーレ・オブ・ビジュアルアート委員会メンバー。
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アーティストプロフィール:
1981年、メキシコ・メキシコシティー生まれ。現在メキシコシティー在住、トルカ・デ・レルドで活動中。
ユリコ・ロハス・モリヤマは、メキシコ州立自治大学美術学校卒業後、同大大学院でビジュアルスタディーズ修士号取得。ビジュアルアートを教えると共に、研究者、博物館学芸員、デザイナー、アーティストとしても活動している。2007年からはメキシコと世界各国のアーティストの作品を紹介する展覧会を企画・運営し、地元の若手アーティストの作品を紹介する展覧会を実施。2005年よりユニバーシティー・ビエンナーレ・オブ・ビジュアルアート委員会メンバー。
トランスクリプト
私にとってアートを作ることは、生きることそのものに根ざしています。私の作品が自己を追求したものであるのはそのせいでしょう。アートには、人を動かす力があると思っています。アイデアを形にすることで、人々の心に触れ、突き動かすのです。
私は自画像を作り始めました。自画像といっても、人のイメージをそのまま描くのではなく、むしろ自分について考察したものを描き出します。私は描くために、「何か」を探し始めたのですが、その「何か」は形を持っていませんでした。これが私の最初のトレーニングでした。
今、私の作品は全て人生の経験に基づいているとはっきり言えます。まるで、自分の存在のあかしを表現しているようなものです。しかし、最近の私は、他の人と共作することに興味を持つようになりました。自伝的、自己言及的な作品を作ることにそれほど面白みを見出せないのです。むしろ、さまざまなものに対してオープンでいたいのです。そうすることで、他の人が私を通して自己を投影したり、なにかを読み取ってくれるかもしれません。彼ら自身の経験である必要はなく、イメージに彼らの体験を重ね合わすことができます。
知識としてのアートは、最終的な結果が物となり、または持続する形になったりすることを教えてくれます。でも アートは定義もなければ、抽象的なものでもありません。私にとってアートは、生きている素材で作られたものです。
私は幸運なことに、メキシコで活動しています。というのも、ここでは移民はサバイバルを意味しています。祖父母は何が待ち受けているかも知らぬまま、広島からここにやってきました。そして次の世代へと移りました。
私はメキシコに生まれ、メキシコ文化にルーツを持っています。私の家族は再び移住し、母と姉(妹)はアメリカへ移りました。居場所がないというこうした経験は、面白いことにこのプロジェクトの一部であるメキシコ、アメリカ、日本の間で目立つ特徴です。
私の作品は 日系人の経験や日系コミュニティーに特化したものにならないよう心がけています。むしろ、体験を通して、移民をグローバルな入り組んだ事象として取り扱うことを願っています。
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「トランスパシフィック・ボーダーランド:リマ、ロサンゼルス、メキシコシティー、サンパウロにおける日系ディアスポラのアート」展は、全米日系人博物館にて2017年9月17日から2018年2月25日まで開催しています。この展示では、ラテンアメリカおよび南カリフォルニアのラテンアメリカ・コミュニティの日系人アーティストの体験を探求します。ユリコ・ロハス・モリヤマはこの展示で紹介しているアーティストの一人です。
