鮫島等 (さめしま・ひとし)
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1947年、皇居の二重橋
1948年11月、一生の伴侶、歌子を伴って帰国。ロサンゼルス郡の公務員試験を受けた。成績は1番だったが、そのとき採用されたのは3番目の成績の者。1949年(28歳の年)の3回目の受験で採用が決まった。仕事と平行して、かつて在籍した南カリフォルニア大学の大学院でも学んだ。
所属は、建設物資,医療機材,事務用品など郡政府が取り扱う全ての物資を調達する部署。賄賂の誘惑に屈することなく毅然と勤め上げて62歳で退職した。
若い頃から陸上や剣道で鍛えた体力も気力も、のんびり引退するには若かったので、1983年からはオプティミスト・クラブの活動に参加し、アルコールやドラッグに溺れる若者の更正を助けた。苦労して夜学に通い、戦争という一個人ではどうしようもない戦時を生き抜いた等にとって、物質的に恵まれた環境で挫折していく若者の姿は看過できるものではなかったのだ。
1990年からは全米日系人博物館の創設ボランティアとしての活動を始め、募金活動では9人で総額15万ドルを集めた。
日米両語で日系移民の体験を語るドーセントとして、平成天皇皇后両陛下のご来館の際にはガイドを勤めた。日本からの修学旅行生に「ご不浄」が通じなかったり、彼らの礼儀作法が不躾なことを嘆かわしく思ったりすることはあっても、二つの祖国の掛け橋たらんと尽力する毎日である。
Based on this original
1947年皇居の二重橋前 |