行方不明になるデカセギたち ~在伯留守家族の苦悩~
ブラジル国サンパウロ州サンパウロ市で発行されてい、日本人・駐在者向けの日本語新聞、ニッケイ新聞(www.nikkeyshimbun.com.br )からのの転載。このコラムでは、世界同時不況のあおりを受けた、デカセギの動向をレポート。“デカセギに捨てられた”留守家族の苦悩と想いを探るとともに、日伯両国間にまたがる司法的な課題や現状を探る。
このシリーズのストーリー
第4回 ヂジャルマさんの場合=2人の娘残して去った妻=デカセギ訪日後、音信途絶え
2009年3月11日 • 池田 泰久
>>第3回「妻を捜しています。名前はイザウラ・チズエ・オカ・ストラウベ。小さな二人の娘をブラジルに残して日本に行き、一九九五年から連絡がありません。 彼女の最後の住所は兵庫県神戸市(・・・略・・・)。何らかの情報を知っている人はヂジャルマ・ストラウベまで連絡してください」。 聖州モジ市ジャルジン・カミーラ区の一軒家。モジ駅から五キロほどの住宅街の一角に、デカセギ放棄家族会(AFAD)会長のヂジャルマさん(59) の自宅があった。記者を迎え入れたヂジャルマさんは、…
第3回 マガリさんの場合=日本で家庭つくった夫=養育費止まり生活困窮
2009年3月8日 • 池田 泰久
>>第2回「私はイオーニ。ルイスはあなたに養育費を払うと言っています」。〇四年某日、電話越しに響いたブラジル人女性の声に、マガリ・モレイラさん(46、聖市イタケーラ区)はすぐに悟った。夫の愛人からだ。「私はルイスの妻よ」。皮肉を込めて言い放った。 デカセギの夫ルイス・ミウラさんに、養育費を求めて訴訟を起こしたのは九七年。弁護士を雇い、かつて一緒に暮らした埼玉県内の住所に裁判嘱託書を 送ったが、「不在で届かなかった」。夫の就労先の会社にも送付したが、「受け取りが拒…
第2回 ファッチマさんの場合(2)=無一文で戻った元夫=一家の幸せ奪い日本
2009年3月3日 • 池田 泰久
>>第1回「彼もずい分老け込んだと思った」。十年ぶりに再会した夫の印象を、ファッチマさんはこう振り返る。娘のタイスさんが空港で父親と初めて対面したが、「彼と抱き合ったけど、お互い泣きもしなかった」と冷静に振り返った。 ファッチマさんは、身寄りもなく一人で戻ってきた元夫を、自宅に迎え入れた。「彼は私たちがファベーラにでも暮らしていると思っていた」と振り返る。 〇五年四月一日、サコダさんは六十万円を浜松市内のコンビニで下ろした直後、複数の強盗に襲われた。当時の日本の…
第1回 ファッチマさんの場合(1)=「自分の人生を歩んで」=全てを奪って消えた夫
2009年2月26日 • 池田 泰久
アメリカ発の世界同時不況のあおりを受けて、帰伯デカセギの動向が日本メディアでも盛んに報じられているが、日本の永住者資格を取得し、長期滞在す るデカセギも近年増加の一途を辿っていることも指摘されている。しかし、母国に夫や妻、子ども達を残して音信を絶つ人が相当数に上っていることは十分に知 られていない。また、日伯の法律は現在のような大量移住を想定しないでつくられており、現状に適応していないことも、移民百周年後の日伯両国の課題となっ ている。こうした背景を踏まえ、デカセギに〃捨て…