この展示の詳細は、下記のウェブサイトをご覧ください。
janm.org/transpacific-borderlands
Japanese American National Museum
100 N. Central Ave.
Los Angeles, CA 90012
janm.org
*この展示はゲティ基金の支援を受け、ゲティ財団が主催するロサンゼルスとラテンアメリカおよびラテンアートの交流を促進する「パシフィックスタンダードタイム:LA/LA」(バンク・オブ・アメリカ協賛)の一環として開催されます。

太田清人
1948年、長崎県生まれ。現在メキシコ・メキシコシティー在住。
1972年にメキシコに渡る。日本美術学会とメキシコ国立絵画・彫刻学院ラ・エスメラルダで学ぶ。ラ・エスメラルダではのちに彫刻を教えた。サンカルロスの国立芸術学校で修士号(彫刻専攻)を取得し、2006年より同大で石材彫刻の教鞭をとっている。さまざまな芸術賞を受賞しているほか、システーナ・ナシオナル・デ・クレアドレス・デ・アルテなどの学会の特別研究員にも選ばれている。
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アーティストプロフィール:
1948年、長崎県生まれ。現在メキシコ・メキシコシティー在住。
1972年にメキシコに渡る。日本美術学会とメキシコ国立絵画・彫刻学院ラ・エスメラルダで学ぶ。ラ・エスメラルダではのちに彫刻を教えた。サンカルロスの国立芸術学校で修士号(彫刻専攻)を取得し、2006年より同大で石材彫刻の教鞭をとっている。さまざまな芸術賞を受賞しているほか、システーナ・ナシオナル・デ・クレアドレス・デ・アルテなどの学会の特別研究員にも選ばれている。
トランスクリプト:
太田清人です。職業は、彫刻家です。
僕の友達で半分ヒッピーみたいな人がいたんですけれども、彼がメキシコの美術、特にムラリスモ(メキシコ壁画運動)についてよく話してくれたり、メキシコの大地ですね、土地とか土地柄というか人間性についていろいろ話を聞いていて、それでメヒコ(メキシコ)に憧れみたいなものですね。日本にないものがあるというので、憧れを持ちました。
冗談で、日本語もだいぶ忘れたし、という感じで、スペイン語もよくしゃべれないという感じで、なに人かわからないところもありますけど、中身はやっぱり日本人ですよね。
23の時に来たんですけれども、やっぱり23までいると、日本の文化の中にやっぱりそれが染みていますから、日本人でしょうね、やっぱし。
作品を作っていてもそうですけれども、別に日本人を意識して作品を作っているわけじゃないんですけれども、にじみ出てくるというんですかね。やっぱり否定しようもなく、自分の考え方とか、感覚性が日本的じゃないかなと思いますね。と思いますね。これは無意識のうちにだと思うんですけどね。やっぱり日本人だなと、いわゆる日本の文化の影響がやっぱりあるなと思いますね。
逆に強くなってきている感じですね。歳とってくるとですね。若い頃はほとんど意識しなくて、自由にやってきた感じなんですけど、だんだん歳とってくるに従って、やっぱり自分は日本人の文化の影響を受けているかな、とか日増しに強くなっていく感じですね。
彫刻の作法を通じて、癒しの空間を体感できるような作品に、作ってきました。
それがウテルス(Uterus: 胎)シリーズなんですけども、彫刻を始めた頃から彫刻の内部空間ということに興味があって、ニド(Nido: 巣)はまさにその名の通り、ウテルスの一つなんですけれども、空中に浮いた一種の子宮みたいなものですね。実際にその中に入ることができます。それによって、何か安定感みたいなもの、精神上ですね。
僕なんか、よく禅のことを勉強したわけじゃないんですけれども、やっぱり文化の環境としてそういったものがいつもあって、日本にいる時はもちろん無意識だったんですけれども、最近特にこう離れてみて、やっぱり自分の中に禅の影響というのがかなりあるなということが、つくづく感じますね。
ウテルスシリーズで内部空間を体感、いわゆる目だけじゃなくて体で感じることによって癒されるということが目的だったんですけれども。
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「トランスパシフィック・ボーダーランド:リマ、ロサンゼルス、メキシコシティー、サンパウロにおける日系ディアスポラのアート」展は、全米日系人博物館にて2017年9月17日から2018年2月25日まで開催しています。この展示では、ラテンアメリカおよび南カリフォルニアのラテンアメリカ・コミュニティの日系人アーティストの体験を探求します。太田清人はこの展示で紹介しているアーティストの一人です。
