アルゼンチンで日系人失踪:「記憶に残る17の物語」
アルゼンチン軍事独裁政権時代には数千人のアルゼンチン人が行方不明になった。理想を求めて戦った日系人も消えた。 17人の日系人がいて、17の物語が記憶に残されていました。日系人の親族とともにこの問題を調査するジャーナリストのアンドレス・アサト氏が、次のように語ってくれた。
このシリーズのストーリー
日本人コミュニティから失踪した17人(後編) ― サンタ・ルシア学校の「アパレシドス」日本人たち
2016年8月15日 • フアン・アンドレス・アサト
パート I を読む >> 「現れた」息子カルロス・オラシオの写真の横にある、仏壇の前で線香に火をつけた具志堅誠吉と荒崎マリアの顔は、ドキュメンタリー『シレンシオ・ロト』の最も力強いイメージの一つである。アルゼンチン最後の軍事独裁政権時代(1976~1983年)に失踪した日本人の子孫の物語。彼らの外見は、家族が「行方不明」という言葉が彼らにとってどんな意味を持つかをまったく想像することなく、予期せぬ曲がりくねった未知の道に沿って歩まなければならなかった長い巡礼の旅…
行方不明の日本人コミュニティー17人(パートI): 歴史を可視化する
2016年7月15日 • フアン・アンドレス・アサト
30,000 人中 17 人というのは、取るに足らない数字かもしれません。しかし、私たちが話しているのが行方不明者のことである場合はそうではありません。70年代のアルゼンチンのような政治的文脈では、最初は民主主義時代にパラポリスグループの活動があり、次に軍事独裁政権が最も危険な絶滅計画を実行しました。人々の強制失踪における制度化された弾圧の暴力的な形態。彼らは何を探していたのでしょうか?異なる考えを持った人々と、現代ではありえないと思われるこの状況は、冷戦後、資本家と共産主…