この展示の詳細は、下記のウェブサイトをご覧ください。
janm.org/transpacific-borderlands
Japanese American National Museum
100 N. Central Ave.
Los Angeles, CA 90012
janm.org
*この展示はゲティ基金の支援を受け、ゲティ財団が主催するロサンゼルスとラテンアメリカおよびラテンアートの交流を促進する「パシフィックスタンダードタイム:LA/LA」(バンク・オブ・アメリカ協賛)の一環として開催されます。

オスカール・オオイワ
1965年、ブラジル・サンパウロ生まれ。現在ニューヨーク在住。
サンパウロ大学建築・都市工学部卒業後、「サンパウロ・ビエンナーレ」にて作品を展示。その後、日本に11年間在住。世界的に有名な日系ブラジル人アーティストの一人であり、世界20カ国以上で展示が行われてきた。オオイワ自身は日系人やブラジル人という意識に止まらず、世界市民として自らを捉えている。オオイワの作品は東京の国立近代美術館、東京都現代美術館、アリゾナのフェニックス美術館などに所蔵されている。
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アーティストプロフィール:
1965年、ブラジル・サンパウロ生まれ。現在ニューヨーク在住。
サンパウロ大学建築・都市工学部卒業後、「サンパウロ・ビエンナーレ」にて作品を展示。その後、日本に11年間在住。世界的に有名な日系ブラジル人アーティストの一人であり、世界20カ国以上で展示が行われてきた。オオイワ自身は日系人やブラジル人という意識に止まらず、世界市民として自らを捉えている。オオイワの作品は東京の国立近代美術館、東京都現代美術館、アリゾナのフェニックス美術館などに所蔵されている。
トランスクリプト:
私の名前はオスカール・オオイワです。1965年にサンパウロで生まれました。小さい頃は、家では家族と日本語を話していました。テレビや漫画、友達を通してポルトガル語を話すようになりました。そういう状況で育ったので、2つの言語を話すのは非常に自然なことでした。
2001年にアメリカニューヨークに移った理由の一つは、大きなアート作品、大型絵画を作りたかったからです。日本でそれをするのは少し難しいのです。場所も限られていますし、大型の絵画を扱う市場もありません。
私の作品は、数多くの場所の影響を受けていると思います。映画などの現代的なメディアからの影響もあります。私はブラジルのアートの歴史についての本を読んで育ち、大人になって日本に行き、アジアを旅しました。まるで映画みたいで、私の絵みたいで、映画の風景を映す大きなスクリーンのようでした。そこに人々は暮らせるのです。それが私が大きな絵を描きたい理由です。
これは日本を描いた作品です。岐阜にあるホテルからイメージを得ました。日本の地方で展覧会があった時、泊まったホテルの裏手には平屋のすごく素敵な商店街がありました。でも日本でこういう商店街を見かけることはほとんどありません。今風のショッピングモールに取って代わってしまっているからです。
日本の地方がかかえるもう一つの問題は、人口の減少です。若い世代は東京や大都市の学校に行きます。そのまま都会で仕事を見つけて働くので、地方はほとんど見捨てられてしまうのです。
私は毎朝起きたら、食事をし、仕事に行きます。基本的には寡黙な人間ですが、世界を見つめる目、世界について考える目には自信があります。この仕事は、たくさん旅行できるし、人生について考える時間を持つことができる素晴らしい職業です。
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「トランスパシフィック・ボーダーランド:リマ、ロサンゼルス、メキシコシティー、サンパウロにおける日系ディアスポラのアート」展は、全米日系人博物館にて2017年9月17日から2018年2月25日まで開催しています。この展示では、ラテンアメリカおよび南カリフォルニアのラテンアメリカ・コミュニティの日系人アーティストの体験を探求します。オスカール・オオイワはこの展示で紹介しているアーティストの一人です。
この展示の詳細は、下記のウェブサイトをご覧ください。
janm.org/transpacific-borderlands
Japanese American National Museum
100 N. Central Ave.
Los Angeles, CA 90012
janm.org
*この展示はゲティ基金の支援を受け、ゲティ財団が主催するロサンゼルスとラテンアメリカおよびラテンアートの交流を促進する「パシフィックスタンダードタイム:LA/LA」(バンク・オブ・アメリカ協賛)の一環として開催されます。

サンドラ・ナカムラ
1981年、ペルー・リマ生まれ。リマ在住。
サンドラ・ナカムラは、ドイツのワイマール・バウハウス大学にて美術修士号を取得。作品と展示される場所および時間との関係にこだわり、日常生活で出会う物や状況を素材としたナカムラの作品は、我々を取り巻く社会や政治環境に対して意識的なまなざしを向けるように促す。ペルーのセントロ・アビエルト、コロラド州デンバーで開催された「ビエンナーレ・オブ・ジ・アメリカス」、サンフランシスコのCCAワティス・インスティトュート、エクアドルの「クエンカ・ビエンナーレ」で展示が行われたほか、2016年のシスネロズ・フォンタナルズ美術基金の新鋭アーティスト部門受賞など数多くの賞を受賞。
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アーティストプロフィール:
1981年、ペルー・リマ生まれ。リマ在住。
サンドラ・ナカムラは、ドイツのワイマール・バウハウス大学にて美術修士号を取得。作品と展示される場所および時間との関係にこだわり、日常生活で出会う物や状況を素材としたナカムラの作品は、我々を取り巻く社会や政治環境に対して意識的なまなざしを向けるように促す。ペルーのセントロ・アビエルト、コロラド州デンバーで開催された「ビエンナーレ・オブ・ジ・アメリカス」、サンフランシスコのCCAワティス・インスティトュート、エクアドルの「クエンカ・ビエンナーレ」で展示が行われたほか、2016年のシスネロズ・フォンタナルズ美術基金の新鋭アーティスト部門受賞など数多くの賞を受賞。
トランスクリプト:
私の作品の多くは、旅の経験から生まれていると思います。特に、常に私は感じているのですが、本来いるべきでない場所にいるという感覚に起因していると思います。例えば、ここペルーで、私は100%ペルー人だと感じたことはありません。
17歳の時にアメリカに留学しました。言葉もわからず、全く知らない場所でした。なぜか自分がバラバラになった気がしました。その後、ドイツに行き、それから日本にも行きました。12年間にわたり海外を旅し暮らしたのち、ペルーに戻って、初めてアート制作に取り組みました。その時、私の家はアートに取り組むのにふさわしくない気がしました。空間の持つ関係性やつながり、空間や人、場所を通して私たちが感じるものやそれが表現している者など、私の空間に対する興味は、そこから来たのだと思います。
私の作品は例外なく、作品を展示する場所や文脈と何かしらの関係を持っています。通常、まずその場所、すなわちその場所の歴史や状態などを調べます。そして、そこで私が見つけたものをベースに、ある特定の面に焦点を当てます。素材や物理的な物や形をとおして、私が発見したものを表現するようにしています。
私たちは、どのように空間をとおして感情を表現するのでしょうか。また、集団の記憶はどのように表現されるべきなのでしょうか。人は個人的なものや家族の経験からある場所にたいして親近感を抱くことがあります。コミュニティー全体で何かしらの関係を共有しているのです。
私のアイデンティティーや日本との関係は、私の素材の扱い方によく表れていると思います。例えば、私は白やモノクローム、ミニマリスト的なものをよく使います。これは日本で学んだことか、家で学んだのか、祖父母からなのか、それとも家や空間での整理整頓のされ方から学んだのかは分かりません。この美学がどこから来たか、正確に特定することは不可能です。
空虚、不在、いるべきでない場所にいる違和感は、私の研究にとって重要なものです。また この白と空間のテーマも重要です。それはまるで、物や色が詰め込まれていない黙想の空間のようだからです。
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「トランスパシフィック・ボーダーランド:リマ、ロサンゼルス、メキシコシティー、サンパウロにおける日系ディアスポラのアート」展は、全米日系人博物館にて2017年9月17日から2018年2月25日まで開催しています。この展示では、ラテンアメリカおよび南カリフォルニアのラテンアメリカ・コミュニティの日系人アーティストの体験を探求します。サンドラ・ナカムラはこの展示で紹介しているアーティストの一人です。
この展示の詳細は、下記のウェブサイトをご覧ください。
janm.org/transpacific-borderlands
Japanese American National Museum
100 N. Central Ave.
Los Angeles, CA 90012
janm.org
*この展示はゲティ基金の支援を受け、ゲティ財団が主催するロサンゼルスとラテンアメリカおよびラテンアートの交流を促進する「パシフィックスタンダードタイム:LA/LA」(バンク・オブ・アメリカ協賛)の一環として開催されます。

エリカ・カミニシ
1979年、ブラジル・マトグロッソ生まれ。フランスのレ・パヴィヨン=スー=ボワ在住。
日本大学修士課程修了。10年間日本に暮らした経験がある。日本とブラジルでアーティストとして活動しており、日本では2010年に「あいちトリエンナーレ」、2012年に「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」で作品を展示。その作品には、日本庭園や日本画など日本文化と、ポルトガルの詩人フェルナンド・ペソアの詩などポルトガル語文学の影響が見られる。
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アーティストプロフィール:
1979年、ブラジル・マトグロッソ生まれ。フランスのレ・パヴィヨン=スー=ボワ在住。
日本大学修士課程修了。10年間日本に暮らした経験がある。日本とブラジルでアーティストとして活動しており、日本では2010年に「あいちトリエンナーレ」、2012年に「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」で作品を展示。その作品には、日本庭園や日本画など日本文化と、ポルトガルの詩人フェルナンド・ペソアの詩などポルトガル語文学の影響が見られる。
トランスクリプト:
私の家族は一つのところにとどまらず、いろいろなところへ移住してきました。祖父母は日本の東北地方からの移民で、両親はブラジル生まれの二世です。私はブラジルのマットグロッソで生まれました。
18歳の時に初めて日本に行き、日本の伝統的なアートについて学び研究し始めました。自らのアイデンティティをその中に見出しました。私は日本のバロック期、つまり江戸時代初期のさまざまな表象を素材にして作品を生み出しています。
かつて早稲田大学の生物学専修のアーティスト・イン・レジデンスに参加したことがあります。非常に濃厚な経験で、そこで初めてペトリ皿やテストチューブといった物を作品に使ってみました。私にとってアートとは、その時私の体験しているものを表現してくれる媒体なんです。
私にとって書き言葉が非常に重要だった時期があります。何冊にもわたる日記を書き、次第に日記がドローイングになったんです。その頃から、私は言葉を視覚的な構成要素として使うようになったのです。私の作品は基本的にドローイングが主です。ですから紙が私の限界とも言えます。
でも紙の限界を越えていきたいとも思うのです。他の媒体や方法を使った作品を作りたいとも思います。これは大きなスケールで考えなくてはならないやりがいのある挑戦だと思います。コンセプチュアルな側面、美学的な側面、テクニカルな側面がそれぞれ調和の取れた対話を生み出すようなアートを目指しています。
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「トランスパシフィック・ボーダーランド:リマ、ロサンゼルス、メキシコシティー、サンパウロにおける日系ディアスポラのアート」展は、全米日系人博物館にて2017年9月17日から2018年2月25日まで開催しています。この展示では、ラテンアメリカおよび南カリフォルニアのラテンアメリカ・コミュニティの日系人アーティストの体験を探求します。エリカ・カミニシはこの展示で紹介しているアーティストの一人です。
この展示の詳細は、下記のウェブサイトをご覧ください。
janm.org/transpacific-borderlands
Japanese American National Museum
100 N. Central Ave.
Los Angeles, CA 90012
janm.org
*この展示はゲティ基金の支援を受け、ゲティ財団が主催するロサンゼルスとラテンアメリカおよびラテンアートの交流を促進する「パシフィックスタンダードタイム:LA/LA」(バンク・オブ・アメリカ協賛)の一環として開催されます。

入江一郎
1969年、東京都生まれ。現在ロサンゼルス在住。
入江一郎は、2歳の時に渡米。カリフォルニア州クレアモント大学大学院にて美術学修士号を取得。ロサンゼルスをはじめ、ニューヨーク、メキシコシティー、東京、ロンドンなど世界各地の美術館やアートギャラリーでその作品が展示されるなど世界的に活躍するアーティストの一人である。キュレーター、コンテンポラリーアートマガジン「RiM」(2002〜2007年発行)の創刊者兼編集者でもあり、2009年からはロサンゼルスのアートギャラリーJAUSのオーナー兼ディレクター。現在、同じくロサンゼルスのエイティーンストリート・アーツセンターのアーティスト・イン・レジデンス。
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アーティストプロフィール:
1969年、東京都生まれ。現在ロサンゼルス在住。
入江一郎は、2歳の時に渡米。カリフォルニア州クレアモント大学大学院にて美術学修士号を取得。ロサンゼルスをはじめ、ニューヨーク、メキシコシティー、東京、ロンドンなど世界各地の美術館やアートギャラリーでその作品が展示されるなど世界的に活躍するアーティストの一人である。キュレーター、コンテンポラリーアートマガジン「RiM」(2002〜2007年発行)の創刊者兼編集者でもあり、2009年からはロサンゼルスのアートギャラリーJAUSのオーナー兼ディレクター。現在、同じくロサンゼルスのエイティーンストリート・アーツセンターのアーティスト・イン・レジデンス。
トランスクリプト:
私の作品の基本は 複数の専門分野にまたがるのが特徴です。ウエスト・ロサンゼルスで「ヤウス」というアートスペースを運営しながら、作品を作ったり 展覧会を企画・開催しています。私の作品は伝統的な絵画、ファウンド・オブジェによる立体作品、ビデオパフォーマンスなどさまざまです。
アメリカで育ちましたが、アメリカの市民権を取ったのは、つい数年前です。市民権をとって初めてアメリカ人であることの意味に意識的になりました。
大学院を出たばかりの若い頃、文化的に起因するものにアイデアを見出すことは、ひどく問題があると思いました。というのも、他の人がすることと、自分たちのすることが、一緒くたにされるなんて危険すぎると思ったのです。「あぁ、あの日系アメリカ人の男か」と見られたくないと思ったかどうかは分かりません。文脈というのは、どんな時も非常に重要です。アイデンティティーの問題について知的に取り組んだ展覧会などは、うまくいけばそうした問題に目を開かせるきっかけになります。それは素晴らしいと思います。
私は日本の特撮ヒーローウルトラマンの作品を、ゲルハルト・リヒターの「48のポートレート」をもとにして、シリーズで作りました。それはたくさんのウルトラマンのポートレートです。そのデザイン中に、サングラスのレンズを想起し、割ったり砕いたりしてそれを一つに集めるという考えも良いと思ったのです。これは、シーシュポスのように、最終的に壊れるものを作るという非常に骨の折れる無駄な仕事でした。が、そこにある種の美を感じたのです。その時にたまたまこのマネキンを見つけてクレイジーなアイデアを思いついたのです。それでマネキンを覆ってみたらどうだろうと。
美術学校に通う前からアーティストやDIY(自分でやる)文化に親しんできました。
私の雑誌は、2つのコミュニティーの間にさらなる対話を促すためのとても小さな限られた試みでした。私が思っていたのは、人はどんなものなら文化的な生産物だと見なすのか。またその境界はどこにあるのか。何が許されて何が拒否されるのか、どこがグレーなエリアなのかということです。そして、そのグレーなエリアを超えないようにしながら作品を作っています。
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「トランスパシフィック・ボーダーランド:リマ、ロサンゼルス、メキシコシティー、サンパウロにおける日系ディアスポラのアート」展は、全米日系人博物館にて2017年9月17日から2018年2月25日まで開催しています。この展示では、ラテンアメリカおよび南カリフォルニアのラテンアメリカ・コミュニティの日系人アーティストの体験を探求します。入江一郎はこの展示で紹介しているアーティストの一人です。
この展示の詳細は、下記のウェブサイトをご覧ください。
janm.org/transpacific-borderlands
Japanese American National Museum
100 N. Central Ave.
Los Angeles, CA 90012
janm.org
*この展示はゲティ基金の支援を受け、ゲティ財団が主催するロサンゼルスとラテンアメリカおよびラテンアートの交流を促進する「パシフィックスタンダードタイム:LA/LA」(バンク・オブ・アメリカ協賛)の一環として開催されます。

パッツィ・ヒグチ
1972年、ペルー・リマ生まれ。
パッツィ・ヒグチは、アーティスト一家に生まれ、父から絵画、母から陶芸を学ぶ。ペルー国立大学で6年間絵画を専攻。1993年、現在の夫であるキューバ人アーティスト、A・アレクシス・ガルシアと出会い、アーティストのための印刷工房カウリ・タエール・デ・グラフィカ・エクペリメンタルを設立。ヒグチはキューバ・ハバナにゲストアーティストとして招かれ、夫婦でそこに短期間暮らした後、ペルーに帰国。現在、リマ在住。
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アーティストプロフィール:
1972年、ペルー・リマ生まれ。現在リマ在住。
パッツィ・ヒグチは、アーティスト一家に生まれ、父から絵画、母から陶芸を学ぶ。ペルー国立大学で6年間絵画を専攻。1993年、現在の夫であるキューバ人アーティスト、A・アレクシス・ガルシアと出会い、アーティストのための印刷工房カウリ・タエール・デ・グラフィカ・エクペリメンタルを設立。ヒグチはキューバ・ハバナにゲストアーティストとして招かれ、夫婦でそこに短期間暮らした後、ペルーに帰国。
トランスクリプト
ほら、こんな大きな目ですし、髪だってこんなですから
インタビュワー: 日系人には見えませんね。
そうなんです。子どもの時からいつもこれに悩まされてきました。私を日系コミュニティの一員として受けて入れくれる人がいると、私にも居場所があるんだって感じることができるんです。おかしなことですよね。だって、私は子どもの時から常にこのような葛藤を抱えていたんですから。でも、作品では、私はこれを否定してきました。なぜって、外見上の私は、本来の私ではないからです。だからこそ、どこかに自分の居場所があると感じられることは、とても大切なんです。
日々の環境、家族、私の人生に起こることが、私の作品の根幹をなしています。政治的、社会的状況に影響されていないとは言えません。それらに感化されたり、衝撃を受けることもあります。でも、私の作品は、いつも私がいるその瞬間に、私に起きたことから始まります。
もともと私は、自分の体に関する全てのことをすごく気にしていました。それが、その時の私に起きていたことだったからです。それから、私は自分に問いかけ始めたのです。なぜ女性たちは、自分たちの肉体に加えられる制限に従うのだろうと。そして、女性のアイデンティティー形成に関わる全ての事柄が気になり始めたのです。そして、私は、版画とマスメディアに力を入れ始めました。
外国で暮らしていたときも、女性はいつも私のテーマの一つでした。ここペルーに戻ってきて、再び妊娠しました。3人目で、女の子でした。そうしたら突然、私の娘が、私に新たな視点を与えてくれたんです。不意に、娘の中に私自身をみつけました。そして今度は、母と私自身についてもいろいろな考えが浮かびました。私の母は、私たち三人姉妹とたくさんの時間を過ごしてくれました。私は母から編み物や刺繍、裁縫を習いました。私はいつも自分の手を使って、作品を生み出してきました。学校では、多くの時間を絵画に費やしました。同時に陶芸もやり、後には彫刻もやりました。
最初に興味をひかれたのは、リトグラフ(石版画)のプロセスでした。というのも、リトグラフは、石のように固くて、曲がらない平板を使い、化学的なプロセスを通して、イメージを作りあげます。この曲がりようもない固い物が、版画を生み出すというこの関係性が、私にはさっぱり理解できません。そこから始まってリトグラフをするようになり、その時から始めた仕事に今も引き続き 取り組んでいます。
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「トランスパシフィック・ボーダーランド:リマ、ロサンゼルス、メキシコシティー、サンパウロにおける日系ディアスポラのアート」展は、全米日系人博物館にて2017年9月17日から2018年2月25日まで開催しています。この展示では、ラテンアメリカおよび南カリフォルニアのラテンアメリカ・コミュニティの日系人アーティストの体験を探求します。パッツィ・ヒグチはこの展示で紹介しているアーティストの一人です。
この展示の詳細は、下記のウェブサイトをご覧ください。
janm.org/transpacific-borderlands
Japanese American National Museum
100 N. Central Ave.
Los Angeles, CA 90012
janm.org
*この展示はゲティ基金の支援を受け、ゲティ財団が主催するロサンゼルスとラテンアメリカおよびラテンアートの交流を促進する「パシフィックスタンダードタイム:LA/LA」(バンク・オブ・アメリカ協賛)の一環として開催されます。

「トランスパシフィック・ボーダーランド:リマ、ロサンゼルス、メキシコシティー、サンパウロにおける日系ディアスポラのアート」展
「トランスパシフィック・ボーダーランド:リマ、ロサンゼルス、メキシコシティー、サンパウロにおける日系ディアスポラのアート」展は、全米日系人博物館にて2017年9月17日から2018年2月25日まで開催しています。
この展示の詳細は、下記のウェブサイトをご覧ください。
janm.org/transpacific-borderlands
Japanese American National Museum
100 N. Central Ave.
Los Angeles, CA 90012
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*この展示はゲティ基金の支援を受け、ゲティ財団が主催するロサンゼルスとラテンアメリカおよびラテンアートの交流を促進する「パシフィックスタンダードタイム:LA/LA」(バンク・オブ・アメリカ協賛)の一環として開催されます。
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「トランスパシフィック・ボーダーランド:リマ、ロサンゼルス、メキシコシティー、サンパウロにおける日系ディアスポラのアート」展は、全米日系人博物館にて2017年9月17日から2018年2月25日まで開催しています。
この展示の詳細は、下記のウェブサイトをご覧ください。
janm.org/transpacific-borderlands
Japanese American National Museum
100 N. Central Ave.
Los Angeles, CA 90012
janm.org
*この展示はゲティ基金の支援を受け、ゲティ財団が主催するロサンゼルスとラテンアメリカおよびラテンアートの交流を促進する「パシフィックスタンダードタイム:LA/LA」(バンク・オブ・アメリカ協賛)の一環として開催されます。

マダレナ・ハシモト
1956年、ブラジル・サンパウロ生まれ。サンパウロ在住。
ワシントン大学にて修士号取得(版画専攻)、サンパウロ大学にて博士号取得(哲学専攻)。現在、サンパウロ大学および大学院で日本学の教鞭をとりながら、日本文学の翻訳家、春画の研究家としても活躍。木版画や和紙、墨といった日本の技法や素材を使いつつも西洋の芸術の影響も見られるハシモトの作風は、日系ブラジル人としてのハイブリッドなアイデンティティの表出とも言える。
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アーティストプロフィール:
1956年、ブラジル・サンパウロ生まれ。現在サンパウロ在住。
ワシントン大学にて修士号取得(版画専攻)、サンパウロ大学にて博士号取得(哲学専攻)。現在、サンパウロ大学および大学院で日本学の教鞭をとりながら、日本文学の翻訳家、春画の研究家としても活躍。木版画や和紙、墨といった日本の技法や素材を使いつつも西洋の芸術の影響も見られるハシモトの作風は、日系ブラジル人としてのハイブリッドなアイデンティティの表出とも言える。
トランスクリプト
私は日系ブラジル人三世です。学校に通い、学ぶことが好きでした。大学では最初アートを学び、2年後に文学に目覚めました。それで今の私があります。アーティストとして作品を作る一方、日本文学を教えています。これはとても素晴らしいことだと思っています。一般的な観点からいえば、私はプロのアーティストではないと思います。
去年 サンパウロの芸術祭に参加しました。大きな壁と2つの側壁を建て、そこに数千もの顔のイメージを置きました。芸術祭を見た人からは、なぜ東洋人や日本人の顔が含まれているの?それは、あなたが日系人だから?と尋ねられましたが、どんな答えをすべきだったのでしょうか?もちろん、私は日本人の血を引いていますし、その数千の顔の中には私の家族のものもありました。当然ながら、私の家族は日本人の顔をしています。私が考えていたのは、この世界には大勢の人がいるけれど、みんな異なっていて、それぞれが興味深い人生を送っているということです。私がしたかったのは、異なった人々を一堂に集め、同等に取り扱うことでした。
「公共の生・私的な生」というタイトルの作品について話したいと思います。これは記憶について話すというアイデアから始まりました。私の記憶、もしくは公共の記憶、かつて私の年齢だった人々の記憶です。60年代のブラジル・サンパウロでは、軍事活動が頻繁に行われていました。私はまだ小さい子どもでしたが、社会運動の暴力を感じていました。でも小さすぎて、その暴力の意味を理解していませんでした。兵士たちもそんなに暴力的には見えませんでしたが、それは子どもの目を通したものだったからです。 私は、何の反応も示すことができなかったというその時の重要な感情を表現したかったのです。私の存在を脅かす記憶について考えれば考えるほど、何年もこの作品を作り続けられるのではないかと思いました。ですから完成しても未完成です。まるで私たちの記憶のように、永遠に続いていくのです。
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「トランスパシフィック・ボーダーランド:リマ、ロサンゼルス、メキシコシティー、サンパウロにおける日系ディアスポラのアート」展は、全米日系人博物館にて2017年9月17日から2018年2月25日まで開催しています。この展示では、ラテンアメリカおよび南カリフォルニアのラテンアメリカ・コミュニティの日系人アーティストの体験を探求します。マダレナ・ハシモトはこの展示で紹介しているアーティストの一人です。
この展示の詳細は、下記のウェブサイトをご覧ください。 janm.org/transpacific-borderlands
Japanese American National Museum
100 N. Central Ave.
Los Angeles, CA 90012
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*この展示はゲティ基金の支援を受け、ゲティ財団が主催するロサンゼルスとラテンアメリカおよびラテンアートの交流を促進する「パシフィックスタンダードタイム:LA/LA」(バンク・オブ・アメリカ協賛)の一環として開催されます。
「トランスパシフィック・ボーダーランド:リマ、ロサンゼルス、メキシコシティー、サンパウロにおける日系ディアスポラのアート」展では、ラテンアメリカおよび南カリフォルニアのラテンアメリカ・コミュニティの日系人アーティストの体験を探求します。このショートビデオシリーズでは、展示作品やアーティストの背景、ラテンアメリカと南カリフォルニアにおけるニッケイとしてのアイデンティティについて、アーティスト自身が語ります。 毎週新しいアーティストプロフィールを更新します。お楽しみに!
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「トランスパシフィック・ボーダーランド:リマ、ロサンゼルス、メキシコシティー、サンパウロにおける日系ディアスポラのアート」展は、全米日系人博物館で2017年9月17日から2018年2月25日まで開催中です。 この展示に関する詳細は下記のウェブサイトをご覧ください。
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Japanese American National Museum 100 N. Central Ave. Los Angeles, CA 90012
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* この展覧会はゲティ基金の支援を受け、ゲティ財団が主催するロサンゼルスとラテンアメリカおよびラテンアートの交流を促進する「パシフィックスタンダードタイム:LA/LA」(バンク・オブ・アメリカ協賛)の一環として開催されます。
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